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浪漫派音楽論(第三話)――「教養」の来た道(77) 天野雅郎

実を言うと、これまで僕は「音楽文化論」という授業を始める前にも、幾つかの授業で「音楽文化」の話を、してきたことがある。理由は簡単で、そもそも「音楽」(music)は人間の「文化」(culture=教養)の、最たるものであるから。――とは言っても、その際の「音楽」を、僕が単に「クラシック音楽」と同一視している訳では、さらさら無く、それどころか、僕個人は「クラシック音楽」よりも、むしろ「ポピュラー音楽」の愛好者と言った方が、より相応しく、例えば僕が死ぬ前に(^^;)ぜひとも聴きたい「音楽」を一つだけ選びなさい、と言われたら、僕は躊躇(音読→チュウチョ、訓読→ためらう)ことなく、森田童子(もりた・どうじ)の『みんな夢でありました』や『男のくせに泣いてくれた』や、それこそ『たとえばぼくが死んだら』を聴きたい、と答えるに決まっている。

それでも、僕が普段、生活の中で聴いている「音楽」には、かなり「クラシック音楽」が含まれていることは事実であるし、そのような「クラシック音楽」が字義どおりの、最上級(classic)という意味では m(_ _)m ないにしても、それが古風な、とても伝統的な、ヨーロッパの民族音楽(ethnic music)であり民俗音楽(folk music)である、という点では、まったく異論がない。また、それよりも何よりも、このような「クラシック音楽」の源(みなもと=水の本)にまで遡ると、そこには古代のギリシア神話に登場する、あのミューズ(Muse←Musa)たちが姿を見せるし、それが次には、中世のヨーロッパの大学で教えられていた「自由学芸」(liberal arts←artes liberales)に姿を変えることを踏まえるならば、そもそも「音楽」が大学の必修科目であることも、言を俟(ま)たない。

ただし、そのためには「音楽」(ミュージック)を、その名の通りの「ミューズの技芸」にまで、もう一度、君や僕は引き戻す必要があるであろうし、それは端的に言えば、現在の君や僕が、普通に理解している「音楽」を、より広く、文学や演劇や舞踊や、それどころか、天文学や歴史学にまで押し広げる必要があるであろう。実際、古代のギリシア人が「音楽」の女神(Erato)を、叙事詩の女神(Calliope)や抒情詩の女神(Euterpe)や、あるいは、悲劇の女神(Melpomene)や喜劇の女神(Thalia)の姉妹と見なし、そこに、さらに舞踊の女神(Terpsichore)や賛歌(すなわち、宗教音楽)の女神(Poly〔hy〕mnia)や、ひいては、天文の女神(Urania)や歴史の女神(Clio)を付け加え、結び合わせていたことを振り返るならば、結果的に「音楽」が総合芸術であったことも、疑いがない。

その意味において、これまで僕が幾つかの授業の中で取り上げてきたのは、例えばベートーヴェンにしても、ヴァーグナーにしても、マーラーにしても、ことごとく、このような総合芸術(composite art)としての「音楽」に、それぞれの形で繋がり、興味を示した(それどころか、多大の関心を寄せた)作曲家(composer)であった訳であり、その点では、今回の「音楽文化論」で取り上げている、ローベルト・シューマンも例外ではない。と言うよりも、むしろ彼はヨーロッパの「音楽」の歴史において、このような傾向を代表する、典型的人物であった(!)と評しても過言ではない。そして、それが見方を変えると、逆に彼を私たち(要するに、日本人)の間で、いささか不人気にする要因でもあったのではなかろうか......と僕は思うのであるが、さて君は、どのように考えるであろう。

ちなみに、今回の授業に際して、僕は前回の、このブログでも紹介したように、とりあえず三冊の「シューマン伝」を読み比べて、彼の生涯と、その作品について、あれこれ思いを馳(は)せているけれども、それ以外にも、何冊かの「シューマン論」に目を通している。その中で、つい先刻も、あるいは前回も、取り上げておいた疑問――すなわち、どうして彼は私たち(要するに、君や僕)の間で、いささか不人気(unpopularity=非大衆性・非通俗性)に傾きがちなのであろう......例えば、同じ「ロマン派」の中でも、あのショパンと比べた時の認知度の低さは、いったい何に由来するのであろう、という疑問に対して、それなりに分かりやすい、すっきりした答えを僕に与えてくれているのは、僕が学生時代以降、お世話(?)になり続けている、吉田秀和(よしだ・ひでかず)である。

なお、僕が今、手許に置いているのは『吉田秀和全集』の第2巻(『主題と変奏』)であって、奥付(おくづけ)を見ると、1975年(昭和50年)に白水社から出版されている。今から数えて、すでに39年も前の本である。もっとも、この『吉田秀和全集』自体は、これ以降、四期に分けて、29年に亘って刊行され続け、それが全24巻で完結したのは、2004年(平成16年)のことであったから、ちょうど今から10年前のことになる。結果的に、その内の何冊かを、僕自身は学生時代以降、買い求め、それを我が家(「天野図書館」)の本棚に並べているが、この場において紹介するのは、1950年(昭和25年)に『近代文学』(近代文学社)に掲載された「ローベルト・シューマン」と、これまた、1973年(昭和48年)に『ステレオ芸術』(ラジオ技術社)に掲載された「シューマン」の二篇である。

と言うことは、この内の前者は、君も僕も、まだ生まれる前に書かれている訳であり、もう64年も前の「シューマン論」になる。一方、後者は前者に比べて、かなり新しい、と言えば言えるが、それでも、すでに41年前の「シューマン論」である。と言うことは、と僕は繰り返すけれども、この二つの「シューマン論」は君にとっても、僕にとっても、ある程度、古風(antique? archaic? old-fashioned?)な雰囲気を、漂わせざるをえないはずである。――と思いきや、何と(!)久し振りに開いた『吉田秀和全集』は、そのような古風な雰囲気を、いっこうに僕に感じさせることなく、それどころか、おそらく学生時代の僕には、ほとんど理解できていなかった、例えば、シューマンとショパンの決定的な違いについて、以下のような見事な、要領を得た説明を施してくれていたのである。

 

同じピアノ詩人によばれてはいるものの、ショパンとシューマンはぜんぜんちがう。ショパンは独自の、ただ一個の完結した世界だ。ショパンは、まず旋律の天才であり、特異なハーモニーの魔術師である。それに、特に僕の驚嘆するのは、彼の、一分の狂いもない様式感と形式感だ。バラードやマズルカはもちろん、エチュードも、プレリュードも、ほとんど各曲が独立して演奏されるに耐える。これは短歌的芸術であり、ショパンはその小さな額縁のなかで、一厘の余白ものこさなければ、一分のはみだしもみせない。〔改行〕だが、シューマンの〔中略〕どの曲が、一つだけとりだして演奏されるだろうか。シューマンは、『伊勢物語』の作者のように、情感がこって、歌の世界に結晶することはあっても、ついにフォアシュピール〔前奏曲〕とナッハシュピール〔後奏曲〕をかかずにいられないし、歌は歌を呼んで、物語の世界をくりひろげださずにはいられない。

 

この一文を吉田秀和が書いた時、彼の生年は1913年(大正2年)であるから、数えの38歳であったことになる。やれやれ、このようにして人間の才能(talent)と言うものは、その原義(ギリシア語:talanton=均衡)とは裏腹に、いつも不平等で、不公平なものであるらしい。......でも、そのような彼にしてからが、今度は23年後に、満60歳で書いた「シューマン論」では、また違った、文章の冴(さ)えを見せることになる。と言うことは、どうやら君にとっても、僕にとっても、すでに贈り物(gift)としての才能は、それぞれの人生の中に送り届けられているのか知らん。それならば、そのような贈り物としての才能とは、どのようなものであろうか。そのことを、まず君が知りたいのであれば、今度は君自身が、もう一つの吉田秀和の「シューマン論」の冒頭を、読んでみればよい。

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