ホームメッセージ島と岬の話(第七話)――「教養」の来た道(252) 天野雅郎

メッセージ
メッセージ

島と岬の話(第七話)――「教養」の来た道(252) 天野雅郎

さて、今回で「島と岬の話」と題した、このブログ(weblog=網状談話)にも一応の、相応の「落とし所」を見つけようかな、と僕は考えているけれども、それが果たして君との間に、ある種の妥協点や決着点を設けることになりうるのかどうか、それを気にして、あれこれ下準備をし、下工作をすることを日本語で、いわゆる「根回し」と言うのであるが、このような「根回し」を嫌いで、嫌いで仕方がなかったのが、例えば今回も、君に紹介をする三木清(みき・きよし)や福原麟太郎(ふくはら・りんたろう)のような哲学者や文学者である。そして、それは後者の『人生十二の知恵』(1987年、講談社学術文庫)に従えば、そもそも人間は「組織の中の個人」であるべきなのか、それとも「独立した個人」であるべきなのか......この、まさしく「現代の人間」の不可避の選択肢であった。

 

現代の人間は、組織の中の個人と、独立した個人とに分れる。〔改行〕これは、現代の避け難き運命であるようだ。〔中略・改行〕文学は、独立した個人によって、手工業的に作られるものとせられてきた。現に私は、いま、どんなに人に笑われようとも、自分の言いたいとおりのことを言ってみようとして、丹念に一画ずつ、文字で紙を埋めていっている。しかし、文学も、組織的個人のものであり、文学に描かれるものは、独立した個人の恣意(しい)であってはいけない〔、〕という説が、一部では、すでに行われているではないか。

 

と、このように福原麟太郎が書き記しているのは、しつこいようではあるが、昭和二十八年(1953年)の時点であって、今から、もう65年近くも昔の話である。が、このような彼の、物言いに耳を傾けていると、少なくとも僕個人は、いったい自分が「現代の人間」の一人として、みずからを「組織の中の個人」(=組織的個人)として位置づけてきたのか、それとも「独立した個人」として位置づけてきたのか、目の眩(くら=暗)むような感覚に捕らわれざるをえないのが正直な感想である。なにしろ、このようにして彼が『人生十二の知恵』の中の「徒党について」で述べていることは、読めば読むほど、この65年近くの時間を帳消しにして、そのまま近年の、それどころか最近年の、この「日本国」や「日本人」や、そこに飛び交う「日本語」にこそ、あてはまりうる事態であったから。

 

徒党を集め、雷同的に一致させて、数で制するという〔、〕この方法が、小学校から大学に至るまで、流行している。個人の意見というものは全く意味をなさない。〔中略・改行〕何らかの意志を行おうとすると、独立した個人では駄目である。組織の中の器械的なデクの棒、組織的個人でなければならない。その組織的個人が、器械的に組織に盲従していると、その組織は、容易に徒党化し、少数の人々の支配下に、正を曲げても恥とせず、私利をはかっても当然と考えるようになる。現代民主主義の危険は、そのようなところにあるのではないか。

 

お望みとあらば、ここに三木清の『人生論ノート』(1954年、新潮文庫)の「偽善について」の最末尾から、以下のごとき一節を付け加えることも可能であろう。なお、ここで三木清が「現代」と呼んでいるのは、繰り返すまでもなく、昭和十六年(1941年)の時点であったから、念のため。――「現代の道徳的頽廃(たいはい)に特徴的なことは、偽善がその頽廃の普遍的な形式であるということである。これは頽廃の新しい形式である。頽廃というのは普通に形がくずれて行くことであるが、この場合〔、〕表面の形はまことによく整っている。そして〔、〕その形は決して旧(ふる)いものではなく全く新しいものでさえある。しかも〔、〕その形の奥には何等の生命もない、形があっても心は〔、〕その形に支えられているのでなく、虚無である。これが現代の虚無主義の性格である」。

いやはや、これは何と言う、呆れ返るべき事態なのであろう。どうやら三木清や、先刻の福原麟太郎の言を踏まえれば、君や僕が「現代」と称し、まるで最近の、ごく僅かな時間しか経っていない、と信じ込んでいる時代は、驚くべきことに、すでに今から60年以上も、あるいは80年近くも遡って、その露(あらわ)な姿を露呈し、露顕させていたのであって、それを「現代」と名付けることすら憚(はばか)られるほどである。と評するよりも、それが「現代」という語には相応しい、その名の通りの現(うつつ=全+空+虚)の世の姿であり、形である......と、あたかも仏教者風の覚(さと=悟)りを開くことさえ、許されるであろうか。ともあれ、このようにして振り返ると、君や僕が「現代」という語を使い、あまり性急に、短気な頭の使い方をするのは禁物(きんもつ)のようである。

ところで、この数週間、僕が君に紹介を続けている、岡松和夫(おかまつ・かずお)や中上健次(なかがみ・けんじ)の小説世界は、それが小説世界であっても、君や僕に大切な、この現実世界の見取り図や、そこに君や僕が生きていく上で必要な、必須の頭の使い方や心の持ち様を、はなはだ具体的なイメージを伴って、君や僕に提供してくれるのであり、それが端的に言えば、きっと「文学」という人間の営みと、その産物の存在理由であるに違いない。おまけに、もともと「文学」(literature)とは字義どおりに、そのまま文字(litera)に関する理論であり、その実践でもある以上、そこには必然的に、あらゆる人間の文化(culture=教養)が含まれることにもなるのであって、例えば「哲学」が古来、常に「文学」と双生児のごとき関係を保っているのも、その理由は明瞭であった。

ところが、今回の冒頭に引用した、福原麟太郎の「徒党について」の一節の通り、困ったことに「現代の人間」は、このような「文学」や「哲学」をも「組織の中の個人」(=組織的個人)の作業と見なし、それを体(てい)よく、アカデミックの語で覆い、繕(つくろ)い、逆に「独立した個人」の「恣意」や、自由な発想や創意や工夫に「文学」や「哲学」が基礎づけられることを、ひどく嫌い、厭(いと)い、蔑(さげす=下墨)む傾向が顕著なのではなかろうか。その結果、昨今の大学では「文学」や「哲学」が、いちじるしい不興や不評の対象となったり、あげくのはてには自分自身で、おのれの首を絞め、やたら「哲学」と「文学」を切り離し、引き裂きに掛かろうとする、奇妙キテレツな「哲学学者」(philosophiologist)までもが登場したりするのが「現代」という時代であった。

まあ、彼ら(あるいは、彼女ら)にとっては、おそらく「哲学」は学問であり、科学であって、それは政治学や経済学や統計学や、法律学や歴史学や教育学や、とりわけ社会学のような「社会科学」(social science)に属するべきものである、という思い込みがあるのであろう。また、その一方で「哲学」は「文学」のような「人文学」(humanities)とは一線を画する、あくまで「人文科学」(human science)であらねばならず、その意味において、要は「哲学者」(philosopher)が「科学者」(scientist)にまで格上げをされない内は、枕を高くして眠ることの出来ないのが、このような「哲学学者」の習性であり、習癖であるのでもあろう。したがって、そのような彼ら(あるいは、彼女ら)から見たら、結果的に一番、目の敵(かたき)にされるのが文学者であるのは、分かり易い。

でも、それほど「文学」と「哲学」が疎遠の仲ではなかったことは、何よりも「文学」と「哲学」の歴史自体が明(あか=証)していることであり、よほど「文学」や「哲学」の歴史に疎(うと)く、もっぱら古代か中世か近代か、あるいはドイツかフランスかイギリスか、その、はなはだ狭窄(キョウサク)な目でしか「文学」や「哲学」を見ることの叶わない、自称「専門家」であれば、いさ知らず、そもそも「専門家」とは特殊な、知識や技能の修得者(specialist)である前に、何よりも多くの、豊かな知識や技能の告知者(professional)であらねばならなかった次第。そして、そうである以上、君は心置きなく、この「夏休み」にも安心して、韻文であれ、散文であれ、広く「文学」や「哲学」の本を手に取り、そのページを捲(めく)って構わないのであり、捲るべきなのである。

教養の森に関するお問い合わせはこちらまで 和歌山大学学生センター 学務課

| 所在地:〒640-8510 和歌山県和歌山市栄谷930 | 電話番号:073-457-7130 |

Copyright ©2012 - 2017 Wakayama University