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現象について(承前)――「教養」の来た道(357) 天野雅郎

現象について、もう少し、話を続ける。そもそも現象とは......と書き出して、ようやく気が付いたのであるが、はたして君や僕は普段、日常生活において、この語を一人の善男善女として、どこまで多用しているのであろう。それどころか、ほとんど多用しない語なのではなかろうか。もし仮に、そうであるとするなら、この語を用いて何かを考えること自体が、いささか後ろめたい、要は、後ろ辺(へ)が痛かったり、後ろ目(め)が痛かったりする、痛々しい行為なのではあるまいか。でも、そのような痛々しさが哲学という学問(と言うよりも、学問以前の学問)には必然的に、不可避的に、伴われざるをえないのでもあり、その限りにおいて、どこか哲学という学問の頭の使い方には、このような気がかりな、心もとない、気の引ける何かが付き纏(まと)っていることも確かであろう。

論より証拠、この「現象」という語を君や僕は、もっぱら漢字音で読み、あたりまえに「ゲンショウ」と読んでいるけれども、これは前者(現)を中国南方音(=呉音)で読んで、さらに後者(象)を中国北方音(=漢音)で読んで、これを結び付けたものであり、それぞれを普通に、本来の読み方に戻せば、呉音は「ゲンゾウ」となるし、漢音は「ケンショウ」となる。しかも、その際の「象」たるや動物の、あの象(英語→elephant)のことであって、これは人と象とを結び付けた「像」(=人+象)でもなければ、木と象とを結び付けた「橡」(=木+象)でもない。と言うよりも、むしろ「像」も「橡」(訓読→とちのき・つるばみ)も後から、この動物の「象」に肖(あやか)って、はじめて人の形を象(かたど=形取)るものとなり、木の形を象るものとなり、しているのであった。

しかも、と繰り返すが、例えば英語で象のことを、上記のようにエレファントと称するのは、これはギリシア語(elephas)が起源であって、きっと君も高校生の頃、世界史の教科書あたりで目にしたであろう、例のポエニ(Poeni→Phoenician→フェニキア人)戦争の折のカルタゴ(Carthago)の名将、ハンニバル(Hannibal)の名を想い起こしてくれるに違いない。でも、どうやら手許の『英語語源辞典』(1997年、研究社)を引くと、このようにして「この動物の名は南ヨーロッパでは Hannibal 以来、知られていたが、北ヨーロッパでは「らくだ」とともに長い間〔、〕実物に接することがなく、ただ奇妙な巨獣として伝えられていたため、しばしば両者の混乱が生じた」と述べられていて、なるほど、と思うと同時に、エエ~(😲)と先刻、僕は驚きの声を上げた所である。聞こえたかな。

冗談では、ないのである。なにしろ、それは翻れば君や僕のような、日本人にも通じる話であったからであり、これまた手許の『日本史のなかの動物事典』(1992年、東京堂出版)を引くと、かつて「象は古い日本語でキサと呼ばれ、日本人は象牙や普賢菩薩(ふげんぼさつ)の乗り物としての彫像や画によって概略の知識を得ていた」し、この「キサの語は〔、〕もともと文様を意味する言葉で、象牙にみられる文様によって〔、〕これをキサの牙(き)と称し、その獣をキサと名づけた」ようであるが、そこから「日本に〔、〕はじめて実物が渡ってきたのは、『若狭国守護職次第』によれば、南蛮国王〔、〕亜烈進なる人から応永十五年(一四〇八)六月に日本国王〔=足利義持〕への贈り物として渡された鳥獣の中に「生象〔、〕一疋〔、〕黒」とある」のが、その最初であったらしい。

ちなみに、意外や意外、これに対して駱駝(ラクダ)の方は、逆に「中国では早くから知られ、日本に来た記録では『日本書紀』に推古天皇七年(五九九)以来〔、〕数回とある」から驚きである。一応、念のために確認してみると、なるほど百済(くだら)から、この年の秋(9月1日)に駱駝が日本(と言うよりも、日本以前の日本)に贈られていて、この折は駱駝と並んで、驢(うさぎうま→ロバ)と羊と白い雉(きぎし→キジ)の名が連ねられている。ついでに、この年は日本最古の、いわゆる「推古地震」の被害記録(4月27日)も遺されていて、そこには「地動(なゐふ)りて舎屋(やかず)悉(ことごとく)に破(こほ)たれぬ。則(すなは)ち四方(よも)に令(のりごと)して、地震(なゐ)の神を祭(いの)らしむ」(岩波書店「日本古典文學体系」)とあるので、ご用心を。

閑話休題。このようにして振り返ると、象にしても駱駝にしても、これらの「珍獣」を多くの日本人が実際に目の当たりにしたり、その噂(rumor=雑音)を聞くことが出来たりしたのは、せいぜい中世(=室町時代)以降のことであり、これが近世(=江戸時代)になって一般化をし、さらに本格化をするのは近代(=明治時代)を俟(ま)たなくてはならない。と書き継ぐと、それは当然、君も察してくれている通り、君や僕の周辺に「動物園」(zoological garden)が出現するのと、軌を一にしている訳でもあって、この訳語自体は『日本国語大辞典』に従えば、どうやら福澤諭吉(ふくざわ・ゆきち)の考案によるものらしいが、これが普及するのは「上野公園〔上野恩賜公園〕清水谷に日本で初めての動物園〔恩賜上野動物園〕が設立された明治一五年〔1882年〕以降のこと」であった。

とは言っても、このようにして「動物園」に出向き、のんびり「珍獣」を眺めたり、これにキャーキャーと歓声を上げたりすることが叶うのは、言うまでもなく、君や僕の身の安全が保障されている限りの話であって、反対に檻の中の動物が暴れ出し、柵を乗り越えたり、あるいは君や僕が柵の中に放り込まれたり、しようものなら、その際のパニックが字義(Panic→Pankos→Pan)どおりに、この半人半獣の神(パーン)の恐怖を、君や僕に齎(もたら)すであろうことは想像に難くない。見方を変えれば、それは例えば象が「ナウマンゾウ」(Naumann's elephant→Palaeoloxodon naumanni)や、あるいは「マンモス」(mammoth=巨大地中動物!)の姿をして、君や僕の周囲を彷徨(うろつ)き、これと日常生活において遭遇する機会が、それ相応の頻度で、実在しているような恐怖であった。

ところで、君は象という語が、このような折に君や僕の上げる、悲鳴から由来する語(すなわち、擬声語)であった、という説を真に受ける側であろうか、それとも早速、眉に唾を付ける側であろうか。どちらでも構わないけれども、先日、僕は渡部昇一(わたなべ・しょういち)の『語源力』(2009年、海竜社)という本を読んでいて、この興味深い説に出くわしたので、ぜひ君にも紹介しておくことにする。何が興味深いのか、と言うと、それは象と同様、君や僕が目下、精神という語に置き換えて、使っているドイツ語の「ガイスト」(Geist)が、実は等しく擬声語である点であり、その点、この語は英語の「ゴースト」(ghost)とも通じ合いながら、あのヘーゲルの『精神現象学』に対しても、一風(イップウ)変わった、それでいて、正統な解釈を持ち込む余地があるのではなかろうか。

 

霊魂とは〔、〕ちょっとニュアンスの違う語に、ゴースト(ghost)がある。ドイツ語ではガイスト(Geist)。今では「幽霊」「亡霊」の意味で用いられるが、古英語〔700年頃~1100年頃〕では「魂」を意味した。〔中略〕ゴーストもガイストも擬声語から生まれた。身震いするような恐ろしいことが起こると、ゾッとする。この「ゾッ」「ギョッ」「ゲッ」がゴーストになった。ちょっと突飛なように思えるかもしれないが、幽霊を見た時、西欧人もギョッとしたのだ。ただ〔、〕その発音の仕方が、日本人とは違った。〔中略〕同じく擬声からきた語に「象」がある。あの大きさ、あの鼻の長さ、そんな怪獣みたいな動物を見た時、古代シナ人はギャーッと叫び、ゾッとした。それが「象」になった。

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