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点灯夫の話(第七話)――「教養」の来た道(217) 天野雅郎

今回は前回に引き続き、ちょっと煙草(たばこ=烟草)の話でもしようか知らん、と僕は考えているけれども、さて君は煙草に興味の、ある側であろうか、それとも、ない側であろうか。どちらでも構わないが......と、このように言い出すと不謹慎、極まりないほどに、どうやら昨今は煙草の問題が、まさしく社会問題になっているようである。と言うよりも、いたって煙草は最近、社会(society→socius→友人)の受けが悪く、それこそ社会の害悪の代表にすら、され兼ねない有様である。が、もともと煙草は健康のために、医療のために栽培され、喫煙されていたのが本来の姿であり、このような煙草の歴史を顧みると、むしろ煙草が1980年代になってから、はっきりと目に見えて、耳に聞こえる形で悪者扱いをされ、非難の対象にされるようになったのは、かなり新しい出来事なのである。

なにしろ、煙草を漢字(=中国文字)で書くと、この表記以外にも、例えば「莨」(=艸+良)が存在していることからも窺えるように、総じて煙草は中国にも、ひいては日本にも、決して有害な、危険な嗜好品として輸入されたのではない。と言うよりも、この嗜好品という語に、いみじくも指し示されている通り、そもそも煙草は嗜(たしな)み、好む品であり、これを年がら年中、毎朝、毎晩、大量にスパスパと吸い続けている方が変なのであり――要は、どうかしている(......^^;)のである。ちなみに、この「スパスパ」という言い回しを『日本国語大辞典』(2006年、小学館)で引くと、そこには俳諧の『江戸新八百韻』(宝暦六年→1756年)が用例に挙げられているから、ご参照を。――「渚より/遠見番所の/灯も暮〔くれ〕て〈龍眠〉たばこ〔、〕すぱすぱ/猿雀ども〈存義〉」

と、このように詠まれている「猿雀」が、どのような姿態をしていたのか、僕自身は今一、分かり兼ねるけれども、少なくとも「江戸時代、異国船渡来を監視し警備態勢を固めるため、沿岸各地の見晴らしのよい場所に設けた番所」である「遠見番所」(同上)と、このようにして煙草が密に結び付けられている事態は興味深く、そこには煙草と日本人が初めて出会った、戦国時代から江戸時代へと至る、ちょうど西暦に直せば、1600年前後の頃の日本の歴史が、あれこれ想い起こされ、興味は尽きない。この点については、また機会があれば、君に話を聴いて貰(もら)うことにして、今回は日本の小説家の中でも、よく知られた愛煙家(heavy smoker)の芥川龍之介(あくたがわ・りゅうのすけ)の、これまた有名な『煙草と悪魔』(大正五年→1916年)の冒頭を、以下に借り受けておこう。

 

煙草は、本来、日本に〔、〕なかった植物である。では、何時(いつ)頃、舶載(はくさい)されたかと云うと、記録によって、年代が一致しない。或(あるい)は、慶長年間と書いてあったり、或は天文年間と書いてあったりする。が、慶長十年頃には、既に栽培が、諸方に行われていたらしい。それが文禄年間になると、「きかぬもの〔、〕たばこの法度(はっと)銭法度(ぜにはっと)、玉のみこえ〔御声〕に〔、〕げんたくの医者」と云う落首(らくしゅ)が出来た程(ほど)、一般に喫煙が流行するようになった。

 

なお、ここで芥川龍之介が「慶長年間」と言っているのは、これを西暦に直すと、1596年から1615年までに当たる。また、さらに「天文年間」と言っているのは、1532年から1555年までであり、これが「文禄年間」になると、1592年から1596年までになる。と言うことは、ここで芥川龍之介は多分、私たちの国の年号を勘違いし、逆様(さかさま)にしている訳であって、おそらく「既に栽培が、諸方に行われていたらしい」......と彼が書き記している年(慶長十年→1605年)よりも、前掲の落首は古い時期に詠まれたものと見なさざるをえない。また、この落首に登場する「げんたくの医者」とは、おそらく「風月玄度」の「玄度」(げんたく)であろうから、このようにして欲の無い、心の清らかな医者は江戸時代の始まる時分にも、すでに私たちの国には存在していなかったようである。

この点に関して、より正確な情報が必要であれば、以下の『日本風俗史事典』(1979年、弘文堂)の説明が参考になろう。――「わが国への伝来の時期とその経路について、天文年間または天正年間に南蛮人が伝えたという説もあるが、いずれも誤りで、慶長年間とする説が外国側の資料とも合致する。スペインの記録によれば、一五九九(慶長四)年に徳川家康が使者としてフィリピン総督のもとに送ったポルトガルの宣教師イェロニモ・デ・カストロ(Jeronimo de Castro)が、一六〇一年に再び渡来した時に家康に献上した贈物の中に煙草とその種子が含まれていたと記されている。当時マニラでスペイン人が薬用植物として用いていたものが伝えられたのである。その後一〇年ほどの間に喫煙の風習は全国にひろまったが、当時はそれが延命長寿・万病治療に効果があると信じられていた」。

さて、ここまで来ると、今回の冒頭、僕が君に煙草の起源を「健康」や「医療」という語に結び付けて、話を始めた理由も納得済みであるに違いない。この点についても、ふたたび『日本風俗史事典』の叙述を借りると、そもそも煙草の「原産地はアメリカ大陸で、原住民の間には古くから薬草として用いられており、また喫煙の風習も宗教儀礼のひとつとして行なわれていた」のが、最初であった。そして、それが「一四九二年のコロンブスのアメリカ大陸発見の結果〔、〕はじめてヨーロッパに紹介され」......そのことで、その際のスペイン語(tabaco)が現在でも、世界中で同じような、よく似た発音の語となって、使われ続けている次第であるが、もともと「当時は嗜好品というよりも新種の薬用植物として重要視され、喫煙も病気に効果があると信じられて〔、〕ひろまったようである」。

とは言っても、その流行を産み出したのは何と、梅毒(ばいどく=黴毒・瘡毒)の世界的な蔓延であったから、驚かざるをえない。すなわち、この頃はヨーロッパでも、中国でも、インドでも、はたまた日本でも、この性病(venereal disease=ヴィーナス病!)の治療のための、特効薬として信じられていたのが煙草であった。したがって、煙草によって「延命長寿」や「万病治療」を願い、祈る人がいるとすれば、それは露骨に言うと、主として梅毒(syphilis→Syphilis, sive morbus Gallicus→Giovanni Fracastoro)を対象とし、標的とするものであり、そのために人々は、例えば当時、日本でも江戸幕府が慶長十七年(1612年)以降、何度か発布した「喫煙禁止令」を物ともせず、とうとう寛永年間(1624年~44年)の終わりには、この「喫煙禁止令」自体が解除されるほどであった。

このようにして振り返ると、実は煙草も梅毒も共に、君や僕が目下、国際化やグローバル化という名で呼んでいる、この世界の近代化(modernization=現代化)の、象徴的な出来事であり――そこから齎(もたら)された、まさしく近代(modern times)と称される時代に特有の、副産物であったことが分かる。この間の経緯を、これまた『日本風俗史事典』で補っておくと、どうやら「コロンブス(Christophorus Columbus)が〔、〕これ〔梅毒〕を欧州にもたらしたのが一四九三年頃で、バスコ・ダ・ガマ(Vasco da Gama)により東洋にもちこまれ、インドから中国を経て一五一二(永正五)年頃には日本でも〔、〕みられるようになり、以後〔、〕急激な広がりを示した」のが順序のようであるが、そのような経緯で前掲の、芥川龍之介の『煙草と悪魔』の続きを読むのも、一興ではなかろうか。

 

 そこで、この煙草は、誰の手で舶載されたかと云うと、歴史家なら誰でも、葡萄牙(ポルトガル)人とか、西班牙(スペイン)人とか答える。が、それは必ずしも唯一の答ではない。その外(ほか)にまだ、もう一つ、伝説としての答が残っている。それによると、煙草は、悪魔が〔、〕どこからか持って来たのだそうである。そうして、その悪魔なるものは、天主教(てんしゅきょう→ローマ・カトリック教)の伴天連(バテレン)か(恐らくは、フランシス上人)が〔、〕はるばる日本へつれて来たのだそうである。

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