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詩人の幸福(第三回)――「教養」の来た道(271) 天野雅郎

詩人とは一体、何者であろう。――と、このような素朴な疑問を抱いて、いつもの『日本国語大辞典』(2006年、小学館)を調べると、そこには「詩歌を作ることを専門とする人。詩客。騒人。また、詩的な感覚をもった人にもいう」と記されていて、かなり僕のイメージする「詩人」とは異なる語釈が並べられている。そこで、まず今回は君に、この辺りから話を聴いて貰(もら)いたい。なお、ここに「詩客」(シカク)とあるのは再度、同辞典によれば詩人の同義語であり、その典拠には中国の唐代の詩人で、あの白居易(ハク・キョイ)の生涯の友でもあった、元稹(ゲン・シン)の名が挙げられているから、その由緒は正しく、かつ古い。でも、この語を昨今の君や僕が使う機会は、もう失われてしまったのかも知れないね。なにしろ、もう詩人は「客」ではなくなってしまったから。

また、ここに「騒人」(ソウジン)という名の、おそらく君や僕が相当に漢詩(ひいては、中国文学)の勉強をしていて、その類(たぐい=比)の教養を身に付けているのであれば、いさ知らず、まったく聞いたこともなければ、下手をすると騒ぐ人や騒がしい人とも誤解されてしまいかねない(......^^;)これまた詩人の同義語が差し挟まれているけれども、こちらも同辞典の説明文を借り受ければ「(中国、楚の屈原が「離騒(りそう)」を作ったところから)文人、詩人の称。また、風流を解する人。風流人」とあり、その起源は何と、屈原(クツ・ゲン)の生きていた中国の、いわゆる「戦国時代」(紀元前403年~紀元前221年)にまで遡るようである。ちなみに、この際の「離騒」(=離→遭う+騒→憂い)は「憂患に遭遇する意。一説に、心中の不平の意」であったから、念のため。

さて、このようにして振り返ると、もともと「詩人」(poet)とは君や僕が、いかにも甘ったれた顔をして、ただ「詩」(poem→poetry)と呼ばれる文言を連ねたり、あるいは「詩的」(poetic)と称される、あのフワフワ(モヤモヤ?)とした、正体不明の形容動詞に身を包み、隠そうとしたりする、そのような態度とは断固、袂(たもと=手元)を分かつ所から、その身を糺(ただ)すのが出発点のようである。が、それが幸か不幸か、目下の君や僕を取り巻いている、ごく一般的な「詩人」の理解とは違い、むしろ逆の理解を必要とする行為なのであれば、まさしく「詩人」とは現在、いたって憂患(ユウカン)の時代に遭遇していることにもなるであろうし、それは翻れば、より「詩人」が「詩人」として、その存在価値のある時代を迎えている、と言うことにもなるのではなかろうか。

ところで、この「詩人」という語や、その存在が私たちの国で姿を見せるのは、古く、あの『懐風藻』(天平勝宝三年→751年)にまで、さかのぼらざるをえない訳であり、そこでは「優遊催詩人」(優遊〔ユウユウ〕詩人を催す)と、かつて文武天皇が春の日に「詩人」を招き、うららかな光の下、ゆったりと宴を楽しんだことが記録されている。が、このような記録の歴史的実態や、その、あまりに芬々(フンプン)とした文学的粉飾については、今は措(お)くことにして、この場で最低限、確認しておくべきは次の点である。すなわち、このようにして「詩人」とは当初から、ご本家の中国においても、分家の日本においても、はなはだ権力的な、要は政治的な語彙(ヴォキャブラリー)の勢力圏に生まれて、そのような語彙の一つとしてしか、成り立ちようのないものであった点である。

事実、この漢詩(春日応詔→春日〔シュンジツ〕詔〔みことのり〕に応ず)の作者は当時の大納言である、紀麻呂(き・の・まろ)であり、彼を始めとして、この宴席に名を連ねていたのは、ことごとく政治家以外の何者でもなかった。言い換えれば、このようにして「詩人」とは元来、政治家の同義語――と言って、語弊があるのであれば、その類義語であり、この二つの意味を分離し、別々のものとしたのが、実は「詩人」の近代的(ひいては、現代的)な理解の仕方に他ならない。したがって、このような「詩人」の系譜の中から、やがて『万葉集』の「歌人」も登場するのであり、その点、例えば山本健吉(やまもと・けんきち)が『詩の自覺の歴史』(1979年、筑摩書房)の副題に、あえて「遠き世の詩人(うたびと)たち」という語を宛がったのは、誠に当を得た用法であったろう。

と、ここから話を、その「遠き世の詩人(うたびと)たち」へと、あれこれ繋ぎたいのは山々(やまやま)であるけれども、今回も少々、前回と同様に『和漢朗詠集』の話題を持ち出しておくと、そもそも日本人にとって「詩」と「歌」は、このようにして漢詩(=中国文学)と和歌(=日本文学)という形を取り、はなはだ幸福な蜜月を有していたのが本来であったはずである。それどころか、このような蜜月は「遠き世の詩人(うたびと)たち」から始まって、ごく「近き世の詩人(うたびと)たち」に至るまで、連綿として引き渡され、受け継がれてきたのが実情であり、このような蜜月を最初に、また、ひょっとすると最終的に、徹底的に破壊してしまったのが、君や僕の生きている、この近代(ひいては、現在)なのではなかろうか、と僕は思うけれども、さて君は、いかがであろう。

なにしろ、君や僕が目下、この「詩人」や「うたびと」(=歌人)という語を使う時、そこには得(え)てして、かなり異質な創作の方法や内容や、あるいは態度が、その前提とされており、逆に彼らに共通しているのは、この両者が揃って、いわゆる「ノンポリ」(nonpolitical=非政治的)であり、おまけに、そこには女性的(female→feminine)なイメージすら、ともなわれている点であったから。......と書き継いで、ふたたび僕は山本健吉が、かつて『近代日本の詩人たち』(1976年、講談社)の中で、次のごとく「詩人」の三好達治(みよし・たつじ)の特徴を、その男性的な性格に帰していたことを想い起こしたので、その刺激的な物言いを、ぜひとも君の一覧に供することにしたい。――「そのことが彼の詩を、軽井沢あたりを徘徊する優柔男子の弱々しい歌ごえから区別する」。

言い換えれば、君や僕が今でも、あの三好達治の「雪」の詩......と、また今回も、僕は君に雪の話を、することになるけれども、そこには遠く、はるか昔の「日本人の心の底」の、その「奥深いところ」から、君や僕の許に天恵のようにして送り届けられた「雪」のイメージが、高く積み上げられ、積み重ねられているのではあるまいか。そして、それは他ならぬ、この「詩人」の選び取った、近代的でもあれば古代的でもあり、西洋的でもあれば東洋的でもあり、要は日本人が延々、引き継いできた「詩」と「歌」の伝統に、この「詩人」が忠実であろうとする姿勢から導き出されたものであったに違いない。と言う辺りで、以下、山本健吉の『漂泊と思郷と』(1980年、角川書店)を引いて、また次回。

 

太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。

次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。

 

この詩には、何か大昔から日本人の心の底に潜んでいる、雪への〔、〕ある感情が波打っている。この詩を読むと、心の奥深いところが騒ぎ立つのを覚える人も多いに違いない。雪といえば、私たちは少年時代への遠い郷愁のような思いに充たされる。雪は幸福の指標だった。〔中略・改行〕この詩を読んでの私の感想は、日本とは何という悲しい国だ、というところまで行く、あえて言えば、ゴーゴリの『死せる魂』の朗読を聴いたプーシキンの感想と同じである。そういう感想は、前衛的な詩人には、しごく古風だと見えるらしい。だが私は、この「雪」の詩に囲炉裏端を見、子守唄を聴き、日本の家の貧しさと悲しみ、そして〔、〕そこに住む人々の幸福への切なる願いを読取ってしまう、俳句風の古くさいが〔、〕あたたかな感受性をこそ、大事なものに思っている。

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