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『東海道四谷怪談』を読む(第五回)――「教養」の来た道(279) 天野雅郎

過日、今年の「大学入試センター試験」(正式名称「大学入学者選抜大学入試センター試験」)が行なわれ、また例年どおり、僕は二日間の試験監督に駆り出された末、疲労困憊(ヒロウ・コンパイ→クタクタ)となり、このブログの更新にも影響が及んでしまった始末。なにしろ、僕のように「大学入試センター試験」の受験世代(1990年~2020年)でもなければ、さらに遡って、あの「共通一次試験」(正式名称「大学共通第一次学力試験」)の受験世代(1979年~1989年)でもなく、この二つの試験(テスト)を黙々と、実に35年(!)余りにも亘って、ひたすら監督をし続けている側から言わせると、この試験監督(invigilator? proctor?)という業務は第三者の目に映るよりも、ずっと苛酷な労働であり、一定の年齢を過ぎたら放免するべきものではなかろうか、と常々、訴えている。

が、このような言い分に耳を貸してくれる、奇特(キトク)な御仁(ゴジン)は残念ながら、僕の周囲には存在せず、結果的に年齢が高くなれば高くなるほど、若い時よりも一層、一段と扱(こ)き使われる状況(=主任監督+連日勤務)が、くりかえされているのが実情である。まあ、このような言い分も当人が、体の彼方此方(あちこち→あちらこちら)に痛い所や不具合が生じて、はじめて分かる......と言おうか、まさしく身に、つまされるのであって、僕も昨今、文字どおりに頭の天辺(テッペン)から足の爪先まで、冗談ではなく、満身創痍の状態になって漸(ようや)く、この国には一年に一度、あの「敬老の日」(Respect for the Aged Day)という一日が、それも「国民の休日」ならぬ「国民の祝日」として、巡ってくる意味や必要も、やっと腑(ふ)に落ちてきた次第である。

ちなみに、このような敬老(respect for the old)という表現は、当然ながら、そこに「オールド」であることが尊重され、尊敬され、要は顧みる(respect→respicere)に値するものである、という一定の価値観(sense of values)を前提としており、前提とせざるをえない。したがって、その反対に、もっぱら「ニュー」(new)という語が評価され、おまけに「価値観は人によって異なる」(Different people have different values)という言い回しまで、まことしやかに人口(ジンコウ)に膾炙(カイシャ)し、この価値観という語自体が、まったく誤解をされてしまっている時代――すなわち、君や僕の生きている、この「近代」(=現代)という時代にあっては、おそらく時代が最も忌み嫌い、蔑(さげすみ=下墨)の対象とするであろう、これ見よがしの対象こそが老人であった。

しかも、それが半世紀ばかり昔に、完全に逆転した立場で、この「オールド」と「ニュー」の相克(rivalry→rival→river)を惹き起こしていた世代が、あたかもマルクスの名言(「歴史は繰り返す。一度目は悲劇として、二度目は喜劇として......」)の通りに、この悲喜劇(tragicomedy)を今一度、演じ直しているのであれば、なかなか歴史は侮(あなど)り難いものだな、と僕は思うけれども、さて君は、いかがであろう。ともあれ、このような相克的な歴史観と並んで、もともと「敬老」という語は古代の中国から、あの『孟子』を通じて私たちの国に、はるかに伝えられた語、と言うよりも、その精神であって、そこには興味深いことに、この語が「慈幼」と「無忘賓旅」と繋げて置かれている。――「老いを敬い、幼きを慈しみ、賓旅(ヒンリョ=賓客+旅人)を忘るること無かれ」。

そして、このような精神が儒教、と言おうか、儒学(Confucianism=孔子主義)の普及と共に、私たちの国で一番、定着を見たのは江戸時代であったろうし、とりわけ『孟子』に限って言えば、これが朱子学(Zhu Xi school of Neo-Confucianism)の流行に伴って、私たちの国の知識階級(インテリゲンチャ→インテリ)の必読書となり、教養書となったのは、ほかならぬ江戸時代の出来事であった。と、このように評しておきながら、まるで掌(てのひら=手平)を返すかのようで、気が引けるけれども、僕が今、君に話を聞いて貰(もら)っている、例の......これまた古稀(コキ=70歳)を迎えた、その意味においては立派な老人、鶴屋南北(つるや・なんぼく)の『東海道四谷怪談』では、そこに姿を見せる老人たちが、どう見ても、あまり敬老の対象とは言い難いから、困った話である。

事実、この物語で主要な役回りを演じる「老人」と言えば、まず思い浮かぶのは、やはり主人公、民谷伊右衛門(たみや・いえもん)の義理の父であり、お岩にとっては実の父である、四谷左門(よつや・さもん)であるが、彼は登場早々、暮らしに困って物乞いをして、縄張りを荒らした報(むくい=酬)で乞食(こじき)たちから、袋叩きに会う訳であるし、なおかつ、彼が義理の息子の公金横領の罪を知っていたことから、秘密保持のために待ち伏せされ、無慈悲にも切り殺されてしまうことになる。この点に関しては、同様に民谷伊右衛門から「舅(しゅうと)」と呼ばれることになる、お梅の祖父、伊藤喜兵衛(いとう・きへい)も等しく、その末路は悲惨であり、彼は義理の息子(孫?)の目には小仏小平(こぼとけ・こへい)と映り、その首を一刀両断、刎(は)ねられてしまう。

また、これに加えて民谷伊右衛門の義理の、もう一人の父(養父)である、新藤源四郎(しんどう・げんしろう)も例外ではなく、彼は物語の大詰、行脚(あんぎゃ)僧の出で立ちで「蛇山庵室(へびやま・あんじつ)の場」に現われ、この義理の息子を「不忠者」や「不義士」と罵(ののし)り、さらに「勘当」(かんどう=親子絶縁)を言い渡す、かなり重要な役目を与えられているけれども、その最期は首を括っての縊死(いし)であるから気の毒である。おまけに、それに先立ち、その新藤源四郎自身が四幕目の「寺町(てらまち)孫兵衛(まごべえ)内(うち)の場」では、民谷伊右衛門ともども「邪者(よこしまもの)」とも「不義士の随一」とも蔑まれていたことが、見逃されてはならない。――「民谷伊右衛門こそ、不義士の随一、新藤が倅(せがれ)にて、親にも勝る邪者」。

 

源四郎 「ヤイ、道(みち)弁(わきまえ)ぬ不忠者めが。〔中略〕無得心(むとくしん)な不義士の己(おのれ)。〔中略〕親の身共(みども)まで、不忠の汚名(おめい)を取るわいやい。エエ、見下げ果てたる畜生(ちくしょう)め」

伊右衛門 「親父殿......」

源四郎 「まだ、ぬかすか。〔中略〕武士の風上(かざかみ)へ置かれぬ奴(やつ)。〔中略〕勘当じゃ。親でも子でもない己」

伊右衛門 「エ、左様(さよう)なら親父様、アノ、私(わたくし)を」

源四郎 「親でもない。エエ、勝手にしおれ」

 

さて、このようにして振り返ると、どうやら『東海道四谷怪談』の中で正当に、それ相応に敬老の精神を持って、ねんごろに扱われている老人は誰もいない、という驚くべき結論に至りかねないのであるが、そこに強いて、特別扱いをするべき人物がいるとすれば、それは小仏小平の父である、仏(ほとけ)孫兵衛ではなかったろうか。とは言っても、そのような「仏」ぶりも彼の女房の、お熊からは「しろもの」とも「まぬけ」とも「うすばか」とも、あるいは「提灯爺(ちょうちんじじい)」(陰茎萎縮=インポテンツ)とも、さんざん扱き下ろされる為体(ていたらく)であり......この、ほかならぬ民谷伊右衛門の実の母を後妻としていること自体が、そもそも彼の「仏」ぶりの一つであったのか、それとも、それは老人のみぞ知る、奥深い、生(性?)の煩悶であったのか。人生不可解。

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