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恐怖の哲学(補遺二)――「教養」の来た道(283) 天野雅郎

君には「ストア哲学」と言っても、おそらく何のことやら、珍糞漢糞(チンプンカンプン)であろうが、それでも君が「ストイック」と評される、この哲学の教説や、それを主張した哲学者たちに由来する、この言い回しを知っている可能性は高いに違いないから、その分、僕は君に「ストア哲学」の話を、それほど唐突でない形で始めることも叶うのではないか知らん......と思いつつ、いつもの『日本国語大辞典』(2006年、小学館)で「ストイック」の項を引くと、そこには以下の語釈が並べられているので、ご参照を。なお、まず大文字で記載されているのが、名詞の「ストイック」で、次に小文字で表現されているのが、形容動詞の「ストイック」であったから、念のため。――「①(英 Stoic)ストア学派に属する哲学者。また、ストア哲学を信奉する人。②(英 stoic)禁欲的なさま」

ちなみに、ここに手許の『英語語源辞典』(1997年、研究社)の説明を添えておくと、どうやら英語で ②の「禁欲的なさま」という用法が姿を見せるのは16世紀の末年(1596年)らしく、その前には、すでに同じ意味の「ストイカル」(stoical)が使われていたようである。なお、この当時は日本で言うと、豊臣秀吉(とよとみ・ひでよし)の最晩年に当たっていて、すさまじい地震(→慶長大地震)が立て続けに、これ以降、私たちの国を襲っている。また、この年の前後にはイギリスで、シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』が上演されたり、フランシス・ベーコンの『随想集』(Essays)の初版が刊行されたりしているし、これまたベーコンと並んで「近代哲学の父」と称される、あの「ストイック」な哲学者の代表、ルネ・デカルトの生まれた年でもあったから、印象的である。

ところで、もともと「ストイック」という語は先刻、述べたように ①の「ストア学派に属する哲学者。また、ストア哲学を信奉する人」を指し示している訳であるから、その中の一人に僭越ながら(......^^;)この僕自身も含めれば、その歴史は実に、今や2300年以上にも及んでいる。と言い出すと、おそらく君も今から指折り、と言うのは少々、苛酷な注文であろうが、この「ストア学派」なるものが古代のギリシア世界にまで、はるかに淵源を有するものであることを、もはや了解済みではなかろうか。事実、この「ストア」とはギリシア語で「壁面に絵のある列柱廊」(stoa poikile=彩色柱廊)を意味しており、そこで「前四世紀末、キプロスのゼノンによって創始され、後二世紀頃まで盛んに行なわれたギリシア哲学の一派」であると、さらに『日本国語大辞典』は説き明かしている。

もちろん、ここにキプロス(Cyprus)とあるのは、ゼノン(Zenon)の故郷でもあれば、あの愛と美の女神、アフロディーテー(=海の泡から生まれた者)の誕生の地とも目されていた、地中海のキプロス島のことである。もっとも、彼自身はギリシア人ではなく、フェニキア人であって、船の遭難事故でアテナイ(→アテネ)に辿り着き、ここで哲学を学び、やがて同地の「彩色柱廊」で、その名の通りに自分自身の「ストア哲学」を講じることになった次第。言い換えれば、このようにして地中海世界の全体が、ギリシア起源のギリシア風文化(すなわち、ヘレニズム文化)に染まり、そこで人々が「共通語」(すなわち、コイネー)を操り、それが「世界市民」(コスモポリタン)の証(あかし)であるかのような観を呈していたのが、この「ストア哲学」の生まれた時代であった訳である。

そして、このようなヘレニズム(Hellenism)文化の時代は、おおよそ300年の間、続いた後、今度はローマ帝国によって、再統合と再支配を受けることになるのであるが、結果的に「ストア哲学」はギリシア世界からローマ世界へと受け継がれ、驚くべきことに後者の場合、それこそ皇帝(→マルクス・アウレリウス)から奴隷(→エピクテトス)に至るまで、多くの信奉者を産み出すことになる。しかも、このようなローマ世界の「ストア哲学」(=後期ストア哲学)が、そのままキリスト教世界であるヨーロッパの、公用語であるラテン語を介して、古代から中世へと、ひいては近世以降へと引き渡され、例えばセネカのように、哲学者としても劇作家としても、あのモンテーニュやパスカルや、あるいは先刻、紹介をしたデカルトやシェイクスピアの中に、絶大な影響を及ぼすことになる。

この点は、まさしくヨーロッパ世界が近代(→現代)に至るまで、その公用語(オフィシャル・ランゲージ)としてラテン語を位置づけ、そこから英語にしてもフランス語にしても、ひいてはドイツ語にしても、抜き差しならない縛りを蒙った以上、当然と言えば、当然のことであるけれども、このようなラテン語の模範的な使用者と仰がれたのが、その「黄金時代」を生きた、あのキケロであったり、それに続いて、次の「白銀時代」を生きた、セネカであったりした訳である。そして、そこから彼らは結果的に、ヨーロッパ世界における文字どおりの「古典」(classic=最上)としての地位を与えられることにもなれば、彼らの言葉遣いは、そのまま文法(grammar)を学ぶ際にも修辞(rhetoric=雄弁)を学ぶ際にも、また弁証(dialectic=問答)を学ぶ際にも、お手本となったのである。

おそらく、このようにして「ストア哲学」が、それ以降のヨーロッパ世界に及ぼした影響は、単に哲学に限られた話ではなく、そこには文学や演劇を始めとする、肥沃な芸術の裾野が伸びているし、もともと哲学自体が突き詰めれば、そのような芸術と紙一重のものであることも、忘れられてはなるまい。その意味において、例えば「ストア哲学」が哲学を、いわゆる「論理学」と「自然学」と「倫理学」に三分割したことも、それを狭い哲学の枠の中に押し込めたり、封じ込めたりするのではなく、これを広く、人間の生(生活、人生、生命......)の探究の場として捉えることが必要であり、それを踏まえれば、このような「ストア哲学」の体系に即し、その全体像に応じる形で、君や僕は彼らの「論理学」と「自然学」と「倫理学」を、まるごと、まるまる理解することが求められてもいる。

その点で振り返ると、かつて僕が別の繋がり(『東海道四谷怪談』を読む:第二回)で君に紹介をした、例の村瀬学(むらせ・まなぶ)の『恐怖とは何か』(1992年、JICC出版社)の中で、具体的に人間の「恐怖」が「論理」と「身体」と「倫理」の三次元に、分割されていたことが想い起こされる。と言い出したら、それが実は、古く「ストア哲学」の唱えた「論理学」(logic)と「自然学」(physics→身体学)と「倫理学」(ethics)に遡りうるものであることを、きっと君は察してくれるであろうし、そのような「恐怖」は考えてみれば、あの「対人恐怖症」や「自閉症」と呼ばれる、はなはだ現代的な「恐怖」を指し示すと同時に、そこから遠く、古代のヘレニズム文化の時代へと通底する、ある種の「グローバル世界」の「恐怖」でもあることを、きっと納得してくれるに違いない。

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