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三島由紀夫論(第三回)――「教養」の来た道(362) 天野雅郎

雪は自然現象(natural phenomen)として見れば、冬にも降るし、春にも降る。場合によっては、夏にも降るし、秋にも降る。――要するに、年がら年中、条件さえ整えば、いつでも雪は降る。ただし、これを文化現象(cultural phenomen)として眺めれば、冬に降る雪と春に降る雪は、ちがった雪であるし、ましてや夏に降る雪や、あるいは秋に降る雪は相当に、その文化現象としての位置づけや、意味合いを異にしたものであらざるをえない。と言うよりも、そもそも一年を春と夏と秋と冬の、いわゆる春夏秋冬の四季(four seasons)に分かつこと自体が、すでに特定の地域の、特定の時代の文化(culture)を背景とし、それを抜きにしては成り立ちえないものであったことも事実であり、それを踏まえるならば、結果的に雪は、すべて自然現象ではなく、文化現象であらざるをえない。

その意味において、この国では古来、冬に降る雪と春に降る雪が区別されてきたが、端的に言って、それは旧暦の10月から12月に降る雪と、片や1月から3月に降る雪の違いである。言い換えれば、これを現在の新暦で捉えると、ほぼ一月遅れのカレンダーになって、例えば今年(令和元年→2019年)の冬は旧暦では、新暦の10月28日(=旧暦10月1日)から翌年(令和二年→2020年)の1月24日(=旧暦12月30日)までとなり、これに続いて1月25日(=旧暦1月1日)から4月22日(=旧暦3月30日)までが春となる。したがって、例えば君がクリスマス(新暦12月25日→旧暦11月29日)の夜に、窓外にチラチラと舞う雪を目にしたとすれば、それは冬の雪となるし、また、それが聖ヴァレンタイン・デー(新暦2月14日→旧暦1月21日)の夜であれば、今度は春の雪となる。

と、このような七面倒(しちめんどう=面倒×七!)くさい、ややこしい計算を、君や僕は普段、致し方なく、している(させられている?)のであるが、幸か不幸か、そのことを意識し、自覚している日本人の数が急激に減って、このような計算で頭を悩まし、それこそ夏目漱石(なつめ・そうせき)や芥川龍之介(あくたがわ・りゅうのすけ)のような「神経衰弱」(Neurasthenie)に罹(かか)る日本人は、ごく少数であろうから、まことに慶賀に堪(た)えない。と言ったのは、当然、なかば冗談で、なかば皮肉であるけれども、このような傾向は僕の判断する限り、ちょうど三島由紀夫(みしま・ゆきお)が割腹自殺を遂げた、あの昭和四十五年(1970年)あたりを分岐点(ターニング・ポイント)として、右を向いても左を見ても(~♪)大きな流れになっていったのではなかろうか。

さて、このような書き出しで今回も、僕は君に三島由紀夫の話を続けたい。ちなみに、この作家が『豊饒の海』(第一巻)の『春の雪』の中で描き出しているのは、それが主人公......と評するべきか、どうかは未決にしておくが、あの松枝清顕(まつがえ・きよあき)と綾倉聡子(あやくら・さとこ)の「雪見」の場面であっても、さらに、それがラスト・シーンの月修寺の周囲に舞い散る雪であっても、これらは共に、旧暦の春に降る雪であるから、これが冬の雪でなく、春の雪であることは疑いがない。その点、この物語が日本古来の、雪を瑞兆とする文化観ならびに自然観に基づき、そこに根を張るものであったことは確かであろう。もちろん、その際の春の雪が、この「禁じられた恋」を演ずる二人にとって、さしあたり悲劇的様相を呈していることも、これまた疑いがない訳ではあるが。

ところで、この小説に『春の雪』という表題を三島由紀夫が宛がった際、彼の頭の中に去来していたものの一つに、あの『百人一首』(15)でも有名な、光孝(こうこう)天皇の「若菜(わかな)摘み」の歌があったらしい。歌自体は、以下に掲げる通りであるが、このことを先日、たまたま僕は三島由紀夫の「没後35年・生誕80年」を記念して出版された、KAWADE夢ムックの「文藝別冊」(2005年、河出書房新社)のページを捲(めく)っていて、知ったのであり、それを教えてくれたのは島内景二(しまうち・けいじ)の「琥珀の中の虫」という一文である。それに従えば、この件(くだり)は三島由紀夫が生前最後の年(すなわち、昭和四十五年)の3月、旧暦で言えば2月、例の「楯(たて)の会」を引き連れて「雪の三国峠で軍事演習をしていた」折のエピソードとして語られている。

 

三島はクーデター決起の年の三月、楯の会メンバーと雪の三国峠〔新潟・群馬県境〕で軍事演習をしていた。『日本文学小史』の記述によれば、三島は〔、〕その時の行軍の最中に『古今和歌集』の和歌を思い出したという。

 

君がため 春の野に出(い)でて 若菜摘む わが衣手(ころもで)に 雪は降りつつ

 

今は春のはずなのに、冬に降るべき雪が目の前にある。その秩序の混乱が、文学者にとっては「詩の源泉」となり、志士にとっては「行動のエネルギー」となると悟った、と三島は言う。天皇を頂点とする美しい社会秩序が、宮家妃殿下(候補)と若者の悲恋によって混乱するカオス状態。これが、和歌の素材としての「春の雪」のイメージであり、小説『春の雪』の主題なのだろう。

 

もちろん、この歌そのものは『古今和歌集』(巻第一、21)の詞書(ことばがき)に記されているように、この天皇が即位以前、時康(ときやす)親王と呼ばれていた頃のものである。であるから、いまだ「若菜摘み」が年中行事として、新年最初の子(ね)の日(=初子→はつね)や、さらに後の「若菜の節会(せちえ)」(=旧暦1月7日)に固定されるに至るには、もう少しばかり時間が掛かる。けれども、少なくとも「若菜摘み」が『万葉集』以降、初春や早春の催しとして営まれ続けていたことは、例えば山部赤人(やまべ・の・あかひと)の「春の雑歌」(巻第八、1427)からも明らかであろう。念のために引いておく。――「従明日者/春菜将採跡/標之野尓/昨日毛今日母/雪波布利管」(明日よりは/春菜(はるな)採(つ)まむと/標(し)めし野に/昨日も今日も/雪は降りつつ)

このようにして振り返ると、けっこう不可解な発言を、先刻の『日本文学小史』において三島由紀夫がしていることに、君や僕は気付かざるをえない。なにしろ、この「若菜摘み」の歌を三島由紀夫が想い起こした時、それは当然、新暦で言えば3月であり、旧暦で言えば2月になるから、これは新暦であっても旧暦であっても、春であることに変わりはない。とすれば、そこから「今は春のはずなのに、冬に降るべき雪が目の前にある」という言い方は生まれないはずであって、唯一可能な推測は......と、このような持って回った言い方をする必要が、あるのか、ないのか、よく分からないけれども、ともあれ、この表現自体を素直に受け取れば、結果的に三島由紀夫は目の前にある、新暦3月の雪を「春の雪」と見なしていたのではなく、そのまま「冬の雪」として理解していたことになる。

 と、このように考え直してみても、まったく彼の発言の不可解さは、解消されないのであるから厄介である。理由は簡単で、このようにして「若菜摘み」の一連の歌が元来、旧暦1月に詠まれたものである以上、これを新暦に直せば2月となって、こちらは現在の日本人の感覚で言えば、たしかに冬であるが、そのような今風(モダン)な感覚と三島由紀夫との間には、ずいぶん大きな隔たりがある。おまけに、このように彼が論じているのは『日本文学小史』の中なのである。と言うことは、それを端的に「秩序の混乱」と捉え、その「カオス状態」が「文学者にとっては「詩の源泉」となり、志士にとっては「行動のエネルギー」となる」と訴えるためには、いかにも三島由紀夫は謎めいた、牽強付会(ケンキョウ・フカイ)な物言いをしていることに、ならざるをえないのではなかろうか。

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