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再読『あの時分』――「教養」の来た道(224) 天野雅郎

前回は時節柄、それに相応しい内容をと思い立ち、僕は君に「卒業論文と読書体験」と題する話を、しておいたのであるが、ふと気が付くと――確か以前にも、これと些(いささ=聊)か似かよった話を、僕は君に聴いて貰(もら)った覚えがある。と言う訳で、この一連の文章を遡って、いろいろ振り返ってみると、ありました、ありました、それも何と、実に前回(223回)から200回を、ちょうど差し引いた回(23回)に「濫読の時分」という形で、僕は国木田独歩(くにきだ・どっぽ)の『あの時分』(明治三十九年)を例に挙げながら、君に当時の「青年」(ひと)たち......と、この作品では「青年」に、ことさら「ひと」というルビが振ってあるけれども、そのような「あの時分」の「青年」(ひと)たちの「気風」と、その読書体験について、なつかしい話をしていたのであった。

でも、それを「なつかしい」と言ったのは、もちろん、僕が明治四年(1871年)に生まれ、わずかに数えの38歳、満年齢に直せば、たかだか36歳に過ぎない年(明治四十一年→1908年)に亡くなった、この作家と同じ「あの時分」を共有し、それを「なつかしい」と感じているからでは、さらさら無い。むしろ、この「なつかしい」という語に「中世以後に生じた意味」と、いつもの『日本国語大辞典』(2006年、小学館)が説明し、第二の語釈に置いている、要は「過去の思い出に心がひかれて慕わしいさま。離れている人や物に覚える慕情についていう」際の「なつかしい」という語義を、ここで僕は宛がっている訳ではないのであって、そこには「心がひかれ、離れたくないさま。愛着を覚えるさま。魅力的だ。慕わしい」という第一の、この語の本来の意味が、強く表に出ている次第。

その意味において、この「なつかしい」という語が話題になると、いつも僕が決まって、くりかえし想い起こさざるをえないのは、あの『万葉集』(巻第七、1195)の中で、いわゆる万葉仮名を使って「夏樫」と表記されている、この「なつかしい」という語の古い、昔の語感であり、こちらの語感の方が、はるかに僕には「なつかしい」のである。とは言っても、一方で国木田独歩の『あの時分』に漂っている、切ないまでの「なつかしさ」が「過去の思い出」や、しばしば訳の分からない理由で、なぜか「離れている人や物に覚える慕情」であることも、疑いがなく、その点も含めて、僕は以下に『万葉集』の「木の国」(=紀の国)の歌と、さらに国木田独歩が『あの時分』の末尾近くに書き遺している一節を、かつての「濫読の時分」に引き続いて、もう一度、掲げ直しておくことにしたい。

 

麻衣(あさころも)

着(け)れば夏樫(なつかし)

木の国の

妹背(いもせ)の山に

麻蒔(ま)く吾妹(わぎも)

 

そう言いますと、あの時分は私も朝早くから起きて寝るまで、学校の課業のほかに、やたら〔、〕むしょうに読書したものです。欧州の政治史も読めば、スペンサーも読む、哲学書も読む、伝記も読む、一時間三十ページの割合で、日に十時間、三百ページ読んで〔、〕まだ読書の速力が〔、〕おそいと思ったことすらありました。そして〔、〕ただ〔、〕いろんな事を止め度もなく考えて、思いにふけったものです。〔改行〕そうすると、私も〔、〕ただ乱読したというだけで、樋口や木村と同じように夢の世界の人であったかも知れません。そうです、私ばかりではありません。あの時分は、だれも〔、〕みんな〔、〕やたらに乱読したものです。

 

ちなみに、この一節を目下、僕は手許の岩波文庫(『号外・少年の悲哀』)から引用しているけれども、僕が一番、国木田独歩に読み耽ったのは、おそらく二十代の後半から三十代の前半であり、その頃は驚くべきことに、彼の小説中の風景と思(おぼ)しきものまで、何度も夢の中に姿を見せるほどであったが、それは当然、僕の錯覚に過ぎない訳であろうから、いたって身勝手な話である。まあ、そのようなことを言い出すと、この『あの時分』という作品においても、語り手の「私」(=窪田)が雪の夜、同じ下宿に住んでいた、先刻の引用中の「木村」と連れ立って、二人で足を運んだ「キリスト教の会堂」も、その行き帰りの道や、彼らが頭から被っていた「赤毛布」(あかけっと)と一緒に、どこかで僕の経験したことのあるような、不思議な感触として想い起こされるのであった。

ところで、この折の「木村」にしても、あるいは「どことなく影が薄いような人」でありながら、それにも拘らず、なぜか「艶福」(エンプク)で、幾人もの女性と付き合い、とうとう仕舞いには下宿先の主人(あるじ)の後家の「おッ母(か)さん」や、おそらく「海山千年〔=海千山千〕の女郎」とまでも関係を持ち、そのような二股が露顕して、身を持ち崩してしまう「樋口」にしても、彼らが揃って「どこか似ている性質があるように思われます」と、先刻の引用の直前に、主人公の「私」の感慨として、国木田独歩が書き記しているのは印象的である。――「それは性質が似ているのか、同じ似た〔、〕そのころの青年の気風に染〔なじ〕んでいたのか、しかと私には判断が〔、〕つきませんけれども、この二人は〔、〕とにかく〔、〕ある類似した色を持っていることは確かです」。

と、このような感慨を「私」が漏らして、そこから話は先刻の引用へと、にわかに繋がっていく訳である。と言うことは、どうやら国木田独歩の称している「乱読」とは、昨今の君や僕が「むやみやたらに読むこと。いろいろな書物を手当り次第に読むこと」(『日本国語大辞典』)という形で使っている、ごく普通の「乱読」とは趣(おもむき=面向)の違う、もう少し複雑な、込み入った「書物」観や「読書」観や、それどころか、そこには「人間」観さえもが包み隠されている、含蓄の豊かな語彙(ヴォキャブラリー)でもありえたのではなかろうか。また、そのような豊かさを表現するためにこそ、そこに国木田独歩は「あの時分」という言い回しを宛がい、それを「夢の世界」とも呼び直したり、あるいは「霧」や「雪」によって、それを象徴させたりもしていたのでは、あるまいか。

ともかく、そのような「霧」や「雪」の中に留まらせることによって、はじめて想い起こすことの叶う「書物」や「読書」や「人間」が、君には存在しているであろうか。存在しているとすれば、きっと君は今まで、いわゆる「乱読」という名で呼ばれ、それ以外の名で呼ぶことの難しい、ある種の「読書」や、さらには「書物」と「人間」の関係に、その身を深く、揺すぶられたことがあったに違いない。そして、そのような関係を、ここで僕は君に「教養」という語と結び付けて、語りたい誘惑に駆られている。なにしろ、僕にとっても「教養」とは、それが現在、僕の血肉になり、大袈裟(おおげさ)に言えば、僕を教え、養ってくれている、何かではあっても、その成り立ちを遡ると、僕を国木田独歩と同様、僕自身の「あの時分」へと、はるかに連れ戻してくれるものでもあったから。

言い換えれば、そのような「あの時分」に立ち返り、振り向くと......そこでは誰しもが「何を勉強していたのか」――また、その折に「何を読んでいたかしらん」と想い起こしても、そこでは「机に向いていた事は〔、〕よく見たが、何を専門にやっていたか、どうも思いつかれぬ」ような記憶の断片が、お互いの頭の片隅に漂っているだけであり、それは例えば、この小説中に姿を見せる「木村」が、語り手の「私」から「常に机に向いていました、そして聖書(バイブル)を読んでいたことだけは今でも思い出しますが、そのほかのことは記憶にないのです」と、いかにもアヤフヤな姿だけを留めていることにも、はっきり示されている。が、それも翻れば、このような「あの時分」を共有する者同士が、その「乱読」の果てに手に入れる、なつかしい限りの特権では、ありえたであろうが。

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