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『化粧』を読む(承前)――「教養」の来た道(263) 天野雅郎

再度、前回の「大男」の話を続ける。ごく単純に言えば、この「大男」は『化粧』の著者(author)に当たる、中上健次(なかがみ・けんじ)のことである。ただし、この「著者」は字義どおりに、そのまま増加し、増殖し、増大し(augere)続ける者でもあって、この『化粧』という「短篇小説集」においても、この性格は顕著である。とは言っても、僕自身は実際に、この著者が生きていて、動き回り、歩き、走り、喋ったり、大酒を飲んだり、泣いたりしている姿を......目の辺(あた)りにしたことが、ある訳ではないから、彼が本当に「身長一メートル七十三、体重九十五キロの、戦後の今日でも〔、〕けっして普通ではない大男の類に入る人間だった」のか、どうかを確かめる術(すべ)はないし、そのこと自体には、ほとんど(まったく?)と言っても構わないほどに、興味がない。

ちなみに、ごく単純に言えば、と繰り返すけれども、目下、日本人の平均身長と平均体重は、この数年の調査(総務省「国民健康・栄養調査」)では、おおむね男性が160㎝ に60㎏ ほどであり、女性が150㎝ に50㎏ ほどであり、この数字は21世紀以降、と言うよりも、平成以降、あまり変化していない模様である。と言い出すと、たちまち君は「エエ~」という奇声を発するであろうが、この数字は言うまでもなく、いわゆる老若男女を通じてのものであり、そこには大人から子供まで、すべての日本人が含まれている。と言うよりも、含まれているからこその「平均」(average)であって、これを年齢別や学年別に捉え、背が高いとか低いとか、肥っているとか痩せているとか、あれこれ思い悩むこと自体が、要は学校(school=余暇)という制度に囚われた、悪い頭の使い方なのである。

とは言っても、やはり如何(いかに→いかん)せん、幼い頃から学校で、やれ身長測定だ、やれ体重測定だと、いったい誰(何?)のための測定なのかも分からないまま、君や僕は無理矢理、このような「測定」を強要され、強制されてきたのであり、そこから逃れて、自由な頭の使い方をすること自体が、困難であるのは分かり切っている。でも、あたりまえのことではあるけれども、人は一生、学校にいて、学校に縛られ続ける訳ではないし、例えば君が日常生活に際して、みずからの周囲を見渡せば、そこには大人から子供まで、実に多くの人が暮らし、生きているのであり、そのような人と人の間を日本語では、古くは「世間」と称し、新しくは「社会」(society→人間交際→福澤諭吉)と呼び、そのような場に生を営む存在に対して、そのまま「人間」という名を与えたのでもあった。

さて、このような話を今回、僕が始めたのは、どうやら『化粧』という「短篇小説集」に登場する「大男」たちは、それが「著者」である中上健次であっても、あるいは、ほぼ彼の等身大(ライフ・サイズ)の「分身」と評しても構わない、あの「彼」であっても、はたまた、この作品中を徘徊(ハイカイ)し続ける、さまざまな「彼」に縁(ゆかり)の「化身」であっても、これらの「大男」たちは悉(ことごと=事々)く、僕の目から見れば、みずからが「大男」であることに囚われ、囚われ過ぎている存在であって、そのような囚われから逃れて、もっと自由に振る舞うことは出来ないのか知らん――と、いつも他人事ながら、気を揉(も)んでしまい(......^^;)この「短篇小説集」も終始、そのような苛々(イライラ=刺々)した、時にはジリジリした感じを持って読み通したのである。

例えば、この「短篇小説集」の冒頭に置かれた「修験」(しゅげん)の開始早々から、この「大男」は「高校時代に相撲と柔道をやっていた」とか、その得意技は「強引」この上ない、技(わざ)と称するには気の引ける「力まかせのものだった」とか、さらには、この「大男」は「コンパ」の帰り掛けに駅のホームで、何と「意中の女の子が電車に乗ってしまうと、突然〔中略〕何を思いついたか、走り出した電車の窓にとりすがり、電車を停めてしまった」上に、その「女と結婚した」とか、要は「彼」が「大男」であり、その「大きな身体を〔、〕もてあまし〔、〕制御できかねて」いるが故の――「体力と生命力が〔、〕ありすぎる者」であるが故の、さまざまな破壊行為や生殖行為や殺傷行為を繰り返し、それが「大男」の「伝説」となり、次から次へと並べ立てられているのである。

まあ、そのような「伝説」も一人の人間の、個人的なエピソード(episode=挿話的出来事)に留まり、それが物語の脈絡とは、あまり繋がらない所に収まっていれば、それは結果的に、ある種の「逸話」(anecdote)ともなりうるであろうが......僕が気掛かりなのは、そのような「伝説」が唐突に、この「短篇小説集」では「紀伊の国〔、〕牟婁〔むろ〕の郡〔こおり〕熊野の村」と結び付いたり、この「大男」が最初から、ごく自然に「熊野の男」として前提されたりするような、下手をすると、安易な馴れ合い(collusion=共謀)が含まれていることなのである。――「熊野というのが、いったい〔、〕どういうことを意味するのか、どういう処なのか〔、〕さておいて、熊野の男だという〔、〕その言葉だけで、あいつは〔、〕ああそうかと、人に合点させるところがあった」(同上)。

もちろん、このような「合点」は「熊野」に対しても、また「熊野の男」(→「熊野の女」?)に対しても、ほとんど何も知らず、弁(わきま)えていない、無関心な第三者の理解(すなわち、早合点)に留まるものであり、そのような事態まで一括りにして、この場で僕は「伝説」という語を論(あげつら)っているのではない。けれども、もともと伝説(legend)とは字義どおりに、書かれ、読まれ、話され、聞かれ、そのような行為を介して、ある何かが、また、ある誰かが伝承となり、伝統となり、伝奇(romance=物語)となる、地続きの営みであった訳であり、そこに例えば「熊野」や「熊野の男」の姿が画一的に、無媒介に持ち込まれ、宛がわれてしまうのは、とても残念であるし、むしろ危険な一面すら、そこには包み隠されているのではないか知らん、と気を揉まざるをえない。

その意味において、この『化粧』という「短篇小説集」において、僕は中上健次が前回も引用した通り、その「後記」で「短篇小説」を「小さいものの力」と呼び、そのような「小さいものは時として、神人ほどの力を持つ」と書き記していたことに対して、それ相応の安堵を催さざるをえないし、それが「熊野」や「熊野の男」に関しても、そのまま重なり合うものであったことを、願わずにはいられない。そして、それは「元々〔中略〕体か大きかったし、体力にも自信があって」(「楽土」)そのことで逆に、いつも大酒を飲み、喧嘩をし、とうとう「家族」も「家庭」も粉々にしてしまった......この「大男」が時を経て、まるで「修験」のように「熊野」の山中を彷徨(さまよ)い、流離(さすら)った末に、やっと「想い出す」ことの叶った、あの「小さいものの力」でもあった次第。

 

彼は今、想い出す。娘が歩き始めた頃〔中略〕娘をつれて散歩した。今日は〔、〕このコース、明日は〔、〕あのコースと決まっていた。花が庭に咲いている家を〔、〕いつも必ずコースの中に入れた。山鳩の鳴いている雑木林もそうだった。娘は「ホーホー」と山鳩の声をまねた。その武蔵野の面影が残る林の道端に、小さな草の花が咲いていた。しゃがみ込み、「はな、はな」と娘は言い募った。彼が、そうだ、それが花だ、よくみつけた、と認め〔、〕うなずくまで、力を込めて言ったのだった。(「楽土」)

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