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『東海道四谷怪談』を読む(第四回)――「教養」の来た道(276) 天野雅郎

普段は、ごく当たり前に目にしている「幕」(まく)でも、これに特定の動詞を付け、開けるとか閉じるとか、切るとか引くとか、このように言った途端、いつもの「幕」が君や僕の目に、違って見えることも度々なのではないか知らん。ましてや、それが自分自身の手で、この「幕」を開けるとか閉じるとか、しなくてはならない段に至ったら、きっと君や僕は相当に緊張するに違いないし、いわんや「幕」が君や僕の目の前で、上がったり下りたりする瞬間に立ち会えば、ひょっとすると君や僕の心臓は、ドキドキしたりバクバクしたり――冗談ではなく、口から心臓が飛び出しそうになったり、止まりそうになったりするのではあるまいか。でも、このような経験を抜きにして、そもそも演劇や芝居や、例えば能や狂言や歌舞伎や人形浄瑠璃は、成り立ちえないものでもあったはずである。

ちなみに、これらの日本の「古典芸能」(classical theater/theatre)は、その英語表記からも窺えるように、そこに舞台と、その舞台を成り立たせる側(=劇作家+演出家+俳優)と、それを鑑賞する側(=観客)の存在が前提とされており、これらを総称して、君や僕は劇場(シアター)という語を宛がっている訳である。したがって、このような劇場(すなわち、演劇現場)が生まれるためには、そこに俳優(actor/actress=行為者)と観客(audience=聴衆、spectator=観衆)がいて、それで事が足りるのではなく、何よりも優先されるべきは、残念ながら......と、あえて僕個人は思わざるをえないけれども、その劇場自体を建造するための許可や、有体(ありてい)に言えば、資金の提供をする側が必要不可欠なのであり、その点において、はなはだ演劇は現実主義の世界なのである。

であるから、いくら「幕」が単純に、君や僕の目の前で、その開閉運動(=開く+閉じる)や上下運動(=上がる+下りる)を繰り返しているからと言って、それを生半可(なまはんか)に芸術的(artistic)に、あるいはロマンチック(romantic)に受け取り、そこからリアリズム(realism)の目線を排除するのは禁物であろうし、むしろ逆に、そこには観念論者や理想論者や、いわゆるアイディアリスト(idealist)の入り込めない余地があるのであって、そもそも、そのような側の立ち入るべきではないのが演劇なのかも知れないな、と僕は感じるけれども、さて君は、いかがであろう。事実、このような「幕」の開閉運動や、ひいては上下運動を支えていたのは、文字どおりに「幕」の中の「幕」である「幕府」(=室町幕府+江戸幕府)が、私たちの国において栄えていた時代である。

しかも、そのような「幕府」が『日本国語大辞典』(2006年、小学館)の語釈を借りれば、そのまま「武家政権の首長および〔、〕その居館の呼称」であった時代は、とりあえず「幕」を引かれ、閉じられ、下ろされたけれども、それにも拘らず、その「幕」自体は延々と、ことによると別の形を取り、君や僕の生きている、この21世紀の日本にまで、どこかで命脈を保ち続けているのではあるまいか――と僕個人は感じているのであるから、何とも話は厄介(ヤッカイ→厄会? 家居?)である。なにしろ、このようにして「幕」とは、ある機会に思い立って、そこに暫時、仮設的に設けることの出来る、あの「帳」(とばり=帷)とは異なり、そうそう安易には張ったり、垂らしたりすることの叶わないのが特徴であって、これを動かすのは、それこそ正念場以外には、なかったであろうから。

さて、いささか長い前置きとはなったが、僕は今回も君に、鶴屋南北(つるや・なんぼく)の『東海道四谷怪談』の話題を提供しよう。......と思って、振り返ったら、まだ僕は君に、この「江戸後期の歌舞伎作者」のことを詳しく、しゃべっていないことに気が付いたので、まず次に、これまた『日本国語大辞典』の語釈を借りて、彼の生涯や経歴の、あらましを述べておくことにしたい。なお、これ以上に君が彼のことを知りたいと願うのであれば、その際には郡司正勝(ぐんじ・まさかつ)の『鶴屋南北――かぶきが生んだ無教養の表現主義』(1994年、中公新書→2016年、講談社学術文庫)か、あるいは諏訪春雄(すわ・はるお)の『鶴屋南北――笑いを武器に秩序を転換する道化師』(2010年、山川出版社)が、どちらも廉価で入手しやすく、その刺激的な副題と合わせて、お勧めである。

 

江戸後期の歌舞伎作者。四世。江戸の人。俗に大南北(おおなんぼく)。はじめ初世〔しょせい=初代〕桜田治助〔さくらだ・じすけ〕、のち金井三笑〔かない・さんしょう〕に入門。享和三年(一八〇三)立作者となり、文化八年(一八一一)四世南北を襲名。江戸劇壇の代表的作者となり、生世話(きぜわ)を完成、怪談物〔かいだんもの〕を創始。「東海道四谷怪談」〔文化八年→1825年〕「於染久松色読販(おそめ・ひさまつ・うきなの・よみうり)」〔文化十年→1813年〕など多数の作品がある。寛政五~文政一二年(一七五五-一八二九)

 

ところで、このようにして鶴屋南北に限らず、歌舞伎には大きく世話物(せわもの)と時代物(じだいもの)の区別がある。これは昨今の、君や僕が映画やテレビで、それぞれ現代劇と時代劇と呼んでいるものに譬えると、分かりやすい。が、当然ながら江戸時代は封建社会であり、階級社会であったから、現代劇(すなわち、世話物)に登場するのは四民(=士農工商)の内の、武士以外であり、とりわけ町人(=商人+職人)であった。これに対して、逆に時代劇(すなわち、時代物)は武士と、さらに遡れば公家の物語(すなわち、王朝物)であり、これも大別すれば、徳川幕府の成立以前と以後に分けられ、この当時、最も人気の高かったのは鎌倉時代(『義経記』)と室町時代(『太平記』)と、特に戦国時代(『大坂軍記』)であったが、そこには敗者を主人公に据えた物語が多い。

言い換えれば、このような敗者の側に立って、勝者である江戸幕府を茶化したり、からかったり、あざけったりするのが、要は時代物の、ひいては歌舞伎の、真骨頂であった訳である。ただし、これは一つ間違って、それぞれの出来事を直接に表現し、露骨に暴(あば)いてしまえば、それは徳川幕府を名指しで批判し、場合によっては、これを否定することにも繋がりかねないから、それこそ座元(ざもと=座本)や俳優や劇作家は、観客も含めて、命が幾つ、あっても足りないほどの危険と隣り合わせに、歌舞伎を生み、育てていったはずである。したがって、あくまで実際の出来事が起きたのは江戸時代の、徳川幕府の治下ではあっても、その物語は巧妙に、江戸時代以外の時代に仮託されたり、架空の物語に脚色(dramatization=劇化)されたりして、はじめて舞台に乗せることが叶う。

その代表格が、繰り返すまでもなく、いわゆる御家物(おいえもの)や仇討物(あだうちもの)であり、それを僕は君に、この場では『仮名手本忠臣蔵』と、そこから一種の鬼子(おにご)のように、合わせ鏡のようにして産み出された、鶴屋南北の『東海道四谷怪談』を通じて、紹介している次第。もちろん、そうである以上は、この両作ともに芝居を作る側も演じる側も、また観る側も、すべて江戸時代の出来事であることは承知の上で、これを室町時代の物語として受け止め、それを鑑賞する力――と評すると、いささか大仰であるけれども、今の君や僕も知っている、この頃の言い回しを用いれば、それが演劇と関わる人間の、粋(いき=意気)でもあれば、通(つう)でもあった訳である。まあ、これを今風に置き換えれば、趣味やセンスや、お洒落(しゃれ)と言った所であろうか。

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