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島と岬の話(第五話)――「教養」の来た道(250) 天野雅郎

美(うつく)しい、という日本語の意味が、どうやら昨今の日本人には分からなくなってしまったのではないか知らん、と常日頃、僕は感じていて、例えば白川静(しらかわ・しずか)の『字訓』(1987年、平凡社)を引くと、この「うつくしい」(→うつくし)に対して「愛」(音読→アイ)という漢字が宛がわれていること自体、君には予想外(想定外?)の事態であったのではなかろうか。すなわち、そもそも日本語で「うつくしい」と言う場合には、そこに第一に「肉親的な愛情」が指し示されており、そこから「幼く小さなものを〔、〕いつくしむ感情を、他のものにも及ぼしていう」のが順序であった訳である。なお、さらに同辞典に従えば、ここから「うつくしぶ」や「うつくしむ」という動詞形も生まれ、また「うつくしび」や「うつくしみ」という名詞形も導き出されている。

さて、このようにして振り返ると、君や僕が一般に、何の躊躇(音読→チュウチョ、訓読→ためらい)もなく、そのまま「うつくしい」という日本語に対して漢字の「美」(ビ→漢音、呉音→ミ)を重ね合わせるのは、いささか......と言うよりも、はなはだ要注意であったことが分かる。なにしろ、これまた白川静の『字統』(1984年、平凡社)を踏まえると、もともと「美」とは「羊の全形」を象(かたど=模)り、かつて中国では「羊の肥美の状を示し、神に薦むべきもの」であったからである。言い換えれば、この「美」という漢字は元来、このようにして神に「羊」を供え、いわゆる生贄(いけにえ=犠牲)とする際の「形の美、肉体の美」を表現する字であって、そこから「さらに移して人の徳行や自然風物の美しいことをいう」ようにもなったのが、この漢字の辿った来歴であった。

要するに、中国語においては端的に、大きさを指し示し、日本語においては反対に、むしろ小ささや幼(おさな=長無)さを意味していたのが、この「美」という漢字と、その訓読の一つである「うつくしい」という日本語であった。したがって、この日本語に対して日本人が、まずもって「愛」の字を用いたのも、それは「愛」が君や僕の「後ろを顧みて立つ形」(『字訓』)をイメージさせるからであって、例えば「後ろに心惹かれる心情を示す字で、ぼんやりと立つ姿を僾(あい)という」のも、あるいは「曖(あい)は光の〔、〕かげることをいう字」であるのも、まったく起源は同一であり、そこには君や僕の曰く言い難い、朧(おぼろ)な思いが包み込まれている。――「愛には〔、〕その系列字からみても、「おほほし」〔鬱〕という感情を含んでいることが知られる」(同上)。

ちなみに、この「うつくしい」という日本語や、そこに使われている「愛」という漢字に連なる形で、目下、平均的日本人が一日に何度かは、その口から迸(ほとばし)り出させる「かわいい」という日本語も、これに漢字を宛がえば「可愛」となることからも窺えるように、それ自体は小さなものや幼いものへの愛情や愛着を表現する語である。けれども、その際にも君や僕は、その平均的日本人(average Japanese)の一人として、この語が正しくは「かわゆい」(→かはゆし)に由来しており、君や僕の顔(かお→かほ)が映(は)えるほどに、恥かしさで赤く染まっている状態を指し示す語であることは、やはり弁(わきま)えておく必要があるし、それを忘れてしまうと、きっと君や僕は年端(としは→年歯)も行かぬ子供の姿で、はしゃいでいることにもなりかねないから、ご用心。

ところで、僕が今回、このような話題を君に持ち出したのは、言うまでもなく、岡松和夫(おかまつ・かずお)の『小蟹(ちいがね)のいる村』や『志賀島』において繰り返されている、あの「美しか」という主人公たちの呟きに、もう一度、立ち返りたいからに他ならないのであるが、それは裏を返せば、おそらく君や僕を始めとする、昨今の日本人が見失ってしまったであろう、とても大切なもの......と僕には思われるものに対して、僕が拘泥(音読→コウデイ、訓読→こだわり)の気持ちを捨て切れないからである。――と、このようなことを考えながら、たまたま僕は昨日、福原麟太郎(ふくはら・りんたろう)の『人生十二の知恵』(1987年、講談社学術文庫)のページを捲(めく)っていて、そこに僕の執着している、この「美しい」という日本語の具体例を再発見したのであった。

 

義理と人情というのは、今の時世では流行(はや)らない。〔中略・改行〕義理というのは、他人と自分との関係において起るものだ。自分にとっては〔、〕いつも受身で、他人から何かされたとき、自分が道徳的義務を感じるのである。他人と他人との間に、同じような関係が生じたとき、一方または双方が道徳的義務の関係で結ばれると、義理が生じたということになる。私は〔中略〕そういう感情を美しいと思う。

 

私は〔、〕お人好しなのであろうか。私は最上の好意をもってしたことが、時に、私の足を〔、〕すくうものとして帰ってきたことを知っている。また〔、〕しばしば、それは、彼らの利用するところとなって、私の好意は要するに、道具に使われるために〔、〕おびき出されたに過ぎないと、悔恨のほぞを嚙む経験を〔、〕いくつもしている。彼らとは、そういう最も広義の義理をすら知らない連中のことである。

 

いやはや、何と古臭い物言いであろう、と君は感じる側であろうか。それとも僕のように、このような「義理」や「人情」という日本語の中に、言ってみれば日本人の、古き良き道徳心(moral sense=倫理感覚)や、人間観や社会観や世界観のエッセンスは込められている、と見なす側であろうか。まあ、どちらでも構わないけれども、このようにして福原麟太郎が「美しい」と評している、日本人の「義理」や「人情」の考え方が失われ、その姿を消しつつあったのは、このエッセイが雑誌(『新潮』)に連載されていた年(昭和28年→1953年)から数えても、もう65年近い時間は経っている訳である。したがって、仮に君や僕が「義理」を欠き、その上に「人情」も弁えない、現在の平均的日本人の一人であるとしても、それは驚くべきことでも、嘆くべきことでもないのかも知れないね。

第一、それを福原麟太郎のように本気で怒り、何と「私は、そういう人々こそ地獄に落ちるべきだと思う。人の感情を玩(もてあそ)ぶのは、最も罪が深い」と言い放つことの出来る日本人は、すでに君や僕の周囲には存在せず、せいぜい君や僕は曖昧(アイマイ)に......この語の本来の、本当の語義とは関わりなく、あやふやに人を嫌ったり、憎んだり、その場限りの、実に好い加減な態度で人を批評したりするのが、関の山なのではあるまいか。その意味において、福原麟太郎のエッセイは過激であり、辛辣(シンラツ)であり、痛切でもあるが、それは文字どおりに、人が人を批評することは辛く、刺すように痛く、そこには切れるほどの痛みが伴われざるをえない、切ない行為であることを知っている側の発言でもあろう。――「私は古風であろうか。古風であっても〔、〕かまわない」。

僕自身が個人的に、いつも岡松和夫の小説を読んでいて、そこから想い起こすのも、このような「古風」な人間の姿形(=すがた+かたち)であり、その立居振舞(=たちい+ふるまい)である。その点、彼が昭和四十八年(1973年)の『文學界』に発表し、その翌年の芥川賞(第70回)の候補作ともなった、あの『墜ちる男』の主人公は、その典型例と言っても過言ではない。なにしろ、この男は当時、まだ戦前の日本には珍しかった「自動車」に轢(ひ)かれ、片足を折り、松葉杖を突き、とうとう「祈祷師」となった末、最後には「デパート」の屋上から「日の丸」で身を包(くる)み、その身を投じ、自殺を遂げてしまうのであったから。しかも、それは『小蟹のいる村』の主人公(ユキ)の辿り着いた、例の「篠栗(ささぐり)八十八ヶ所の滝」へと、密かに通じる道でもあった次第。

 

デパートの屋上のポールにも、今日〔十一月三日=明治節〕は国旗が掲げられていた。それは風にあおられ、絶えず〔、〕はばたくような音をたてた。男は〔、〕それを気違いじみた表情で見た。〔改行〕「これは恨み死にですけん。体中の血ば全部流して死にますとやけん。けど、血の量が足りんとですよ。篠栗八十八ヶ所の滝のごと博多じゅうに溢れる血があれば〔、〕よかと思いますとやが」〔改行〕男は〔、〕それから暫くして、諦めたように手を放した。

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