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詩人の幸福(第四回)――「教養」の来た道(277) 天野雅郎

いわゆる「まげもの」が好きである。――と筆を起こしても、君には事情が、よく分からないであろうから、まず恒例の『日本国語大辞典』(2006年、小学館)を引いて、その「まげもの」の語釈を紹介しておくと、そもそも「まげもの」とは「男が〔、〕まだ髷〔まげ〕を結〔ゆ〕っていた時代を背景にした小説・芝居・映画などの総称」であり、これを「ちょんまげもの」(丁髷物)と言ったり「時代物」と言ったりする。と、このように説明をされてはみても、それほど君の理解は先に進む訳でもなかろうが、要するに「まげもの」とは漢字で書けば、とりあえず「髷物」となって、君や僕が現在、あの「時代劇」という名で呼んでいる「時代物の劇。近代以前の人物・事件などを題材とした劇や映画」(同上)のことを指し示している、と受け取っておけば、さしあたり大過はないであろう。

とは言っても、いったい「髷」(まげ)とは何であり、それを「丁髷」(ちょんまげ)と呼び直したら、その「髷」の、どの部分が、どのように変化をするのか知らん、と君は疑問に感じているのかも知れないし、そのように感じること自体が、ほとんど稀有になってしまった時代に、君や僕は生きているのかも知れないね。でも、君や僕は今でも、毎日毎朝、自分の顔を鏡(かがみ=可我見)で見て、その顔の上あたりに乗っている......と言い出すと、いささか語弊があるので、言い繕(つくろ)っておくけれども、そこ(すなわち、頭の頂)に生えている髪の毛に気を配り、それを手で触って、いじったり、ひねったり、たばねたり、むすんだり、このような動作を延々、君や僕は繰り返しているのであって、その行為は君や僕が、どのような時代に生まれ合わせても、変わらなかったはず。

その意味において、このような髪(hair=剛毛)や、その型(style=尖筆)が人間にとって、はなはだ重要な機能を有してきたことを、そして今でも有し続けていることを、もっと君や僕は顧みる(省みる?)べきであろうし、ひょっとすると人間(human being)とは何か、という問い掛けに対してさえ、そこで髪の毛の担っている役割は、きわめて大きく、それは存外、人間性(humanity→human nature)の核心に迫りうるものでも、あるのではなかろうか。その意味において、と繰り返すけれども、このような一種の髪型(ヘアー・スタイル)の名を冠して、この国では小説が書かれたり、芝居が演じられたり、映画が撮られたりしていることに、僕は相当、興味を感じているし、大袈裟(おおげさ→大袈裟斬り!)に言うと、そのことに関して、何と、誇りまでをも感じているのであった。

ただし、このようにして「男」が、あくまで「女」ではなく「男」が、その頭に「まだ髷を結っていた時代」(すなわち、いわゆる「近代以前」)に、この「髷物」という語自体が、存在していた訳ではなく、この語自体は『日本国語大辞典』が、その典拠として藤村作(ふじむら・つくる)と千葉勉(ちば・つとむ)の編集した『現代語大辞典』(1932年、一新社)を挙げていることからも、よく分かるように、ようやく20世紀以降になって誕生した、その名の通りの「現代語」であり、その背景には「近代以降」の、小説や芝居や映画の歴史が前提とされていることも、見逃されてはならない。が、そうであるからこそ、むしろ日本人は反対に、なぜ「髷物」という「現代語」まで産み出して、そのことを通じて、いったい何を表現しようとしていたのかが、問われざるをえないはずである。

ちなみに、このような「髷物」に僕自身が、いちばん熱狂したのは子供の時分であったが、例えば昭和三十七年(1962年)から足掛け4年に亘り、ちょうど僕が小学生になった年から、待ってました(!)とばかりにスタートを切った、あのテレビ時代劇の『隠密剣士』(TBS)は、まさしく僕を「とりこ」にしたし、僕が生まれて初めて、たった一人で恐る恐ると映画館に足を運び、その暗闇で目を凝らしたのは、今にして想い起こせば、何と壇一雄(だん・かずお)の原作を藪下泰司(やぶした・たいじ)が監督した、例の『少年猿飛佐助』の再上映(リバイバル)の折であったし――と、このようにして辿り出すと切りがなく、おそらく君にはチンプンカンプンで、いっこうに興味の湧かない話であろうから、この辺りで止めにしておくのが、やはり大人の慎みと言うべきものであったろう。

と言いながら、なかなか話に収まりの付かないのが「髷物」の性(さが)であり、これ以降も僕は引き続き、やれ柴田錬三郎(しばた・れんざぶろう→「シバレン」)だ、やれ司馬遼太郎(しば・りょうたろう→「シバリョウ」)だと、それこそ学校の勉強は二の次で、そっちのけにして(......^^;)中学生の時も高校生の時も、ひたすら僕が愛好していたのは時代小説の、とりわけ剣豪物や浪人物や、ひいては忍者物という枠に位置づけられる「髷物」であった訳である。ちなみに、僕の娘が目下、ほぼ似たり寄ったりの状態に陥っており、このような「髷物」の撒き散らす毒素に、完全に遣(や)られているけれども、ここで我が身を振り返り、忠告の一つでもすれば、それは自己欺瞞と評するべきか自己否定と評するべきか、まあ、親子の血は争い難いと、悟りの境地に達するしかない次第。

ところで、僕が今回、このような話を始めているのは、実は先刻来、僕の膝の上に『まげもの・のぞき眼鏡』(1981年、旺文社文庫)と題された本が置かれているからであり、それは大学生の頃から、ずっと僕が敬愛して止まない、鶴見俊輔(つるみ・しゅんすけ)や山田宗睦(やまだ・むねむつ)の合著なのであるが、そこには「まげもの」(=時代物)が「今の社会に〔、〕その理想をささえる現実的基盤を失ったものが、自分の理想の再編成のために読む読み物である」と規定され、それと並んで、そこには「現実には〔、〕まだ形をなさない未来に託する希望も、旧時代の風物に託して語られて」いるのが特徴である、と述べられていて、この点は僕が「詩人の幸福」という形で、君に話を聴いて貰(もら)っている「詩人」の性格とも、そのまま重なり合うものであったから、ご一読を。

 

時代物作家と、歴史小説家とは、ちがう。歴史上の事実をしらべて、ある時代を現代に再現する〔、〕リアリスティックな小説を歴史小説と呼ぶとすれば、時代物小説とは、明治以前の日本人が〔、〕ちょんまげをゆっていた時代の姿をかりて、今日の日本では〔、〕ゆるされぬほどに空想の羽をのばして書かれた小説を呼ぶ。〔中略〕この意味では時代物小説はSFに近い。

 

だが、それだけでは、言いつくせない。〔改行〕明治以後の日本の文化は、明治以前を〔、〕すっぽり忘れさせようとする文化だった。〔中略〕時代物小説は、明治の初期の若い文学者たちの忘れたがっていた、すぐ昨日にあたる〔、〕まげもの風俗を書きつづけた。だから〔中略......時代物小説は〕今とはちがう昔の世相をかりて〔、〕現代を批判する姿勢の小説となる。

 

日本の社会は、幕末と昭和の敗戦とで、二度にわたって大きな社会変動をとおってきた。それでも、日本の指導者層は、明治にたてられた学校教育の選抜制度と選抜合格者の通る官僚制度をとおして〔、〕ほとんど同じ社会制度に固定している。〔中略〕日本の中におこった、また〔、〕おこりつつある社会変動の意味を〔、〕それを経験した大衆が納得できる仕方で明らかにする仕事は、今後も、時代物作家を別にしては〔、〕できない。

 

さて、いかがであろう。このようにして捉え直すと、ここには大仰な物言いをすれば、今から2300年以上も昔のギリシアで、あのアリストテレス(『詩学』)の語った「遠き世の詩人(うたびと)たち」(山本健吉『詩の自覺の歴史』)の姿までが彷彿としてくるから、たまらない。そして、これ以降も「詩人(うたびと)たち」は、それが真正の、まっとうな「詩人(うたびと)たち」である限り、いつも「遠き世の詩人(うたびと)たち」であったし、あらざるをえなかったのでもあり、そのことを通じて哲学や演劇や、ひいては「まげもの」や「時代物」とも近縁の、いたって近縁の関係を保ち、その「言葉」を介して「社会」と、その「理想」と「未来」を語り続けて、今に至っている。――と言った辺りで、どうやら今年は最後の、これがメッセージ(message=贈物)のようである。

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