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詩人の幸福(第一回)――「教養」の来た道(266) 天野雅郎

白氏(ハクシ)と言って、それが無条件に白居易(ハク・キョイ)のことを指し示したり、ただちに白楽天(ハク・ラクテン)の字(あざな)に置き換えられたりした時代は、いったい何時、この国で終わってしまったのか知らん。......と、このように振り返ってみると、おそらく『白氏文集』が『文選』(モンゼン)と並んで、私たちの国の特権階級の男性(≠女性)たちの、不可欠の教養書であり、単に『文集』(モンジュウ→呉音、漢音→ブンシュウ)と言えば『白氏文集』のことを意味していた時代が終わったのと、ほとんど同時期であったのではなかろうか。ただし、それを清少納言(セイ・ショウナゴン)の『枕草子』を引き合いに出し、あの「文(ふみ)は文集。文選。博士〔=文章博士〕の申文(まうしぶみ)」と言って説明をするのも、けっこう気が引けるのであるけれども。

ちなみに、このようにして清少納言の挙げている『文集』(=白氏文集)の中から、あの中宮、定子(テイシ)の謎々(なぞなぞ→何ぞ何ぞ)も出題されていたのであって、おそらく君も高校生の時分、あまり面白くない、退屈そうな顔をして、この『枕草子』の話を古文の授業で聴いていた、遠い記憶が蘇るのではあるまいか。でも、このようにして咄嗟(トッサ)に彼女(=清少納言)が中宮の質問(「少納言よ、香炉峰(かうろほう)の雪は〔、〕いかならむ」)に反応し、格子を上げ、簾(すだれ)を巻き上げることが叶ったのは、やはり彼女の群を抜いた才能であり、その、女だてらの教養や、ひけらかしを口性(くちさが)なく言い立てるよりも、もっと当時の女子会の雰囲気をこそ、楽しむべきであろう。――「皆、さる事は知り、歌などにさへ歌へど、思ひこそ寄らざりつれ」。

言い換えれば、このようにして当時は、このようなサロン(salon=大広間→社交会)に身を置く以上、男性であっても女性であっても、どちらも最低限の、それ相応の嗜(たしな)みを身に付けている必要が、あった訳であり、それが漢文(すなわち、中国文学)の場合には『文選』と、この『白氏文集』であった次第。そして、それらを適宜(テキギ)文字どおりに宜(よろし)く適(かな)った状態で、詩や歌に詠み、これらを引用し、応用することが求められていたのでもあって、そこに清少納言張りの機転を利かすことは、なかなか難しくても、それを後から「思いも寄りませんでしたわ~」とか「知ってはいたのですがねえ~」とか、いろいろ辻褄(つじつま)を合わせたり、言い訳をしたりして、とにかく周囲に、朗(ほがら)かな笑いを呼び覚ますことが当時の教養なのであった。

その意味において、昔も今も変わらず、君や僕が「教養」と呼んでいるものは、その時々の人間関係や、その状況に応じて、あれこれ自分の引き出しの中から、その場の雰囲気を好くし、和(なご)ませるであろう、さまざまな知識や情報を引き出すことであり、そのような能力を古来、君や僕は常識(common sense=共通感覚)の名で呼んできたのでもある。したがって、いくら君や僕の引き出しの中に、深淵な知識や広範な情報が詰まっていて、それが君や僕の辿って来た、そのまま生活と人生の裏打ちを経たものではあっても、それが周囲の人間関係や、その状況と、まったく「引き出しが違う」ものであったとすれば、君や僕は決果的に「無教養」や「非常識」の誹(そし=謗)りを免れないし、あのKY(空気を読め!)という陰口をも、叩かれたりすることになりかねないから、ご用心。

ところで、このような話を今回、僕が始めたのは、しばらく前から偶々(たまたま)僕は岩波文庫版の『白楽天詩選』を手に取り、その上下二巻のページを捲(めく)っているからに、ほかならないのであるが、この文庫本の刊行された年(平成二十三年→2013年)と相前後して、ちょうど選者の川合康三(かわい・こうぞう)の『白楽天』も岩波新書から出版されており、僕は「これ幸い」と思い立ち、かつて何かの機会に買い求め、どこまで読んだのかの記憶も定かでない、高木正一(たかぎ・しょういち)の『白楽天』(1958年、岩波書店)や、あるいは平岡武夫(ひらおか・たけお)の『白居易』(1977年、筑摩書房)や、太田次男(おおた・つぎお)の『白楽天』(1983年、集英社)を本棚から引っ張り出し、その黄ばんだページに赤い傍線を、これ見よがし(......^^;)に引いている。

もっとも、それでは僕の最近の、このような読書が先刻来、君に語っておいた「教養」と、うまく結び付き、重なり合うものであるのか、どうかは定かでなく、例えば上記の高木正一や、平岡武夫や太田次男の本が、ことごとく単著ではあっても、すべて「中国詩人選集」や「中国詩人選」や「中国の詩人」の、一連のシリーズの中に収められていたことを、君や僕は見逃してはならない。裏を返せば、はたして現在、このようなシリーズは刊行されているのであろうか。――少なくとも、そのような概説書や入門書の類(たぐい=比)を、僕は目にしたことがないし、この場で想い起こしても、そのようなシリーズが出版されていたのは、どうやら20世紀の間のことであって、単刀直入に言えば、そのような「教養」が力を失い、力の尽きた時点に、この21世紀は位置しているらしいのである。

と言うことは、きっと現時点で、君や僕が中国の詩人や、その作品(すなわち、漢詩)に興味があると言い出したら、それは下手をすると、まったく「教養」の埒外(ラチガイ)にある営みであったり、それどころか、急に周囲から冷たい目で見られたり、無視されたりすることさえ起こりかねないから恐ろしい。......と言いながら、実は僕が君に伝えたいのは、まず中国の詩人とは歴史上、当然のごとく「不幸」な存在であった、という事実であり、何と「美人薄命」ならぬ「詩人薄命」という言い回しさえ、そこには定着していたようなのである。――と、このようにして始まるのが、先程、僕が君に紹介した、川合康三の『白楽天』であるけれども、この本は冒頭、そのような中国の詩人の「不幸」とは違い、逆に「幸福をうたう詩人」であった白楽天を、振り返ることからスタートを切る。

実際、この本の帯には「愛をうたい、日々を慈しむ」というフレーズと、それに加えて「生のよろこびをうたう〔、〕その詩の魅力を読み解く」というフレーズが連ねられ、この本の中に登場する「詩人」が、その名の通りに「楽天」的であり「楽天」家であったことを訴えている。が、その一方で、あの「雪の〔、〕いと高く降りたる」朝、一見すると笑いに溢れ、充ちていたかのような『枕草子』の女子会が、その華やぎの裏に翳(かげ)りと、密かな哀愁を忍ばせていたのと同様、この「詩人」の生涯にも「詩人」であるがゆえの、さまざまな紆余曲折は含まれており、その点において、この双方を結び付ける「香炉峰の雪」が、そもそも「詩人」の左遷時の、鬱屈とした「隠棲への思い」(『白楽天詩選』)を表現したものであったことも、君や僕は決して、忘れてはならないのである。

 

 香炉峰北面  香炉峰の北面

 遺愛寺西偏  遺愛寺の西偏

 

 時有沈冥子  時に 沈冥子有り

 姓白字楽天  姓は白 字は楽天

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