ホームメッセージ橘月(たちばなづき)――「教養」の来た道(364) 天野雅郎

メッセージ
メッセージ

橘月(たちばなづき)――「教養」の来た道(364) 天野雅郎

いやはや、暑いですね。とうとう昨日(5月25日)は日本中、到る所で30度を超える気温になった模様で、当然、今年一番の暑さ(大分県竹田市→35.0度)も記録したらしい。が、このような折に当然(トウゼン→当前→あたりまえ)という言い方をするのが、ふさわしいのか、どうなのかは疑わしい限りであって、このような時期に真夏日だとか猛暑日だとか、この類の語が口から飛び出すこと自体が、普通に考えたら、かなり恐ろしい話なのではあるまいか。とは言っても、そのような恐ろしさも君や僕が、それを文字どおりの恐(おそ)ろしさとして、さながら何か(誰か?)に襲(おそ)われるような感覚を持っていて、ようやく成り立つものであり、そのような感覚を欠いてしまえば、いくら後になって、泣こうが喚(わめ)こうが、それは手遅れであり、もう遅(おそ)いのである。

でも、よく考えてみたら日本語で、どうやら夏(なつ)という季節は熱(ねつ)や、その熱(あつ=暑)さと、そもそも重なり合う語のようであるから、この時期、君や僕の周囲が暑熱(ショネツ)を帯び、熱暑(ネッショ)を身に纏(まと)うこと自体は、それこそ当然のことであったに違いない。ただし、それは目下、五月を本来の、この国の暦(こよみ→かよみ→日数)である「旧暦」に戻して、例えば今日、5月26日が4月22日であることを踏まえた上で、はじめて成り立つ言い回しであり、逆に君や僕が「新暦」の今日、5月26日を夏ではなく、春として捉えていたり、これから夏は梅雨(つゆ)を潜り抜け、7月にならなければスタートしない、と思い込んでいたりするのであれば、いよいよ夏ではない、春の終わりに君や僕は、いわゆる真夏日や猛暑日に見舞われていることになる。

と、このようにして今回も、いささか頭の中に虫が湧(わ)きそうな話題(トピック)を、僕は君に持ち出しているけれども、それは偶々(たまたま)昨日、僕が近所の「和歌の浦アート・キューブ」で、いつものように『百人一首』と、あわせて『和漢朗詠集』の講読会を開いたことが切っ掛けであって......と書き継いだら、その際の主題(テーマ)が夏の景物の代表である「橘」(たちばな)であったことに、君は気が付いてくれているのか知らん。それならば、今回、このブログのタイトルが「橘月」(たちばなづき)と題されている理由も、すでに君は納得済みであろうが、厳密に言うと、もともと「橘月」は陰暦(すなわち、旧暦)5月の異称であり、この月が訪れるのは陽暦(すなわち、新暦)のカレンダーに置き換えると、今年(令和元年→2019年)は来月に入り、6月3日のことになる。

と言うことは、そもそも陰暦において夏は4月に始まり、6月に終わるのがルールであるから、これを陽暦に直せば、今年は5月5日から7月31日までが夏となる。なお、あくまで今年に限って言えば、この、夏の終わりの日は6月が「小の月」(⇔大の月)に当たっているため、30日ではなく29日に割り振られている。その点、例えば『百人一首』に選ばれた夏の歌、計4首の内、前者(=四月朔日)に詠まれたのが持統(じとう)天皇の「春過ぎて/夏来(き)にけらし/白妙(しろたへ)の/衣(ころも)乾(ほ)すてふ/天(あま)の香久山(かぐやま)」(第2番)であるのに対し、一方、後者(=六月晦日)に詠まれたのが藤原家隆(ふじわら・の・いえたか)の「風そよぐ/楢(なら)の小川の/夕暮れは/禊(みそぎ)ぞ夏の/印(しるし)なりける」(第98番)であったことになる。

ともあれ、このようにして『百人一首』であれ『和漢朗詠集』であれ、実に整然として(orderly)――それぞれの季節(four seasons)すなわち四季(春夏秋冬)は規則づけられ(regularize)組織だてられ(systematize)秩序づけられ(organize)、それぞれの位置と役目を踏まえて、春から夏へと、夏から秋へと、秋から冬へと、そして、また冬から春へと、その巡行を繰り返していくのである。そのことが分からないと、とうてい君や僕は『百人一首』の、あるいは『和漢朗詠集』の、よい読者になることが叶わないであろうし、事実、そのような読者になりえないからこそ、昨今の日本人の多くは、ほとんど『百人一首』にも『和漢朗詠集』にも、その目を向けようとはしないのである。ましてや、その根幹に根を張り、幹を伸ばしている『古今和歌集』の、その「古典美」に対しては。

 

古今集では秩序と全体とは同義語だった。〔中略〕われわれの文学史は、古今和歌集にいたって、日本語というものの完熟を成就した。文化の時計は〔、〕そのようにして、あきらかな亭午〔ていご=正午〕を斥(さ)すのだ。ここにあるのは、すべて白昼、未熟も退廃も知らぬ完全な均衡の勝利である。〔中略〕調教されつくしたものの美しさが、なお力としての美しさを内包しているとき、それを〔、〕われわれは本当の意味の古典美と呼ぶことができる。〔中略〕そして古今集の歌は、人々の心を容易(たやす)く動かすことはない。これらの歌人と等しく、力を内に感じ、制御の意味を知った人の心にしか愬(うった)えない。これらの歌は、決して、衰えた末梢(まっしょう)神経や疲れた官能や弱者の嘆きを〔、〕くすぐるようには〔、〕できていないからだ。

 

引用は再度、三島由紀夫(みしま・ゆきお)の『小説家の休暇』(1982年、新潮文庫)に収められている、遺作(posthumous work=死後作品)ともなった「日本文学小史」からである。したがって......返す返すも残念なことに、この一文が予定していた「私の文学史」の執筆は、わずかに『古事記』と『万葉集』と『懐風藻』と、それから『古今和歌集』でストップしてしまい、あとは『源氏物語』の、わずかな部分が遺されているに過ぎない。言い換えれば、それ以降に組み込まれていた『和漢朗詠集』や、さらに三島由紀夫が、その小説化をも目論(もくろ)んでいた藤原定家(ふじわら・の・さだいえ)が撰者の一人となった、古代から中世への架橋とも評するべき『新古今和歌集』に関しては、必然的に書かれず仕舞いに終わってしまい、まったく白紙状態に留まらざるをえなかった次第。

そのことを想い起こすだけでも、僕は遣瀬(やるせ)ない思いに浸らざるをえない。なぜなら、このようにして『和漢朗詠集』についての「私の文学史」が書かれ、ひいては藤原定家の編纂した――と言うと語弊があるけれども、ともあれ『新古今和歌集』や、それから『百人一首』あたりにも、この「私の文学史」の筆が及んでいたのであれば、どれほど現在、僕が『和漢朗詠集』や『百人一首』の講読会を続ける上で、助けになったり、励みになったり、していたのか知らん、と嘆(なげ)き、長(なが)い息を吐かざるをえないからである。その意味において、僕は今回、君に昨日、僕の講読した『和漢朗詠集』の「橘花」(たちばな)の部立(ぶだて)の中から、おそらく君も知っているであろう、有名な「花橘」(はなたちばな)の歌を二首、紹介がてら、以下に挙げておくことにしよう。

 

 五月(さつき)待つ 花橘の 香(か)を嗅(か)げば 昔の人の 袖(そで)の香ぞする

 ほととぎす 花橘の 香を求(と)めて 鳴くは昔の 人や恋(こひ)しき

 

ちなみに、日本文学(→日本文化)では興味深いことに、このようにして「花橘」や「ほととぎす」を中国文学(→中国文化)から、いずれも輸入し、借り受け、それを長い間、数百年(!)の時間を掛けて精錬し、錬磨し、とうとう日本文学に固有の、独自の景物へと仕立て上げていった訳である。であるから、このような形で「花橘」や「ほととぎす」が「昔の人」と結び付き、そこから繊細(デリケート)な、優雅(エレガント)な「薫(かほり)」と「匂(にほひ)」の文化が姿を見せたのは、いたって驚異的(wonderful)な出来事であろうし、それに対して「ワンダフル」という誉め言葉を用いずに、いったい何時、誰に向かって、この賞賛と賛美の言葉を君や僕は口にすることが出来るのであろう。そして、それを三島由紀夫は、あの「文化の白昼(まひる)」という語で呼んだのであった。

教養の森に関するお問い合わせはこちらまで 和歌山大学学生センター 学務課

| 所在地:〒640-8510 和歌山県和歌山市栄谷930 | 電話番号:073-457-7130 |

Copyright ©2012 - 2019 Wakayama University