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島と岬の話(第六話)――「教養」の来た道(251) 天野雅郎

何かに対して怒(いか)ったり、誰かに対して怒(おこ)ったりすることが、どうやら昨今の日本人は不得手(ふえて)になってしまったのではないか知らん、と常日頃、僕は感じていて......と、このようにして前回と似たり寄ったりの言い回しで、今回も僕は、君に話を始めているのであるが、それは単純に、この数日来、三木清(みき・きよし)の『人生論ノート』(1954年、新潮文庫)と福原麟太郎(ふくはら・りんたろう)の『人生十二の知恵』(1987年、講談社学術文庫)の二冊の文庫本が、僕の机の上に、並んで置かれているからに他ならず、また、その内の前者の、例えば「怒〔いかり〕について」の中の以下の一文が、ことのほか僕には、身に摘(つ)まされる思いがしているからなのでもあった。――「怒る人を見るとき、私は〔、〕なんだか古風な人間に会ったように感じる」。

ところで、この三木清の文章の冒頭の「怒る人」を、君は「おこる人」と読む側であろうか、それとも「いかる人」と読む側であろうか。当然、これは表題(「怒について」)からして「いかる人」と読むべきはずの箇所であるが、ことによると昨今の日本人は無意識的に、これを「おこる人」と読んでしまうケースが多いのではなかろうか。そのような危惧もあって、念のために付け加えておくけれども、そもそも漢字の「怒」(呉音→ヌ、漢音→ド)を古代(=奈良時代)以降、日本人は「いかる」と訓読してきたのであって、これに「おこる」という訓読の仕方が宛がわれるようになったのは近世(=江戸時代)以降のことである。言い換えれば、後者のイメージには火が起(おこ)るとか、炭が熾(おこ)るとか、何かが急に、激しく燃え立ち、燃え上がるような姿が指し示されている。

したがって、そのような姿が否定的に捉えられ出すと、今度は教育学関連の学問を通じて、もっぱら親は子を、あるいは先生は生徒を怒(おこ)るのではなく、叱(しか)らなくてはなりません、という言説が生まれ、これが実に、もっもらしい言説となって巷(ちまた=道股)に流布したりすることにもなる訳である。でも、もともと「しかる」とは白川静(しらかわ・しずか)の『字統』(1984年、平凡社)を引くと、これは「叱咤(しった)、舌うちして罵(ののし)る意」の擬声語であったから、はたして親が子を、あるいは先生が生徒を、このようにして「叱、叱」(......^^;)と責め立てることは、それが家畜やペットの場合ならば、いさ知らず、少なくとも人間の「教育」という行為に関しては、逆に使用禁止の語ではあるまいか、と僕は思うけれども、さて君は、いかがであろう。

これに対して、むしろ「いかる」は「心のうちから〔、〕はげしく腹立てる」ことが原義であって――と、これまた白川静の『字訓』(1987年、平凡社)には述べられていて、この語は元来、息(いき)の「活用形から生れた語で、はげしい息づかいをいう。腹立ちで力んだ形となる。「厳(いか)し」「いかづち」と同根の語。のち「いからす」「いからかす」という形がある。類義語の「しかる」は〔、〕はげしく叱責する意で、平安期以後に〔、〕みえる語である」と、このように付け加えられている。と言うことは、このような「いかる」という語や、その名詞形である「いかり」が純粋な姿を保っていたのは、ずいぶん昔の話である、とも見なしうるのであって、このような説明を聞くと、ますます前掲の三木清の「古風な人間」という表現が、僕には真実味を帯びてくるのであった。

なお、すでに前回、君に紹介したように、はからずも福原麟太郎が同じ「古風」という語を使い、例の「義理と人情」の一節を「私は古風であろうか。古風であっても〔、〕かまわない」と締め括っていたのは、かなり僕には興味深く、このようにして振り返ると、どうやら人間には「いかる」ことの可能な、その「いかり」を表立たせることの出来る時代があって、その後を追い、それが不得手な、不得意な時代が続き、それぞれ「しかる」とか「おこる」とか、お互いの言い訳を持ち出し、そして最後には、とうとう「いかる」ことも「しかる」ことも「おこる」ことも、ほぼ困難になってしまった時代が、まったく言語矛盾の「キレる」(⇔「堪忍袋の緒が切れる」)とか、あるいは「ムカつく」(→ムカムカ)とか「イラつく」(→イライラ)とか、口走り始めるようになるのであろう。

その意味において、ふたたび三木清が下記のように、はなはだ簡潔に「我々の怒の多くは神経のうちにある」と書き記しているのは、僕にとっては「我が意を得たり」の感が強く、このようにして彼が昭和十三年(1938年)に物した文章が、なぜ僕の、ほぼ八十年後の感性や感覚に通じ合い、響き合う性格を備えているのか知らん、と不思議なほどである。......と、このようなことを感じながら、僕が三木清の故郷(現:兵庫県たつの市)を訪ねたのは、もう今から三十年近くも前のことになるけれども、その当時は、まだ白鷺(しらさぎ)山の中腹にある、いわゆる「哲学の小径」も整備されておらず、ただ草の茫々(ボウボウ)と生い茂った道を辿り、そこに彼の記念碑と、ほかならぬ『人生論ノート』の「怒について」の一節を見つけた瞬間には、それ相応の感慨を催さざるをえなかった次第。

 

我々の怒の多くは神経のうちにある。それだから神経を苛立(いらだ)たせる原因になるようなこと、例えば、空腹とか睡眠不足とかいうことが避けられねばならぬ。すべて小さいことによって生ずるものは〔、〕小さいことによって生じないようにすることができる。しかし極めて小さいことによってにせよ〔、〕一旦生じたものは極めて大きな禍(わざわい)を惹(ひ)き起すことが可能である。〔改行〕社会と文化の現状は人間を甚(はなは)だ神経質にしている。そこで怒も常習的になり、常習的になることによって怒は本来の性質を失おうとしている。怒と焦燥(しょうそう)とが絶えず混淆(こんこう)している。同じ理由から、今日では怒と憎〔にくし〕みとの区別も曖昧(あいまい)になっている。怒る人を見るとき、私は〔、〕なんだか古風な人間に会ったように感じる。

 

さて、このような文章を引き合いに出しながら、僕が君に伝えておきたいのは、まず人間には正当な理由さえ伴われていれば、きちんと「いかる」ことが必要である、という点である。実際、僕自身は見かけ(?)によらず、おそらく昨今の平均的日本人としては意外なほどに、異常なほどに「いかる」性格であって、それこそ日ごと夜ごと、義理を欠いたり、人情を損(そこ)なったり、要は人間として許し難い、許容できない行為や出来事に出合うと、これに対する「いかり」を発せざるをえない側である。が、それが突発的であり、文字どおりに爆発的である分、その「いかり」を常習のものとし、そこから日常的な、習慣的な「にくしみ」や「うらみ」へと、この「いかり」を転化させ、変質させることは皆無である。多分、三木清の言う「空腹」や「睡眠不足」を避けることによって。

ところが、そのような「空腹」や「睡眠不足」や、とりわけ「体操」と三木清の呼んでいる、かつて英語の exercise や gymnastics の翻訳語であった行為を欠き、みずからの身体的で、かつ精神的な訓練や鍛錬や修練や、要は「練習」を怠り、蔑(ないがし)ろにした状態で、結果的に昨今の日本人は「おこる」ことや「しかる」ことや、遂には「キレる」ことや「イラつく」ことや「ムカつく」ことを、繰り返しているのではあるまいか。――と、このようなことを日夜、スマホを弄(いじ)り、ゲームに没頭し、インスタント食品で飢えを凌(しの)いでいる君に向かって話すのは、それが上手く行けば、君の睡眠薬代りにも、なりうるからであり、そのような願いも込めながら、今回は最後に岡松和夫(おかまつ・かずお)の『志賀島』から、あの主人公たちの会話を紹介し、また次回。

 

「竹元はアメリカば恨〔うら〕んどるね」宏は聞いた。

「そげなことは分らんが、一つ一つたどってゆくと、何(なあ)も恨んどらんね。〔中略〕考えてみれば、誰(だあれ)も恨んどらん。母ちゃんや婆ちゃんなら恨む相手もおろうが、もう死んでしもうとる。何(なん)か不思議かごとあるね」

「青柳はどうね」竹元が聞いてきた。

「うちも分らん」宏は正直に答えた。

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