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恐怖の哲学(第七回)――「教養」の来た道(272) 天野雅郎

地震、雷、火事、親父と連ねて、これらが歴史上、日本人の最も恐(おそ→襲)れた、怖(こわ→強)いものの代表であると言われても、おそらく君はピンと来ない側なのではなかろうか。もちろん、そう言う僕自身も最近は、すっかり今風(up-to-date)の、当世的な頭の使い方や身の熟(こな)しに慣れてしまい、かつて少年時代に遭遇した、例えば......あの夜空一面を赤く染め、我が家に迫り来る火の粉や火の手の恐怖を想い起こすことは、かなり困難になっているのが正直な所である。が、このような恐怖は昨今、自然の猛威となって、ふたたび君や僕の生活を脅(おびや=刧)かす場面も増えているから、これを一概に昔風(out-of date)の、時代遅れの「ものおじ」とは思い込まない方が賢明であろうし、実際、そのような呑気(のんき)なことを言っておられないのも実情である。

ところで、つい先刻、僕は気になって、この「地震、雷、火事、親父」という言い回しの由来、と言おうか、その起源を『日本国語大辞典』(2006年、小学館)を引いて、調べてみたのであるが、残念ながら、そこには「世の中で恐ろしいものを順に並べた表現」という語釈以外に、その典拠は示されておらず、わずかに太宰治(だざい・おさむ)が昭和八年(1933年)に同人雑誌(『海豹』)に連載した、あの『思ひ出』の一節が用例として挙げられているに過ぎず、いささか僕をガッカリさせた次第。とは言っても、この用例自体が僕には、かなり興味深いものであり、せっかくの機会なので、その一節を君にも紹介しておくけれども、この場では君の読み易いように、旧漢字を新漢字に、旧仮名遣い(=歴史的仮名遣い)を新仮名遣い(=現代仮名遣い)に、改めておいたから、よろしく。

 

「もし戦争が起ったなら。」という題を与えられて、地震雷火事親爺、それ以上に怖い戦争が起ったなら先ず山の中へでも逃げ込もう、逃げるついでに先生をも誘おう、先生も人間、僕も人間、いくさの怖いのは同じであろう、と書いた。此〔こ〕の時には校長と次席訓導〔=教諭〕とが二人がかりで私を調べた。どういう気持で之〔これ〕を書いたか、と聞かれたので、私は〔、〕ただ面白半分に書きました、と〔、〕いい加減なごまかしを言った。次席訓導は手帖へ、「好奇心」と書き込んだ。それから私と次席訓導とが少し議論を始めた。先生も人間、僕も人間、と書いてあるが人間というものは皆おなじものか、と彼は尋ねた。そう思う、と私は〔、〕もじもじしながら答えた。

 

ちなみに、ここで太宰治は「地震、雷、火事、親父」の「親父」を「親爺」と表記している。まあ、どちらでも構わないし、これを「親仁」と書き換えても、ほとんど意味は変わらないのであるが、それぞれの漢字には当然、それ相応のイメージも伴われており、さしあたり「親父」と書けば、それは自分の父親を指し示すことになるし、これが「親爺」となると、そこには父親の父親、要は爺(じじ→じい→じじい)や、広く年を取った男の姿が浮かび上がることになる。また、それが「親仁」であれば、今度は社会一般の男性同士に、特有の関係や職業が表に出ることになる。実際、日本語で「おやじ」(→おやぢ)と聞けば、そこに想起されるのは飲み屋の「おやじ」であったり、いわゆる「やくざ」の組長であったり、ごく最近は「おやじ狩り」のターゲットでもあったりする訳である。

ともあれ、このようにして「おやじ」が何らかの、愛情や尊敬の対象であったり、むしろ逆に、その裏返しとしての軽蔑や侮辱の標的であったりする時に、そもそも「おやじ」は君や僕の目の前に、ある種のランキングを介して登場し、そこに登録されるのであり、この点から推し測れば、おそらく「おやじ」が地震や雷(かみなり=神鳴)や火事と並んで、これらに次ぐ「恐怖」の代表の地位を獲得したのは、さかのぼっても江戸時代以前に辿り着くことは、ありえないのではあるまいか。おまけに、あの「火事と喧嘩(けんか)は江戸の花」という言い回しからも窺えるように、振り返れば江戸時代とは、結果的に火事と地震と、さらに雷(すなわち、落雷)が頻発した時代であって、そこでは「おやじ」が念願の、まさしく「恐怖」の代表の資格を手に入れることも叶っていたのであろう。

とは言っても、それを一口に江戸時代と称して、一括りにするのは乱暴、極まりない話であろうし、僕自身は今回も引き続き、君に鶴屋南北(つるや・なんぼく)の『東海道四谷怪談』の中から、文字どおりの「怪談」を聴いて欲しいのであるから、この場では少し視点を変えて、この物語に姿を見せる「おやじ」たちの振る舞いや、その行状について、あれこれ君に報告をしておくことにしたい。――と言い出したら、もちろん、まっさきに触れるべきは主人公の、民谷伊右衛門(たみや・いえもん)に他ならず、この物語において彼自身は、実は歴(れき→れっき)とした「おやじ」であり、その年齢は推定上、どうやら20代の中盤であるにも拘らず、彼と妻(すなわち、お岩)との間には生まれたばかりの赤子がいるし、それを『東海道四谷怪談』では、そのまま「水子」とも呼んでいる。

もっとも、この「水子(みづこ)の男子(なんし)」も結果的に、お岩の呪いによって「横死」を遂げ、最後には「石地蔵」に姿を変えてしまうのであるから、それは突き詰めるならば、この物語が民谷伊右衛門から「おやじ」となる資格を剥奪(ハクダツ)し、これを断じて許容しない物語である、と見なすことも出来るであろう。その意味において、この物語の二幕目で奇妙にも、伊藤喜兵衛(いとう・きへい)が自分自身で「乳母」役に扮し、この赤子に添い寝をした上、何と......民谷伊右衛門が彼を小仏小平と錯覚し、誤認して殺害するに至る件(くだり)は意味深であるし、この物語の中では何よりも、その伊藤喜兵衛も小仏小平も、それぞれの事情や立場や年齢は違っていても、一人の「おやじ」であることに変わりはないことが、もっと注目されてしかるべきなのではなかろうか。

 

伊右衛門 「コレ舅(しゅうと)殿。珍事がござる。アノ、まちがいで」

ト喜兵衛を引き起こす。其(そ)の顔、小平の顔にて、抱き子を食ひ殺せし体(てい)にて、口は血だらけ。伊右衛門が顔を見つめ、

小平 「旦那様、薬を下され」

ト言ふに目を付け、

伊右衛門 「や、おのりや小平か、現在(げんざい)小児を」

ト言いざま、抜き打ちに首打ち落す。

 

要するに、この場面において民谷伊右衛門は、お岩(それとも、小仏小平)の呪いによって、結果的に民谷家と伊藤家と、さらには四谷家の「男子」(=嫡子→家督相続者)の血の繋がりを、瞬(またた=目叩)く間に切断し、断絶させてしまった訳であり、その難から逃れているのは、むしろ「亡霊」(ゴースト)と化した、小仏小平の側なのである。――いやはや、このようにして振り返ると、この『東海道四谷怪談』という物語の主題には、当初、二日に及ぶ抱き合わせという形で同時上演をされた、あの『仮名手本忠臣蔵』と同一の、いわゆる「御家狂言」(おいえきょうげん)のテーマが存在し、流れ続けているのであって、それが絶えず、この二つの物語を結び付け、通底するものであることも、おそらく君は充分に、その絡繰(からくり=機関)を見抜いてくれているに違いない。

その点、この『東海道四谷怪談』に登場する「男子」(呉音→ナンシ、漢音→ダンシ)たちは、それ以外の、あの直助権兵衛(なおすけ・ごんべえ)であっても、あるいは『仮名手本忠臣蔵』の「義士」たちへと連なる、佐藤予茂七(さとう・よもしち)であっても奥田庄三郎(おくだ・しょうざぶろう)であっても、ことごとく彼らは自分で、みずからの「家」(family=奴隷)や「血」(blood=噴出)の繋がりを断ち切る側に身を置いているのが特徴であり、この点は民谷伊右衛門の周囲を取り巻く「浪人」たちにしても、例えば秋山長兵衛(あきやま・ちょうべえ)であれ新藤源四郎(しんどう・げんしろう)であれ、まったく変わる所はない。裏を返せば、それは彼らが「武士」でありながら、その最大の使命である「御家存続」を、はたしえない側の人間であった証(あかし)である。

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