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恐怖の哲学(補遺一)――「教養」の来た道(282) 天野雅郎

僕が大学生であった頃、哲学(フィロソフィー)の勉強を始めようとすれば、まず哲学史(ヒストリー・オブ・フィロソフィー)の読書からスタートをするのは常識中の常識であった。と、このように過去形(完了形?)で言ったのは、それが多分、現在の大学では常識ではないからに他ならず、どう見ても、僕の周囲で哲学の勉強をしている人たちが、学生であっても教員であっても、昔から今に及ぶまでの哲学の歴史を、一通り押さえ、踏まえた上で、何かを考えている姿......と言おうか、まさしく姿勢(=体の構え方+心の持ち方)を示しているケースは、きわめて稀(まれ)であって、ある一定の、限られた時代や地域や人物の、要は、特殊(スペシャル)な哲学を専門(スペシャル)に勉強をしている場合が大半ではないのか知らん、と僕は思うけれども、さて君は、いかがであろう。

もっとも、このような事態は別段、哲学だけに限られた話ではなくて、例えば文学(リテラチャー)にしても歴史学(ヒストリー)にしても、その事情は似たり寄ったりなのではあるまいか。とすれば、この三つの学問領域を合わせて、かつては「哲史文」(=哲学+歴史学+文学)という語で「文学部」(Faculty of literature/Faculty of letters)のことを指し示していた時代があったように、どうやら時代は「文学部」の全体を巻き込んで、そこで営まれてきた教育(education=自己孵化)の内容や方法が、まったく灰燼に帰してしまう危惧をも伴いつつ、動いているのでもあるらしい。とすれば、と繰り返すけれども、君や僕の周囲に分断された、部分的で断片的な知識しか所有していない、哲学者や歴史学者や文学者が、堂々と罷(まか)り通るのも当然であったのかも知れないね。

と書き継いで――ふと想い起こしたので、付け加えておくと、僕が大学生の時分、当たり前に文学部の「哲学科」(Department of Philosophy)には、いわゆる「西洋哲学」と「インド哲学」(!)と「中国哲学」が存在しており、その上で、そこには「倫理学」も単独の講座として顔を並べていたし、授業科目だけなら「論理学」も、これまた当たり前に開講されていた訳である。と言うことは、ここに不足しているのは「日本哲学」ではなかろうか、と僕は若気の至りで、はなはだ安直に思い込み、やおら「日本哲学」の勉強を始めることにもなるのであるが、やがて振り返れば、そこには「イスラム哲学」(=アラビア哲学)や「アフリカ哲学」や「中南米哲学」(=ラテン・アメリカ哲学⇔アングロ・アメリカ哲学)だって、同じように抜け落ちていたのであるから、お恥ずかしい限り。

第一、そもそも「哲学史」と言っても、当時は例えば創元文庫や、あるいは新潮文庫で新たに、その廉価版が出直していた、あのヴィンデルバンド(Wilhelm Windelband)の『西洋近世哲学史』を繙(ひもと=紐解)くのが、お決まりのコースであったし、このことからも窺えるように、まず「哲学史」とは「西洋哲学史」のことに他ならず、おまけに、それは「西洋近世哲学史」の言い換えに過ぎなかった次第。この点は、さらに岩波文庫で、続けてシュベーグラー(Friedrich Karl Albert Schwegler)の『西洋哲学史』や、それを遡って、ご本尊のヘーゲルの『哲学史』(→『哲学史講義』)にまで辿り着いても、ほとんど視界は開けない、と言おうか、変わらないのであって、そこには近世哲学(=近代哲学)以外の哲学は、まったく二次的な意味と価値しか与えられていなかったのである。

唯一の例外は、このような「モダン・フィロソフィー」が自分自身の、さながら故郷のごとく、また、そこに住み、暮らしていた、ご先祖のように見なした古代哲学であり......と言い出すと、いかにも不自然で、不可解な物言いになってしまうけれども、そのような不自然ぶりや不可解ぶりを物ともせず、この「モダン・フィロソフィー」は古代のギリシアの、とりわけアテナイ(→アテネ)の古典的(classic=最上級)な哲学の、ソクラテスやプラトンやアリストテレスや、その延長線上に位置する、まさしく「ソクラテス以前の哲学者」(Vorsokratiker)の後姿を、ひたすら追い求め、そして同時に、これらの哲学者を合わせ鏡のようにして、今度は西洋の近世と近代の、デカルトやカントやヘーゲルの中に、その似姿を二重写しにしようとして、躍起になっていたのであるから驚きである。

とは言っても、このような驚きは僕自身が、結果的に大学生の頃から、長い時間を費やして、細々と哲学の勉強を続けていく内に、少しずつ感じ取ることの出来るようになった驚きであり、何と、その気になって振り返れば、実は君や僕の住み、暮らしている、この日本においても似た形で、やれ『古事記』だ、やれ『万葉集』だと、ほとんどヨーロッパ(ドイツ?)と見紛わんばかりの、同じ「ご先祖探し」は横行していた訳であり、その限りにおいて、このような営みは君や僕が近世や近代と称している時代に固有の、人間の性(さが)であるのかも知れないね。なにしろ、もともと近世や近代と呼ばれる時代は、あのルネサンス(Renaissance)や宗教改革(Reformation)という名の再生運動に遡り、それらが目指すのは、ある特定の時代への復古(Restoration)に他ならなかったから。

ともあれ、このような歴史の渦の中に身を置いてしまうと、あたかも古代の哲学と、近世や近代の哲学の間には、ほとんど哲学らしい哲学は存在せず、存在しているのは哲学ではなく、むしろ神学(theology)ではなかろうか、という思い込みまで、いつしかムラムラと頭を擡(もた)げてくるのであるから、困った話である。実際、僕自身は今に至っても、どこかで「中世哲学」という語に違和感を覚えざるをえないし、これが直接的に「キリスト教哲学」(Christian philosopy)という言い回しを取ると、それが「教父哲学」であっても、それを引き継いだ「スコラ哲学」であっても、心の奥にチクチクした、棘(とげ)のような痛みを催さざるをえないのが正直な所である。であるから、それは多分、どこかで僕を哲学好きの、宗教嫌いにしている何かでも、ありえたに違いないのである。

さて、このようにして人間には、それ相応に頑張っても、越え難い閾(しきい)のごときものが潜んでいる、と僕には思えるのであるが、それにも拘らず、逆に虚仮(こけ)の一念、岩をも通すの譬えの通り、遅々とした勉強の中からは降って湧いたように、それまで見えていなかった何かが見えてくる、特権的な瞬間が訪れることも確かである。それは僕の場合、例えば古代のギリシア人の哲学と並んで、ある日、急に古代のローマ人の哲学が、不思議にキラキラと輝いて見えた時であり、とりわけ「ストア哲学」が「西洋哲学」の歴史において果たした甚大な影響と、そこから伝統的な哲学の三領域である、あの論理学と自然学と倫理学が生まれたこと、そして、これらが突き詰めれば、すべて人間の恐怖を対象とする、まさしく「恐怖の哲学」であったこと、それを呑み込めた折であった。

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