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三島由紀夫論(第一回)――「教養」の来た道(360) 天野雅郎

今回から時折、折に触れ、三島由紀夫(みしま・ゆきお)の話を挿(さしはさ)むことにする。その点、この類の文章に「三島由紀夫論」と題するのは、あまりにも誇大表記に過ぎて、気が引けるけれども、せいぜい文字どおりの挿話(エピソード)程度に思って、付き合って貰(もら)えると有り難い。ちなみに、このエピソードという語は当然、その原語は英語の episode であるが、その典拠に『日本国語大辞典』(2006年、小学館)は大正三年(1914年)に二松堂書店から出版された、勝屋英造(かつや・えいぞう)編の『外来語辞典』を挙げているから、この語は20世紀になって、どうやら日本語の中に持ち込まれた語であったらしい。語釈は次の通り。――「ある作品の中に〔、〕はめこまれた、本筋とは〔、〕あまり関係はないが、それなりに〔、〕まとまった話。挿話(そうわ)」。

なお、この後に続けて、同辞典は「ある事柄について、そのことを具体的に示す、ちょっとした出来事。また、それを伝える話」という語釈と、さらに「音楽用語」で「㋑ロンドやフーガなどで、楽曲の主題と主題の間に挿入される部分。㋺ソナタ形式などで、副次的なテーマや一時的な楽想をいう」という語釈を、それぞれ付け加えているけれども、このような「音楽用語」となる以前、この語が遡れば、もともとギリシア語(epeisodion)に端を発し、そこでは「(ギリシア悲劇の、二つの合唱の間に〔、〕はさまれた)対話の段、エペイソディオン」(寺澤芳雄編『英語語源辞典』研究社)を指し示していたことを踏まえる方が、むしろ君や僕には、この語の成り立ち上からも、また「三島由紀夫論」という性格上からも、より相応しい、重要な観点であったのかも知れないね。ご記憶を。

さて、そこで「三島由紀夫論」である。が、この論の対象となる作家、三島由紀夫に関しては、すでに僕は昨年、君に「泉鏡花論」と題する、これまた大それた(......^^;)一連の雑文を書き送っていて、そこで三島由紀夫と泉鏡花(いずみ・きょうか)の繋がりを手許にあった、雑誌『太陽』(1988年、平凡社)の泉鏡花特集号と、そこに収められた「ブックガイド」に即して、あれこれ論じていた次第。繰り返しとはなるが、その際の「泉鏡花論」(第四回)の末尾を再度、秋山稔(あきやま・みのる)の「泉鏡花、美とエロスと幻想のテクスト」から引用しておく。――「今から二十年近く前、私は今こそ鏡花再評価の機運が起るべき時代だと信じている。と述べて、新派悲劇の原作者〔、〕泉鏡花というイメージの払拭〔ふっしょく〕を明言したのは、晩年の三島由紀夫『作家論』である」。

 

この揚言は、あるいは三島の敬愛する〔、〕もう一人の作家、森鷗外『灰燼』の「鏡花は今〔、〕丁度〔、〕第一の詩人と云はれる時が来てゐるのだ」の〔、〕ひそみ〔顰〕に倣ったものか。研究者の主要な課題が、近代的自我やリアリズム文学にあった当時、卓抜な批評家でもあった三島は「貧血した日本近代文学の砂漠の只中に、咲きつづける牡丹園」にたとえて、鏡花文学を高く評価したのであった。〔改行〕これを一つの端緒として、長い間〔、〕絶版だった岩波書店版『鏡花全集』が再版されたのは、昭和四八年のこと、実に三一年ぶりであった。未収録作品や書簡等を新たに別巻に収めた〔、〕この新版全集は、十余年後の現在、再び刊行中である。

 

念のため、その三島由紀夫の『作家論』(1970年、中央公論社)の方も挙げておこう。これだけでも、けっこう......うっとりするほどの名文であるから恐れ入る。――「さるにても鏡花は天才だった。時代を超越し、個我を神化し、日本語として〔、〕もっとも危〔あやう〕きに遊ぶ文体を創始して、貧血した日本近代文学の砂漠の只中に、咲きつづける牡丹園をひらいたのである。しかも〔、〕それを知的優越や、リラダン風の貴族主義や、民衆への侮蔑や、芸術至上主義の理論から行ったのではなく、つねに民衆の平均的感性と相結びながら、日本語の〔、〕もっとも奔放な、もっとも高い可能性を開拓し、講談や人情話などの民衆の話法を採用しながら、海のように豊富な語彙で金石〔きんせき〕の文を成し、高度な神秘主義と象徴主義の密林へ〔、〕ほとんど素手で分け入ったのである」。

ところで、このようにして僕は、どんどん君に、お構いなしに三島由紀夫の話を始めているけれども、そもそも彼は大正十四年(1925年)に生れて、亡くなったのは昭和四十五年(1970年)であったから、その時代を、まったく共有していない......君のような若い世代にとって、この作家のイメージは、どのような感じなのであろう。この点が、はっきりしないと、僕も話の持って行き方や落とし所が分からず、困ってしまうのであるが、とりあえず『日本国語大辞典』の説明に、お目通しを。――小説家、劇作家。東京出身。本名〔・〕平岡公威。東京大学法学部卒。古典主義的な緻密な構成と華麗な文体で独自の様式美を備えた文学世界を展開。唯美的なナショナリズムに傾斜し、自衛隊市ケ谷駐屯地で割腹自殺を遂げた。著「仮面の告白」「禁色」「金閣寺」「鹿鳴館」「豊饒の海」など。

本名は、平岡公威(ひらおか・きみたけ)と読む。したがって、当然ながら「三島由紀夫」は筆名(ペンネーム)である。一応、彼自身は東京で生まれて、東京で亡くなって、その墓も東京(多磨霊園)にある。ただし、彼の家系は父方が播磨(兵庫県)で、母方が加賀(石川県)であるから、彼も生粋(きっすい)の、いわゆる「江戸っ子」ではない。と書き継ぐと、ただちに君も気が付いてくれているであろうが、彼の作家としての血筋は多分、母方に由来するものであって、それが泉鏡花と同じ、金沢に辿り着く事態は興味深い。とは言っても、その泉鏡花を好み、後年、三島由紀夫に「鏡花きちがひ〔気狂〕」と称されるに至るのは、彼の父方の祖母(なつ→夏子)であり、この点についても、かつて僕は君に「泉鏡花論」(第五回)の中で、ごく簡単な紹介を済ませておいた訳である。

なお、そこで僕は今から、もう50年(!)近くも昔の、この作家の亡くなった日(11月25日)のことも、いささか想い起こしているけれども、その際の話は今は措く。が、この事件が引き金となって、やおら僕が本屋に出向き、三島由紀夫の文庫本を読み出したのは事実であって、その頃に買い求めた文庫本が現在も、我が家(=天野図書館)の本棚には背表紙の焼け、変色した状態で並んでいるが、それは例えば『愛の渇き』や『美徳のよろめき』や、あるいは『獣の戯れ』や『音楽』であるから面白い。と言ったのは、要するに三島由紀夫は僕にとって、当時、代表作の『仮面の告白』や『禁色』や、あるいは『金閣寺』や『鹿鳴館』や、ましてや『豊饒の海』(四部作)の作家ではなく、いたって大衆的な、官能的な性描写を特徴とし、それを僕に提供してくれる作家であったことになる。

いやはや、このチグハグとした感じには我ながら、驚かざるをえないが、ひょっとすると僕にとって、三島由紀夫という作家は昔も今も変わらず、どこかチグハグとした、見様によってはハラハラ......ドキドキの、いわゆるサスペンス(suspense)に特有の、持続的な不安感や緊張感や、未解決の焦燥感を与え続けている作家なのかも知れないね。でも、それが僕自身の側の問題なのか、それとも三島由紀夫の側の問題なのか、さしあたり答えを出すのは引き延ばすけれども、今回、僕が授業で三島由紀夫を取り上げ、まず彼の『豊饒の海』の第一巻(『春の雪』)から話を始めているのは、そのような僕の曖昧な、気がかりな状態を君に伝え、その上で、それを可能なのであれば君と共有し、あらためて、この20世紀最大の、謎めいた作家の生涯と業績を、君と辿り直したいからに他ならない。

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