ホームメッセージ詩人の幸福(第五回)――「教養」の来た道(278) 天野雅郎

メッセージ
メッセージ

詩人の幸福(第五回)――「教養」の来た道(278) 天野雅郎

謹賀新年。君には多分、寝耳に水の話であろうけれども、これまで日本文学史上、それどころか、おそらく日本文化史上、最も大きな影響力(influence)を持ち、あたかも君や僕の体の中に、星の光が流れ込む(influentia)かのごとき不思議な、神秘的な力を保ち続けている作品を一つだけ挙げなさい、と言われたら、それは藤原公任(ふじわら・の・きんとう)の編纂した『和漢朗詠集』ではあるまいか、と僕は常日頃、考えていて、そのような考えを実際に、今の僕の、この身(み=実)と心(こころ)で受け止め直してみれば、そこには現時点で、どのような反応が産み出されるのであろう。そして、そこから僕の目の前には、どのような光景が姿を現(あらわ=露・顕)すのか知らん......と、このようなことを思い立って、昨春来、僕は『和漢朗詠集』のページを捲(めく)っている。

とは言っても、当然のことながら、もともと『和漢朗詠集』は平安時代の中期の、西暦に直せば、おおよそ11世紀の前半に成立したものであったから、そこに古代のエジプトにまで遡る、あのパピルス(papyrus→paper)の葉を束ねて、これをギュッと、しめつけて作ったページ(page)が存在している訳ではなく、それは英語で言えば、いわゆるスクロール(scroll)状態の、上下二巻の巻物(まきもの)であったのが本来の形である。ちなみに、この内の上巻(すなわち、巻上)には、その名の通りに「和漢」を代表する、四季(=春・夏・秋・冬)の「和歌」と「漢詩」(+漢文)が並べられ、これが「立春」から始まって「仏名」(ぶつみょう)に至る、合わせて396のアンソロジー(anthology=詞華集)として、当時の貴族たちに「朗詠」され、曲節を付けて歌われたのが起源である。

ただし、このような『和漢朗詠集』の影響力は、単に当時の、都の貴族たちに限られた話ではなく、これが平安時代以降も、さまざまな写本や注釈を産み出し、多くの文学作品や書画の中に、その感化の跡を留めていることは、よく知られている。また、そこから例えば、江戸時代には寺子屋の教科書として使われたり、それ以前にはキリスト教の宣教師たちを介して、言ってみれば、キリシタン版『和漢朗詠集』までもが遠く海を渡り、はるかヨーロッパにまで伝えられたりしたことを振り返れば、このアンソロジーの影響力は、それこそ時間と空間を超えている。――と書き継いでみて、今さらながら、納得が行ったのであるけれども、このようにして時間と空間を超えた、文字どおりに詞(logos=集)の華(anthos)の連なりは、この『和漢朗詠集』自体の成り立ちでもあったはずである。

なにしろ、この『和漢朗詠集』には下巻(すなわち、巻下)も含めると、計216の「和歌」と、それを数の上では大幅に上回る、計588の「漢詩」(+漢文)が収められており、その行為自体が充分に、すでに時間と空間を超える営みでもあったからである。しかも、これが下巻であれば、今度は「風」や「雲」から始まって、そのような自然の最中(さなか)に、自然と共に生きる植物や動物や、ひいては人間の姿が浮かび上がり、これらの命(いのち=生霊)が互いに、違った生活や人生や、性別や年齢や立場を有しつつも、すべて一つの、同じ命となり、ことごとく「白」(はく)へと辿り着く過程(プロセス)を描き出すことで、このアンソロジーは閉じられる。「しらしらし/しらけたる年〔=白髪〕/月光〔つきかげ=白光〕に/雪〔=白雪〕かきわけて/梅〔むめ=白梅〕の花折る」

さて、このような形で『和漢朗詠集』を引き合いに出しながら、また今回も、僕は君に「詩人の幸福」について、あれこれ話を聴いて貰(もら)っているのであるが、それは先日、僕が今年の最初の『和漢朗詠集』の講読会に際して、その主題に「交友」の部立(ぶだて)を選び、これを講読したからに他ならず、そこには有名な、あの白居易(ハク・キョイ)の「雪月花の時に最も君を憶(おも)ふ」(原詩→雪月花時最憶君)のフレーズを筆頭にして、中国と日本の「漢詩」(+漢文)が合わせて5首、その後には「和歌」が2首、載せられており、これらの「漢詩」(+漢文)や「和歌」を本当は......そのまま「朗詠」したいのが山々であるけれども、残念ながら、それを「講読」するのが僕にとっては関の山であり、そのこと自体に対して、僕は深く、慚愧を催さざるをえなかった次第。

と言ったのは、この「交友」という語に託して、これまで詠まれてきた「漢詩」(+漢文)や「和歌」の伝統(tradition=引き継ぎ)と、その文化(culture=教養)を想い起こす時、君や僕は結果的に、どうやら慚愧(ザンキ)という大仰な語によってしか表現することの叶わないような、ある種の喪失感を、今、味わわざるをえない時代を生きているのではあるまいか、と僕には感じられるからである。論より証拠、この「交友」の部立に並べられている、あるいは年齢を超えた友との交わり(=忘年之友)や、あるいは世代を超え、時代を超え、要は生死を跨いだ友との交わり(=異代之交)を、はたして君や僕は自分の周囲に見つけ出したり、それを自分の課題として、受け止めたりすることが出来ているのか知らん。――そのことを振り返ると、はなはだ僕は慚愧に堪えない訳である。

翻れば、このような事態を僕自身は、かつて高橋英夫(たかはし・ひでお)の『友情の文学誌』(2001年、岩波新書)を繙(ひもと=紐解)いた折に教えられ、それ以降、どこかで僕の頭(心?)の中には、この「友情」や「交友」という語が留まり続け、それが事あるごとに、僕に揺さぶりを掛け続けてきたように記憶している。具体的に言えば、この本が「友人関係」の代表として取り上げている、例えば夏目漱石(なつめ・そうせき)と正岡子規(まさおか・しき)の間の、あるいは森鷗外(もり・おうがい)と賀古鶴所(かこ・つるど)の間の、あまりにも濃密な「友人関係」から、いったい君や僕は現時点において、どれほど遠ざかってしまったのであろう。いわんや、それがプラトンやアリストテレスやキケロや、さらにはモンテーニュやゲーテとなれば、ほとんど絶望的であろう。

ともあれ、僕個人は今回、このような『友情の文学誌』の延長線上においても、たまたま『和漢朗詠集』の「交友」の部立を読み直す機会に恵まれ、それは疑いもなく、幸運であったし、少なくとも、このような「交友」の文化や、その伝統を遡った先に、昔々、これを日本人が中国人から学び、習い、やがて......それを自分たちの「心の耕し」(cultura animi)として引き継いできた、その水脈を再認識し、再確認するに至ったのは、きっと今年の最初の収穫であったに違いない。と言った辺りで、そろそろ紙幅も尽きてきたようであるから、以下、そのような「交友」の文化の辿り着いた、私たちの国の側の最初の到達点でもあれば、記念碑でもあった、あの『万葉集』の中から、お正月に相応しい「雪」の歌を幾つか、いわゆる「雪月花」の歌をも含めて、君に紹介をすることで、また次回。

 

新(あらた)しき 年の初めに 豊(とよ)の稔(とし) 徴(しる)すとならし 雪の降れるは

雪の上に 照れる月夜(つくよ)に 梅の花 折りて贈らむ 愛(は)しき児(こ)もがも

梅の花 咲けるが中(なか)に 含(ふふ)めるは 恋(こひ)や隠(こも)れる 雪を待つとか

初雪は 千重(ちへ)に降りしけ 恋(こ)ひしくの 多かる我(われ)は 見つつ偲(しの)はむ

新しき 年の始めの 初春(はつはる)の 今日(けふ)降る雪の いや重(し)け吉事(よごと)

教養の森に関するお問い合わせはこちらまで 和歌山大学学生センター 学務課

| 所在地:〒640-8510 和歌山県和歌山市栄谷930 | 電話番号:073-457-7130 |

Copyright ©2012 - 2018 Wakayama University