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和漢学入門(第三回)――「教養」の来た道(319) 天野雅郎

前回は話が、いささか横道に逸(そ)れた嫌(きら)いが、なきにしもあらず――なのではあるけれども、なにぶん「夏休み」の宿題でもあるから、ご容赦を。とは言っても、このようにして話が横道に逸れること自体、僕は一向に悪いことだとは思っておらず、そもそも「横道」と言うと、すぐに本道や正道から外れた、まさしく邪道として捉え、これを非難する方が、どうかしているのではないか知らん。なにしろ、君や僕は子供の頃、それこそ「夏休み」であったりすれば、わざわざ横道を選んで、そこを通り、時には、そこに迷い込んだりしたであろうし、その方が楽しかったり、新鮮な発見があったり、要は、おもしろい経験が出来たりしたに違いないのである。それに、そのような横道が多くの場合は、まず「抜け道」(バイパス)としての価値を持っていたことも、事実であろう。

おそらく、このような経験を意識的に、自覚的にしなくなることが、結果的に大人になることでもあるらしい、と感じる機会は多い。であるから、その分、逆に頭の中で、あれやこれや、可能な限りの横道を探し出し、これを辿ることは叶わないものか、と願っている節(ふし)が僕にはある。それに、この「横道」という表現が当初、単に「①横に通じる道。左右に通じている道筋」や、あるいは「②本道から分かれている道。本道以外の道路。わきみち。えだみち。間道」を意味し、そのような「③道を横切ること」を指し示していた、はずなのに......アレアレ、それが何時の間にやら動詞(「横道する」)にまでなって、何と「④人間としての正しい道から〔、〕はずれること。また、正道から〔、〕はずれたものごと。邪道。おうどう」のことになってしまうのであるから、誠に変な話。

と、いつもの『日本国語大辞典』(2006年、小学館)で「横道」の語を引き、僕は先刻来、その語釈を確認している所である。そして、このような変化は遡ると、どうやら古代(=平安時代)の終わり頃になって登場したものらしく、やがて、それが「⑤物事の本筋から〔、〕はずれたこと。また、その事柄。末節。えだは」という用法や、ひいては「⑥隠している物事。特に、妻や妾に情人のあること」をも指し示すに至ったのであるから、これは驚き以外の何物でもあるまい。ちなみに、このような変化の分かれ道(クロスロード)に、用例として『日本国語大辞典』が挙げているのは、あの『今昔物語集』であったから、さしずめ、ここには「邪道」という言い回しをも含めて、かなり仏教の影響や、その色彩が濃厚なのではなかろうか、と僕は思うけれども、さて君は、いかがであろう。

ともあれ、このような「横道」は中世(=鎌倉時代+室町時代)になると、今度は音読の「ワウダウ」(→オウドウ)という形で、ごく普通に使われていたようであって、こちらの用例に『日本国語大辞典』が挙げているのは『日葡辞書』(=日本語ポルトガル語辞書、原題→Vocabvlario da Lingoa de Iapam)である。――と書き継ぐと、たかだか「横道」という語一つを取り上げても、このようにして幅広い、日本語や中国語や、ひいてはヨーロッパ諸語まで巻き込んだ、その歴史の渦が垣間見えてきて、興味は尽きない。しかも、それが言語ばかりか、宗教も学問も芸術も、その射程に収めた、とても遠大な日本史の、それどころか世界史の裾野(すその)にまで達しているのであるから、これは関心を持て(!)と言われなくても、持たざるをえない、胸を躍らせるような事態であろう。

ついでに、このような射程の中に、以前(→『日本文学史』入門)僕が君に紹介したことのある、小西甚一(こにし・じんいち)の『日本文学史』(1993年、講談社学術文庫)や、それを特に、中世の「道」という理念で捉え直した『中世の文藝』(1997年、同上)を、その名の通りの「必読書」(must book)として、再度、僕は君に紹介し直しておくことにしたい。なぜなら、例えば先刻、名前を挙げた『今昔物語集』にしても、あるいは、それを引き継ぐ『平家物語』にしても、これらの「物語」は端的に、中国の「小説」(シァオシュオ)の影響下で成り立ったものであって、そのような国際的(インターナショナル)な文化交流(cultural exchange)を抜きにして、このような日本の「物語」は生まれえず、それは当時の、国際関係の賜物である、と小西甚一は述べていたのであるから。

おまけに、と言っては語弊があるが、このようにして当時、古代から中世への過渡期において、ひょっとすると君や僕が一番、日本的なものと思い込んでいる、あの「勅撰和歌集」の編纂も、それが藤原俊成(ふじわら・の・しゅんぜい)の『千載和歌集』であっても、はたまた、その息子の定家(ていか)を始めとする『新古今和歌集』であっても、これらの「和歌集」には、むしろ「唐詩からの影響を直接に受けたところが多い」(『中世の文藝』)のが特徴であって、このような日本の「和歌集」と中国の「漢詩集」との「共通性」を棚上げにしたままで、これらの「和歌集」を君や僕が理解したり、共感したりすることは、まず不可能なのであった。と、このような事態についても、僕は以前(→「日本的であること」)君に話を聴いて貰(もら)ってはいるけれども、再度、寄り道を。

第一、このような歌人(音読→カジン、訓読→うたびと)たちを今でも、あたりまえに君や僕は「シュンゼイ」とか「テイカ」とか、言ってみれば、音読(=中国人読み)をするのであって、彼らの名を「としなり」とか「さだいえ」とか、このように訓読(=日本人読み)をするのは、むしろ稀であろう。それに、彼らが晩年、当然のように出家をし、その法名を「釈阿」(シャクア)とか「明静](ミョウジョウ)とか、このように号する折も、そこに彼らが生きていた時代の、国際関係や文化交流を省いてしまうと、いったい何のことやら、訳が分からなくなってしまうのではあるまいか。その意味において、彼らが一人の仏教徒(Buddhist)である以前に、それ以上に、そこに彼らが一人の「歌人」であったことや、また一人の「詩人」でもあったことを、君や僕は問い直す必要がある。

いわんや、西行(サイギョウ)をや。......と、ここまで話が来れば、もう今回の横道の話は、お開きにしても構わないのであるが、最後に繰り返し、馬鹿の一つ覚えのように言っておくと、そもそも、ある道が君や僕にとって、横道であるのか、ないのかは、その時その時の、君や僕の状況と判断が決するのであり、これを一概に横道と決め付けるのは、まさしく権力の横暴であろう。――と、このように声高に叫び、反発すること自体は、それほど昨今、難しいことではない。が、それにも拘らず、そのような権力の近くに君や僕がいて、あまり苦痛を感じず、知らず知らず、そのような権力の側に寄り掛かる素振りを仕出かしてしまっていることが、むしろ当世、いちばん厄介な点なのではなかろうか。あらかじめ、いつも本道や正道が、そこに敷かれてしまっているかのような気になって。

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