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台風談義(承前)――「教養」の来た道(315) 天野雅郎

台風の話が、とても好きである。理由は、よく分からない。多分、子供の頃から台風が近づくと、にわかに空模様が変化をし――薄暗くなり、風が吹き始めたり、木が揺れ出したり、それが雨催(あまもよ)いに転じていくのが、なんだかワクワクする思いがして、幼い時分の僕の心に、ある種の精神的な高揚感を齎(もたら)した所為(ショイ→せい)なのではないか知らん......と振り返っているのではあるけれども、それほど事態は明瞭ではない。なにしろ、僕が子供の頃には台風が近づくと、それこそ一家総出で、家の壁や窓に、板を打ち付けたりしていたのであるから、こちらは精神的な高揚感とは、とうてい呼べないような、かなり不安な思いでもあったに違いないのである。まあ、それを幼い時分の僕の心が、どこまで深刻に受け止めていたのかは、何とも怪しい話なのではあるが。

ともあれ、このようにして今回も、また台風の話である。が、その気になって想い起こすと、すでに僕は君に、このブログでも幾つか、台風がらみの話をしてきているのであって、その最たるものは――ちょうど今から4年前の、この時期、台風が次から次へと日本列島を襲った折の話であった。(→「台風以前、台風以後」)事実、僕の記憶が定かであるならば......と言いながら、こっそりと手帳のページを捲(めく)るあたりが、いわゆる「寄る年波」には勝てない所であるけれども、そうそう、この時は台風11号(ハーロン→HALONG)の影響で、僕は女房の実家に挨拶に行くことを中止して、そのまま帰省をしたり、その直前、我が家の窓辺から転がり落ち、砕け散ってしまった硝子(ガラス)の盃(さかずき=酒杯)の後片付けをしたり、いろいろバタバタしていたことが想い起こされる。

ちなみに、この折の台風には警報が四つ(=大雨+洪水+暴風+波浪)も重なって出る始末で、まるで映画のワンシーンのようであったが、まあ、それが我が家の場合は粉々になった、硝子の破片によって象徴されていた訳でもあって、まだ事無き(漢語→無事)を得たけれども、この時の台風では相当、大きな被害を蒙(こうむ)った場所が、日本各地にはあった。そして、そのことで今年(平成二十六年→2014年)は台風の、まさしく「当たり年」だな――と多くの人が、言い交していたのも想い起こされる。でも、このような時には日本語で、もともと「風見舞」(かぜみまい)という名の、実に的確な言い回しも存在していたのであるが、昨今の日本人は「風見舞」と言っても、せいぜいインフルエンザの「風邪見舞」あたりと、勘違いをされかねないような為体(ていたらく)である。

ところで、そもそも「当たり年」という語は何かしら、その年が「縁起の良い年」であったり「幸運に恵まれた年」であったりした際、用いられる語であり、例えばNHK放送文化研究所のウェブサイトを見ると、この語を災害関連の報道に用いるのは「被災者・被災地への配慮に欠ける不適切な表現です」(!)と書かれているから、ご留意を。また、その典拠としてNHK放送文化研究所は『広辞苑』(岩波書店)の語釈(収穫や利益の多い年。転じて、物事が思うようにうまくいく年。縁起の良い年)と『大辞林』(三省堂)の語釈(①ある農作物や果物などの収穫の多い年。②物事が順調にいき、幸運に恵まれた年)を挙げていて、いつもの『日本国語大辞典』(2006年、小学館)も引いておくと、そこには「①ある作物がたくさんとれる年。豊年。②幸運に恵まれ、物事がうまくゆく年」とある。

なお、このNHK放送文化研究所(NHK Broadcasting Culture Research Institute)という機関は、かつて昭和二十一年(1946年)に現在の「日本(○ニッポン ×ニホン)放送協会」が戦前の社団法人から戦後の特殊法人へと移行をする、その前に設立されており、その点ではNHK(○エヌ・エッチ・ケー ×エヌ・エイチ・ケー)自体よりも古い、もはや70年余りの歴史を持っていることになるから驚きである。ついでに、もともと「日本放送協会」の英語名は、戦前はThe Broadcasting Corporation of Japanであったから、これを戦後も引き継いで、そのままBCJという形で略称として使う案も、なかった訳ではなく、それではBCG(Bacille de Calmette et Guérin)と、よく似ているので困る(......^^;)という話でもなかろうが、結果的にNHKという日本語名の略称が宛がわれることになる。

ただし、このようにして「日本放送協会」(Nippon Housou Kyoukai)が、その名をNHKと呼ばれるのか、それともBCJと称されるのかは、例えば結核予防のワクチン(vaccine←ラテン語:vacca=雌牛)が、その作製者の二人(アルベール・カムレット+カミーユ・ゲラン)の名前を取り、これを結び合わせて「カルメット=ゲラン菌」(BCG)と名付けられたようには、安易な解決を望みえないのであって、そこには日本人(「ニッポン」人?「ニホン」人?)の、あるいは日本語(「ニッポン」語?「ニホン」語?)の、はなはだ面倒な、政治の選択が浮かび上がってくる。とは言っても、このようにして決まった「エヌ・エッチ・ケー」が、わずか数年後には「エッチ」という音で、今度は「変態」(HENTAI)や「いやらしい男」を連想させてしまうのであるから、政治の先行きは不透明である。

閑話休題。――台風の話であった。が、この台風という語を日本人が使い出すのは、それほど古い時代ではなく、むしろ新しい事態であって、この漢字表記自体は、たかだか60年余りの歴史しか有していない。と、このような話を4年前に、僕は「台風以前、台風以後」で持ち出していた次第。この点については、もう繰り返すことを控えるが、その、まさしく「台風以前」の段階において、このような荒々(あらあら)しい力を伴い、この世界の、すべてのものを吹き飛ばしてしまうかのような風のことを、そのまま日本語では嵐(あらし)と称してきたのであり、その意味において、この時期、あたかも秋(あき)の到来に合わせ、すべてのもの洗(あら)い、そこに清々(すがすが)しい、すっきりした秋の姿(すがた)を出現させるべく、立ち現(あらわ=露+顕)れるのが嵐であった。

さて、このようにして今回も、あれこれ台風の話をしている間に、そろそろ夜明けも近づいてきたが、昨日は一日、台風18号(ルンビア→RUMBIA)の影響で、雨が降ったり、止んだりの繰り返しで、その都度、僕も窓を閉めたり、開けたりの繰り返しで、仕事が中断し、ほとほと疲れてしまったけれども、どうやら台風一過、今日は一日、晴天に恵まれる模様。そこで、今回は有名な、あの『枕草子』の「野分」(のわき)の段を、僕は君に紹介し、もともと日本語では台風を始めとする災害が、単なる災害ではなく、そこには神秘的な、ある種の「神意」の「あらわれ」(白川静『字訓』)が示され、その限りにおいて、災(わざはひ→わざわい)も幸(さきはひ→さいわい)も共に、君や僕にとっては同じ「神意」の「しるし」に他ならなかったことを、あらためて振り返っておくことにしたい。

 

野分の、またの日こそ、いみじう、あはれに、をかしけれ。立蔀(たてじとみ)透垣(すいがい)などの乱れたるに、前栽(せんざい)ども、いと心苦しげなり。大きなる木どもも倒れ、枝など吹き折られたるが、萩(はぎ)女郎花(をみなへし)などの上に横ろばひ伏せる、いと思はずなり。格子(かうし)の壺などに木の葉を、ことさらにしたらむやうに、細々(こまごま)と吹き入れたるこそ、荒かりつる風の仕業(しわざ)とは覚えね。〔改行〕いと濃き衣(きぬ)の上曇(うはぐもり)たるに、黄朽葉(きくちば)の織物、薄物などの小袿(こうちき)着て、まことしう清げなる人の、夜は風の騒ぎに寝られざりければ、久しう寝起きたるまゝに、母屋(もや)より少しゐざり出(い)でたる、髪は風に吹き迷はされて、少し、うちふくだみたるが肩に掛かれるほど、まことに、めでたし。

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