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近親相姦について(承前)――「教養」の来た道(241) 天野雅郎

岬(みさき)という日本語(と言うよりも、和語)が、とても好きである。ちなみに、この語を中国語(と言うよりも、漢語)で音読すれば、呉音では「キョウ」となり、漢音では「コウ」となるけれども、いずれにしても、この語は中国では字面の通りに、山の甲(=峡)を指し示し、そのまま二つの山の間に挟(さしはさ=挿)まれた、いわゆる狭間(はざま=迫間)を意味している。ところが、この語を日本人は古くから、なぜか「みさき」と訓読し、しかも、そこに二つの山の間ではない、二つの水の間、とりわけ、二つの海の間に挟まれた場所をイメージし、その「海中に突出して屈曲した」(白川静『字統』1984年、平凡社)姿を表現するために、この岬という字を宛がい、使い続けて、今に至る訳である。――「中国では両山の間、わが国では両水の間のところをいう」(同上)。

なお、この点を少しばかり、白川静(しらかわ・しずか)の『字訓』(1987年、平凡社)を用いて、補い直しておくと、そもそも「みさき」とは「海や湖などの中に突き出ている陸地。「み」は接頭語。「さき」は突出している先端のところ。そのような岩鼻のところは海難などが多く、これを〔、〕うしはく〔領→主領する〕神がいると考えられていた。道(みち)・宮(みや)・峯(みね)なども同じような構造の語」とあるから、この語の成り立ちは以上で、ほぼ察しは付く。言い換えれば、このようにして「わが国の地勢は海岸に屈曲が多く、また海の難所が多いために、山の隈(くま)とともに、海の埼々が信仰の対象となった」のであり、そのような「わが国の地勢」の産み出した、はなはだ固有の表現媒体として、この「みさき」という語を君や僕は、まず理解しておく必要がある。

その意味において、この岬(みさき→御先・御前・御埼......)という語は君や僕が、ある種の地勢学(topography=地形学)を必要とし、求められる場所でもあれば、それと同時に、そこには日本人の神(かみ)の捉え方や、その神性(=神聖)への信仰が積み重なり、折り畳まれ、幾重(いくえ)にも層を成し、成層している場所でもあることが見逃されてはならない。要するに、それは例えば、僕が目下、寓居を構えている和歌山の和歌浦の、隣(奥?)にある雑賀崎(さいかざき)や、あるいは紀伊水道を南下して、日高町と美浜町の境に位置する日ノ御埼(ひのみさき)や、さらには本州最南端の地、串本町に付き出した潮岬(しおのみさき)を筆頭にして、君や僕が広く、そこに宗教学や倫理学の知見を総動員し、人間の幸福を問い掛けなくてはならない場所でも、ありえた訳である。

ところで、そのような和歌山の岬(みさき)を次から次へと、僕が経(へ)めぐり始めたのは、もう今から四半世紀(25年!)以上も昔のことになるけれども、そのような旅に出ようと思い立ったのは、ひとつには僕の郷里(島根県松江市)の周辺に点在している、まったく同じ名の「日御碕」(ひのみさき)への興味や、ひいては『古事記』や『日本書紀』に登場する、これまた同じ名の「熊野」に纏(まつ)わる伝承の数々が、僕の心を惹き付けたからに他ならない。また、その頃の僕が「和歌」の勉強を、一から始め直したいと考えていたこともあって、そのような「和歌」の生みの親である『万葉集』を手に、まさしく以下のごとき「古歌」(巻第七、1220)の産み出された現場(scene=舞台風景)へと、僕自身が足を運ぶことは何よりも、その時分の僕には新鮮な喜びでもあった次第。

 

妹(いも)が為(ため)

玉(たま)を拾(ひり)ふと

木(き)の国の

由良(ゆら→原文:湯等)の岬(みさき→原文:三埼)に

此(こ)の日、暮(くら=暗)しつ

 

さて、このようにして平然と、何の躊躇(音読→チュウチョ、訓読→ためらい)もないかのような顔をして、僕は今回も「近親相姦について」という表題を掲げ、君に話を聴いて貰(もら)っている。でも、やがて君も僕のような「狸親父」(たぬき・おやじ)や、場合によっては「狸爺」(たぬき・じじい)や「狸婆」(たぬき・ばばあ)と、世間で陰口を叩かれる齢(よわい=世這)になると、よく分かるであろうが、実は「狸顔」(たぬき・がお)や「狸寝入」(たぬき・ねいり)ほど、狸の得意技はないのであり、そのような顔に出会ったら、まず疑って掛かるに越したことは、ないのである。――と言う訳で、僕は今回も当然、前回に引き続いて、君に「近親相姦」の話を、あれこれ聴いて貰っている心算(つもり)であって、それを君が、どのように判断するのかは君の問題である。

とは言っても、もう君も先刻来、お察しの通り、僕は前回から......それどころか、この一月来、ずっと君に中上健次(なかがみ・けんじ)の『岬』の話を、聴いて欲しくて、聴いて欲しくて、仕様がなかったのであるが、なかなか上手(うま=巧)い話の糸口が見つからず、このようにしてズルズルと、この「芥川賞受賞作」の最後の場面に描かれた、どうやら「近親相姦」(incest=性的冒瀆)らしきシーンに拘泥(音読→コウデイ、訓読→こだわり)を持ち、その周囲をグルグルと、回り続けている訳である。が、あえて誤解のないように申し添えておくと、この小説を僕が今でも――発表時(昭和五十年→1975年)から40年余りを隔てて、すっかり僕も「狸親父」になってしまったにも拘らず、とても好きなのは、この小説の中の文字どおりの、以下のごとき「岬」の表現方法なのである。

 

日が当っていた。眩しかった。芝生が緑色に光っていた。あまり日射しが強いために、緑の芝生は、濃く黒っぽく見えた。岬の突端にある木が、海からの風を受けて、ゆっくりと揺れていた。梢がたわみ、元にもどり、また、たわむ。この木の他に視界を遮るものはない。空と海だけだった。寝転んだ腹に芝生が、くすぐったかった。彼は見ていた。姉は〔、〕ぽつんと肩を落して、花模様のついた〔、〕かごを膝に抱えて坐っていた。化粧っ気がないため、そばかすが目立った。目尻に細かい皺があった。〔中略・改行〕姉は眼を細める。潮風が、間断なく、下から上ってくる。平日なので、人はいない。〔中略〕彼の眼の前に、姉がいた。体が、優しく、柔らかくみえた。写真の父親に〔、〕そっくりだった。「楽しいねえ」姉は言った。

 

ずいぶん、おかしな連想(association)のようであるけれども、この『岬』という小説を最初に読んだ時、ふと僕は、なぜかフランツ・カフカの『変身』を想い起こし、その想起(remembrance)が一体、何に起因するものであるのか、自分でも不思議に感じていたことを、よく憶えているが、今にして振り返れば、このようにして僕が中上健次という作家に興味を持ち、その小説作法に共感(sympathy)を抱くことが出来るのは、きっと彼の、このような「自己消去」と言おうか「自己消散」と言おうか、それとも「自己消失」と言おうか「自己消滅」と言おうか、ともかく、みずからの「自己」を消し、その「自己」が消えることによって、はじめて姿を見せることの叶う、あたかも動物や、突き詰めれば植物の、変態(Verwandlung)にも似た行動を、僕が彼の作品に読み取るからに違いない。

と言うよりも、それは行動ではなく、その行動を介して、そこに見えてくる視界や、むしろ視線の問題であろう。すなわち、このようにして世界から、みずからが姿を隠し、隠れることによって、そこに映し出される空や海や、光や風や、木や草や......そして、ほかならぬ人(ひと=他)が「写真」のごとく、お互いに集い、寄り添い、あたかも「家族」(family)のように目を細め、微笑(ほほえ=頬咲)み合っている状態こそが、僕にとっては端的に、中上健次の小説世界に他ならないのである。その意味において、どこかで彼の文学は「写真」や、その活動状態である「映画」(=活動写真)と深く結び付かざるをえず、その虚構や錯覚も含めて、そこに「岬」(みさき)という幸福の舞台を、いわゆる「さきはひ」(→さきわい→さいわい)という形で、求めざるをえないのでもあろう。

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