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運命について(承前)――「教養」の来た道(368) 天野雅郎

前々回、前回と続けて、僕は君に長谷川泉(はせがわ・いずみ)について、話を聴いて貰(もら)っている。そこで今回も、ついでに手許にある、彼の「著作選」(6)から、その「作家・作品論」(上)の中の「三島由紀夫」を踏まえつつ、君に話題を提供しておくことにしたい。――と思ったのであるが、その前に先日、たまたま僕はパソコンで古本のオークションをしていて、そこで運好く、前回、話題になった、昭和五十四年(1979年)の「三島由紀夫展」のパンフレットを入手したので、これを君にも、ぜひ紹介しておきたく、その話から喋り出すことにする。ただし、困ったことに僕の手許に届いたのは、伊勢丹新宿店のパンフレットであり、その日付を見ると、会期は1月18日から23日までとあり、その後は会場を仙台と名古屋と静岡とに移して、最後は8月28日で締め括られている。

と言うことは、結果的に大阪の阪神百貨店で開かれ、そこに「王朝心理文学小史」が目玉として登場した、肝心の「三島由紀夫展」は別物であったのか、それとも大阪会場だけの、会期も6月7日から12日まで(長谷川泉『三島由紀夫の知的運命』)に限定の、特別の企画であったのか、僕には事情が呑み込めないまま、いささかガックリした所である。が、このようにして三島由紀夫(みしま・ゆきお)の没後10年を経て催された、彼の回顧展が同じ年に、二つも並行して開かれていた......とは考え難いから、これは多分、同一の展示会と見なすのが順当であろうし、そのようにして振り返ると、おそらく「王朝心理文学小史」自体が、この時、ちょうど発見されたものであったことにもなるのか知らん。ともあれ、この一文の記載は僕の手許の「三島由紀夫展」の出品目録には見つからない。

と、このようなことを色々、悩みながら、つい先刻、上記の「長谷川泉著作選」(6)のページを捲(めく)っていたら、何と、そこには懇切丁寧に僕の疑問を氷解してくれる、次のような注釈が添えられているではないか。――さすが、このような繊細さ、と言おうか、実証的(demonstrative=明示的)な所が一番、僕に長谷川泉の本を手に取らせる理由であって、裏を返せば、それが一番、僕のようなズボラな人間に欠落している所なのでもある。そこで早速、その回答を君に報告しておくと、どうやら長谷川泉に従えば、この折の会場は東京、仙台、名古屋、大阪、静岡と続き、そして最後の二つの会場(すなわち、大阪と静岡)に至って、はじめて「日本心理文学小史」の「原稿が展示に加えられた」由(よし)。ちなみに「現在の保管場所は、学習院大学図書館である」とも記されている。

ところで、この長谷川泉の「作家・作品論」(上)には、そこに三島由紀夫の他、尾崎紅葉(おざき・こうよう)島崎藤村(しまざき・とうそん)夏目漱石(なつめ・そうせき)伊藤整(いとう・せい)堀辰雄(ほり・たつお)加藤周一(かとう・しゅういち)の名が連ねられていて、やれやれ、このようなビッグ・ネームを並べられ、しかも、それが全員そろって、僕の気になる作家や批評家である以上、当分、この本を捲る、僕の指は休まりそうにない。なお、三島由紀夫の章には合計、三つの節があって、まず「三島由紀夫文学の魅力」と「三島由紀夫と森鷗外」の論稿が置かれ、さらに佐伯彰一(さえき・しょういち)との対談(「三島以後十年と知的運命」)が続いているが、その中の「三島由紀夫と森鷗外」の注釈の一つが、前掲の「日本心理文学小史」に関するものである。念のため。

さて、このようにして再度、僕は「三島由紀夫展」のパンフレットを開き出したのであるが、そこには三島由紀夫という作家の生涯が、彼の死後、どのように日本人の中に受け止め直され、受け取り直されていったのかが想い起こされ、興味深いものがある。事実、そこには以下の「あいさつ」を始め、この作家を日本文学の中に、あるいは世界文学の中に、再評価する賛辞が並んでいる。主催には毎日新聞社と、この展示会の企画委員会のメンバーの名が留められているが、これは奥付を見ると、斎藤正、佐伯彰一、中村光夫、山本健吉、渡部真吾樹の面々であることが分かる。最後の渡部真吾樹(わたなべ・まごき)は、どうやら刀剣鑑定や美術史家として、知る人ぞ知る専門家(スペシャリスト)のようであるが、その筋に疎(うと)い僕には、ほとんど未知の存在であるので、ご容赦を。

 

絢爛華麗な数々の名作を残して逝った、作家〔・〕三島由紀夫の偉大な業績をたたえて「三島由紀夫展」を開催いたします。〔改行〕19歳で処女短編集「花ざかりの森」を出版、東京大学から大蔵省官吏になり、まもなく文筆活動に専念するため退職しました。〔改行〕昭和24年〔、〕書きおろし長編「仮面の告白」で戦後小説に新しいジャンルを開きました。その後〔、〕仏教と中世思想を現代文学の中へ溶かし込んで、日本文学を世界最高の水準にまで引き上げた功績は高く評価されるものです。その作品の一つ一つが、ニューヨークタイムス紙、ニューズウィークほか、フランス、イギリスではジード、バルザック、プルーストらに比較され〔、〕「豊饒の海」は、今世紀最高の傑作と絶賛を受けています。

 

いやはや、いくら僕が三島由紀夫の生前、まだ子供であったことを差し引いても、それどころか、彼の出世作の『花ざかりの森』や『仮面の告白』が出版された時、まったく僕は生まれる前の、影も形もない存在であったことを持ち出しても、この作家の日本文学史上の、また世界文学史上の、とても大きな足跡を僕が当時、理解し、共感し、体験することの叶わない状態にあったのは、やはり悔やまれる点ではある。その意味において、僕が同時代的(コンテンポラリー)に三島由紀夫と繋がるのは、ぎりぎり『沈める滝』や『金閣寺』以降の、いわゆる「中期」の段階なのであるけれども、残念ながら、これらの小説に僕の触手が伸びるのは、すでに君に伝えておいた通り、むしろ彼が「後期」の段階に達していた時期なのであって、言ってみれば、ここでも僕は「祭の後」の読者でしかない。

でも、そのような繰り言は幾度、繰り返してみても、詮(せん)ない話であって、それを見越してか......三島由紀夫も「日本文学小史」の中で、あの「藪」(やぶ)のメタファーで「文学作品」を語り、それは「どうしても〔、〕そこをくぐり抜けなければならぬ藪なのだ。自分の〔、〕くぐり抜けている藪を、人は見ることができるであろうか」と、君や僕を励ましてくれているのである。再度の引用で恐縮ながら、ご一読を。――「千年前に書かれた作品でも、それが読まれているあいだは、容赦なく現代の一定の時間を占有する。〔中略〕時間をかけて〔、〕くぐり抜けないことには、その形の美しさも決して掌握できないというのが、時間芸術の特色である。この時間ということが、体験の質に関わってくる。なぜなら、われわれが〔、〕それを読んだ時間は、まぎれもない現代の時間だからである」。

なお、僕が今回、君に紹介しておいた、この「三島由紀夫展」のパンフレットには、そこに「三島文学の国際性」という項があって、彼がパール・バックやウィリアム・フォークナーやジョン・スタインベックやアルベール・カミュと、まったく同列に扱われている(!)ドイツの新聞記事が載せられているし、彼の作品を海外の批評家たちが、あるいはスタンダールやフローベールと、あるいはドストエフスキーやトーマス・マンと、あるいはワーズワースやエリオットと、それぞれ比較している書評も掲げられていて、あらためて当時、三島由紀夫が「ノーベル賞」に最も近い作家と評価されていたことが分かり、僕は驚き(😲)を隠せないでいる。そして、その「ノーベル賞」が彼ではなく、彼の師の川端康成(かわばた・やすなり)に渡されるのは、昭和四十三年(1968年)の秋になる。

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