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『東海道四谷怪談』を読む(第三回)――「教養」の来た道(275) 天野雅郎

鶴屋南北(つるや・なんぼく)の『東海道四谷怪談』は、全部で五幕(=序幕・二幕・三幕・四幕・大詰)の芝居である。と言うことは、この芝居の間、合わせて五度ずつ、観客の目の前で幕(まく)が開(あ)いたり、閉じたりする訳である。ただし、これ以外にも場(ば)と言って、実は日本の演劇の――と言うよりも、ほかならぬ「歌舞伎」の、きわめて独創的な演出法である「回り舞台」によって、物語の情景がクルリ(グルリ?)と変化をする、その名の通りのメカニズム(mechanism=機械装置)も大活躍をする。したがって、この芝居を連続で、いわゆる「通(とおし)狂言」で鑑賞をする観客は、一日で以下のような、十二の場面を経廻(へめぐ)りつつ、その時間軸(=過去・現在・未来)と空間軸(=東西南北+上下左右)を交錯させながら、この物語を経験することになる。

 

序幕:浅草観世音境内の場、宅悦住居(地獄宿)の場、浅草裏田圃の場

二幕:雑司ヶ谷四ツ谷町(伊右衛門浪宅)の場・伊藤喜兵衛内の場・伊右衛門浪宅の場

三幕:砂村隠亡堀の場

四幕:深川三角屋敷の場、寺町孫兵衛内の場、深川三角屋敷の場

大詰:夢の場、蛇山庵室の場

 

この内、すでに僕が君に話を聴いて貰(もら)っているのは、主として最初と最後の、序幕では「浅草観世音境内(あさくさ・かんぜおん・けいだい)の場」と、大詰(おおづめ)では「蛇山庵室(へびやま・あんじつ)の場」と、それから二幕の、あの「色悪」(=色男+悪人)の主人公、民谷伊右衛門(たみや・いえもん)の暮らしている「浪宅(=浪人住宅)の場」すなわち「雑司ヶ谷四ツ谷町(ぞうしがや・よつやまち)の場」であるけれども、今回は少々、回り舞台ならぬ回り道をして、僕は君と共に日本の演劇、それどころか、世界の演劇に付き物の、いわゆる「幕」(=莫+巾)と称される......この、何とも不可思議な布(ぬの=巾)と、その布が開いたり、閉じたり、上がったり、下(お)りたりして、始まり、終わる、演劇という行為について、いささか頭を捻(ひね)りたい。

と言ったのは、君や僕が普段、自分の身の回りを見渡せば、そこには様々な幕が、これ見よがしに、呆れ返るほどに存在しているし、その限りにおいて、そもそも幕は現代の、君や僕にとっても何ら、特殊なものではなく、風変わりなものでもなく、むしろ君や僕の生活や人生の中に、広く幕は浸透し、定着しているのが実情であろう。事実、今でも君や僕が行く所に行けば、それが神社であっても仏閣であっても、それ相応に由緒のある建物に出くわすと、そこには大抵、何らかの幕が掛かっていたり、垂れ下がっていたりするのを目にするであろうし、あるいは学校の入学式や卒業式の折にも、はたまた、お葬式や結婚式や、お祭りや催し物や、誰かの祝賀会やイベント会場にでも顔を出せば、そこには数え出したら切りがないほどに、おびただしい数の幕が、君や僕を取り囲んでいる次第。

その意味において、このような幕の中の一つが、例えば劇場の「舞台幕」であり、また映画館の「銀幕」(すなわち、スクリーン)である、と言われれば――まったくもって、その通りであろうし、これ以上、話が先に進まない気配も濃厚である。でも、それにも拘らず、このような「舞台幕」や「銀幕」を目の前にすると、どこかで君や僕は日常的に、いつも見慣れている「紅白幕」や「鯨(くじら)幕」(=黒白幕)や「浅黄(あさぎ)幕」(=青白幕)とは違う、何か独自の、固有の幕のイメージを、そこに掴(つか)み取っているのではあるまいか。論より証拠、そうであるからこそ君や僕は、その幕が開くとか閉じるとか、上がるとか下りるとか、このようにして単に、幕の開閉運動や上下運動にしか過ぎないものに対して、ある種、異常なまでの感情移入をすることにもなるのである。

ちなみに、このようにして幕という漢字(=中国文字)を、それが渡来して以降、延々と日本人は、そのまま音読(呉音→マク、漢音→バク)し、要するに、これを外国語(すなわち、中国語)として発音しているのであって、そこには文字は無論のこと、この中国渡来の不可思議な布が、ある種の「権威」(authority)や「神秘」(mystery)を表現するために、繰り返し、用いられ続けている訳である。そして、その最たるものが......意外や意外、あの「幕府」という名の「幕」であって、それは「軍行のときに携帯して、陣営や宿舎に用いた」ものであり、とりわけ「将軍〔=征夷大将軍〕のあるところを幕営といい、その左右を幕僚・幕友、直属のものを幕下、幕府とは〔、〕その本営をいう」と、白川静(しらかわ・しずか)の『字統』(1984年、平凡社)には事細かに記されている。

したがって、もともと「幕」は厳密に言うと、それは天幕のことであり、そこには水平性の幕が指し示されていたことになる。その逆に、垂直性の幕は帳(とばり=帷)と呼ばれ、これは多分、戸張(とばり)の意味であろうから、この点を再度、白川静の『字訓』(1987年、平凡社)で補い直しておくと、その際の「戸」を「戸にかえて、布を張る」のが帳であった。言い換えれば、このようにして帳は随時、ある場所を別の場所から区別したり、遮断したり、隔離したりするために、そこに布を垂らせば、すぐに可視化の出来るものであり、それとは反対に、むしろ幕は簡単に、そこに張ったり、垂らしたりすることの叶わないのが特徴であって、そこに幕を設けた以上は、それを安易に動かして、開け閉めや、上げ下ろしをしてはならないのが、そもそも「幕」であったのではなかろうか。

さて、このようにして振り返ると、どうやら幕は君や僕が、明治時代からは「演劇」という名で呼んでおり、江戸時代までは、この語を訓読して「しばゐ」(=芝居)や「かぶき」(=歌舞妓)という名で呼んでいた――その、何物かについて、あれこれ考える際、見逃してはならない視点を提供してくれていることになるであろうし、それを幕固有の、言ってみれば、はなはだ逆説的(paradoxical=自家撞着的)な性格として捉えることも許されるであろう。なぜなら、結果的に日本の演劇は、それが「歌舞伎」であっても、はたまた「能」や「狂言」であっても、これらは悉(ことごと=尽)く、先刻来、例に挙げている「幕府」(=室町幕府+江戸幕府)が、そこに屹然(キツゼン)と、まさしく「幕」の中の「幕」として、聳え立っていた時代にこそ、生まれ、育ったものであったから。

その点、このような「幕」の不可思議(mysterious? miraculous? wonderful?)な性格を、君や僕が論(あげつら)おうとする時、その入口として有効なのは......存外、この語を日本人が様々な「動詞」と結び付け、それらを「打つ」とか「通す」とか、あるいは「切る」とか「引く」とか、とても緻密な表現の数々を、産み出してきたことなのではあるまいか、と僕は感じているけれども、さて君は、いかがであろう。事実、君や僕が今でも、どのような「動詞」を「幕」と結び付けるのかは、それ自体が結構、重要な役割を担っているし、その時々の、それぞれの「動詞」との繋がり方によって、かなり違った「幕」のイメージが、そこには浮かび上がってくるに違いない。ところで、そもそも君は「幕が開(あ)く」と言う側なのか知らん、それとも「幕が上がる」と言う側なのか知らん。

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