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『蛇淫』を読む(承前)――「教養」の来た道(265) 天野雅郎

中上健次(なかがみ・けんじ)の『蛇淫』が河出書房新社から出版されたのは、今を遡ること41年前の、昭和五十一年(1976年)のことである。そして、それを目下、そこから4年後(昭和五十五年→1980年)に刊行された角川文庫版で、僕は読み直している所であるけれども、この『蛇淫』には表題どおりの「蛇淫」から始まって、合わせて6本の「短篇小説」が収められている。――以下順次、それぞれの掲載雑誌も含めて、その名を列記しておくと、まず「蛇淫」(『文藝』)と「荒くれ」(『すばる』)と「水の家」(『季刊藝術』)が発表されるのは昭和五十年(1975年)で、残りの「路地」(『群像』)と「雲山」(『文學界』)と「荒神」(『野生時代』)が発表されるのは翌年のことになる。すなわち、この6本の「短篇小説」の執筆時期は、ほとんど重なり合っていた訳である。

さらに、この内の「蛇淫」と「荒くれ」が雑誌掲載をされた折、まったく同じ月(9月)には「浄徳寺ツアー」(『文芸展望』)が発表されているし、さらに翌月(10月)には、今度は「水の家」と「岬」(『文學界』)の掲載が重なり合っている。また、ここには前々回、僕が君に紹介を済ませておいた、あの『化粧』の中の「天鼓」(『風景』)も、その名を連ねることになる。おまけに、この前の月(8月)には「浮島」(『青春と読書』)と「穢土」(『風景』)が先立ち、ここに彼の最初の「エッセイ集」(『鳥のように獣のように』)も加えれば、よくも......まあ、これほど多くの作品を同時期に、一人の作家が短時間で執筆し、発表することが出来たものだと、当時の時代状況や「雑誌文化」(→『化粧』を読む)や、そこに現在との落差も含めて、いろいろ僕は考え込まざるをえない。

ともあれ、その上で僕が、この場で君と共に確認しておきたいのは、やはり中上健次という作家にとって、この時期が重要な、はなはだ重要な意義を持っていたことであり、その意味において、この『蛇淫』という「短篇小説集」も単に、そこに「芥川賞作家」の受賞作(「岬」)と並ぶ時期の、言ってみれば、その素描(デッサン)となるような作品群が収められている――という副次的な役割ではなく、それとは異なる役割が、発見されなくてはならないはずである。事実、この「短篇小説集」のページを君や僕が丹念に捲(めく)れば、そこには「岬」という代表作が生まれるに当たって、この作家が、どのような「小説作法」を会得し、会得する必要があったのかを窺わせる、貴重な証拠資料(ドキュメント)が保存されていることも、君や僕は、理解することが叶うのではあるまいか。

ちなみに、この「短篇小説集」では前回、君に話を聴いて貰(もら)った「蛇淫」を筆頭に、すべての物語が中上健次の「郷土」(=熊野)を、その舞台にしている。したがって、この角川文庫版の解説(川村二郎)が指摘しているように、それが日本の近代文学の主流(メーンストリーム)でもあった、いわゆる「自然主義風郷土文学」に通じる趣(おもむ=面向)きを備えていることも、否定できないであろう。が、それが従来の「郷土文学」とは違い、それぞれの「土地と〔、〕そこに生きる人間との親和関係」を牧歌的に謳(うた)い上げるのでもなく、また、そのような「親和関係」に「歯噛(はが)み」をしつつ、そこで「不本意ながらも決して土地を離れることがない。離れることができない」人間を、その主人公とするのではないことも、やはり君や僕は憶えておく必要がある。

言い換えれば、この「短篇小説集」に登場する主人公(hero=半神)たちは、その有り余る「体力」や、そこから必然的(それとも、偶然的)に迸(ほとばし)り出る「暴力」を通じて、このような「親和関係」を壊(こわ=毀)し、それを突き破ろうとする主人公たちであった。そして、その典型が例えば、前回の「蛇淫」の主人公であったり、あるいは「荒神」の中で、次から次へと殺人を繰り返す、あの「消化器」売りの「インチキ・セールスマン」でもあったりした訳である。けれども、それでは彼らが、この境界を自由に突破し、それまでとは異なる、別の世界へと飛翔し、飛躍することが出来るのか......と言えば、それは別問題であり、むしろ彼らは結果的に、この「破壊衝動」に衝き動かされながらも、その衝動を完遂しえないまま、そこに立ち尽くすことにも、なるのであった。

このような事態を、先刻の解説は「苛立(いらだ)ち、足ずりし」とか、また「主人公たちにも〔、〕けじめは〔、〕はっきり〔、〕ついていない」とか、実に巧みに表現しており、そして「そう考える時、人間と土地は一体の存在となる」と、この「短篇小説集」では「土地そのものが、ある暗鬱(あんうつ)な狂熱にとらわれていて、おのれの狂熱に人間を巻きこんで行くのではないか」と、はなはだ興味深い見解を提示している。実際、この「短篇小説集」を読んで、おそらく君や僕が一番、印象に残る箇所があるとすれば、それは以下の「荒神」の末尾に描かれた「海」のような、まさしく「土地そのもの」であったのではないか知らん、と僕は思うけれども、さて君は、いかがであろう。――「海の波音が、びっくりするほど大きく聴こえる。海が呼ぶ、手招きする、と彼は思った」。

 

砂浜を、歩いた。波音が耳いっぱいに響く。しゃがみ込んだ。光が、海一面に当って、はねていた。ちょうど、湾になっている。〔中略〕波は寄せる。引く。海が、どこまでも海のまま続き、彼の町の浜にも、今、この波と同じように打ち寄せ、くだけ、這っていると思った。それが不思議だった。海はある。彼も、ある。

 

このような「海」が、この『蛇淫』という「短篇小説集」において、とりわけ女性(=母性)のイメージを伴っていることは、疑いがないし、その限りにおいて、ここには例えば、あの三好達治(みよし・たつじ)の『測量船』の中の「海」が、はるかに谺(こだま=木霊)していることも確かであろう。......「海、遠い海よ! と私は紙にしたためる。海よ、僕らの使ふ文字では、お前の中に母がゐる。そして母よ、仏蘭西(ふらんす)人の言葉では、あなたの中に海がある」。――とは言っても、このようにして「海」を詩的に、みずからの「郷愁」(ノスタルジア)の対象とする視線と、この「短篇小説集」の主人公たちの陥っている、行き場のない視線を混同し、その差異に対して鈍感になることは、この「短篇小説集」の読者として、いちばん慎まなくてはならない態度であったろうが。

さて、そろそろ紙幅も尽きたようなので、今回は最後に僕が、この『蛇淫』という「短篇小説集」の中で、もっとも好きな「雲山」(うんざん)の一節を引き、そこで終止符を打つことにしよう。......と決めながら、この主人公も故郷の「海」を目の前にして、そこで自分の女房のことや、この旅の道すがら、にわかに熱を出し、呆気(あっけ)なく死んでしまった長女のことや、それすらをも弁(わきま)えず、砂浜をヨチヨチと歩く、わずか3歳に満たない次女のことを思い、この「彼」は文字どおりの、立往生(たちおうじょう)を遂げていたのである。――「海岸を、ぶらぶら歩いた。海があった。砂浜の上を、女房と娘は手をつないで歩く。光が、あたっていた。明るかった。海は〔、〕うごく。波が起きあがり、崩れる。また崩れる。沖が、遠くまで見渡せた。彼は、立っていた」。

 

浜は、風が強い。女房は、娘をかかえてしゃがんでいた。〔中略・改行〕海が、うごいていた。娘は、松林の方をみていた。彼は、「ほら」と娘の体を海にむけさせた。白い波は、花にみえた。ゆっくりと、息をする腹のように海は、うごく。娘に、この息をする海を、しっかり記憶させてやりたかった。これが、海だ。

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