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浪漫派音楽論(第五話)――「教養」の来た道(79) 天野雅郎

今回は、前々回の話の続きである。前々回、僕は吉田秀和(よしだ・ひでかず)の二つの「シューマン論」――すなわち、1950年(昭和25年)の「ローベルト・シューマン」と1973年(昭和48年)の「シューマン」の、二つの「シューマン論」を君に紹介し、前者については、その一節を引用し、後者については、そのページを捲(めく)ってみたら、と誘っておいたけれども、はたして君は、読んでくれた側であろうか、それとも、読んでくれなかった側であろうか? まあ、どちらでも構わないけれども......と、いつもの僕であれば、言い出す所であるが、たまたま先日、パソコンを開いた折、ふと思い立って「アマゾン」(Amazon.co.jp.)で『吉田秀和全集』の第2巻(『主題と変奏』)を調べてみると、すでに品切れの上に、何と、中古品でも7,500円余りの高値が付いているではないか。

もっとも、これは1999年(平成11年)になってから、白水社が出した「新装復刊版」の方であって、目下、僕の手にしている旧版(1975年刊行)の場合には、君が古本に特有の焼けや匂いや、汚れを気にしないのであれば、1,800円程度で購入が可能ではある。ともかく、これでは君も「おいそれ」(おい!→それ!)と、簡単には『吉田秀和全集』を入手できないであろうし、わざわざ図書館に足を運んで、この本を借りるのも、いささか億劫(おっくう)であろうから、今回は僕が君に代わって、1973年の「シューマン」の冒頭を、読み直しておくことにしよう。すると、そこには再度、例の「ロマン主義音楽」の代表選手であり、まったく同じ年(1810年)に、この世に生まれ落ちた、シューマンとショパンの比較、それも、この両者の「天才」の比較から、吉田秀和の話は始まっている。

 

シューマンは恐ろしく不器用な音楽家だった。よくならべられるショパンとは、とても比較にならない。ショパンは、どこをとってみても完全な芸術家であり、自分の天才のあり方と作品の完成度の高さとの間で、おそらく、完璧な均衡をつくりあげるような仕事ぶりをし、終生それを裏切らなかった。その意味からいっても、彼は〔、〕まれにみる名匠である。それに、ショパンについて私が最もすばらしいと思うことは、どういう運命の戯れか知らないが、このポーランド出身でパリに住みつくことになった青年の中に、《ピアノの音楽》という音楽創造の歴史の中でも最も内容の充実した一つの局面の精髄が、どうやら、集約的に示されているらしい点である。

 

ウ~ン、前々回の「ローベルト・シューマン」の引用と言い、今回の引用と言い、吉田秀和の視線は、そこに20年以上の時の流れを介在させながらも、揺らぐことがない。そして、その視線の行き着く先には、このようにしてシューマンとショパンを比較しつつ、結果的に彼自身は、前者(すなわち、シューマン)を「ロマン主義音楽」の典型と見なすのに対して、後者(すなわち、ショパン)は突き詰めるならば、そのような存在ではない、と明言するに至っている。――「ロマンティシズムは、あの魅惑にとんだ旋律や、はなやかな和声法の衣装となって、彼の作品とは〔、〕きってもきれない関係にあるのは事実だが、しかし、それは彼の芸術の〔、〕そんなに深い層を啓示している要素ではなかった。ショパンの天才は、それらの〔、〕はなやかな衣装を、ひとかわ、むいたなかにある」。

と言うことは、そのような「ロマンティシズム」の「はなやかな衣装を、ひとかわ、むいたなかにある」ものが、いわゆる「古典主義」(classicism→「クラシシズム」)であることも、言を俟(ま)たない。要するに、このようにして「ロマンティシズム」であれ「クラシシズム」であれ、いずれにしても、ある特定の時代の、固有の様式(style→スタイル)を言い表す語であると共に、その「スタイル」は、ある単独の個人の、文字どおりの「ライフ・スタイル」(life-style→生命様式、生存様式、生活様式、生業様式、生涯様式......)として表現され、表現されざるをえないのであって、それほど容易に、個人と時代を結び付けるものになりうるとは、限らない。そうでなければ、シューマンの音楽もショパンの音楽も、ほとんど代映(かわりばえ)のしないものになったであろうから。

なお、このようにしてシューマンとショパンを比較する中で、吉田秀和は例の、ショパンの「人気」(popularity=大衆性・通俗性)の秘密についても、以下のような辛辣な発言を遺している。――「ショパンは、世界中の人びとに愛された。だから、その人たちの中には、当然、音楽についての素人も含まれているわけだが、しかし、ショパンをひくためには、本来ならばピアノについて何かの未熟なものがあってもいけないだけでなく、彼の音楽は《音楽》について未熟なものの残っているものの手に〔、〕とどかないところにあるのだ。要するに、ショパンは素人のための音楽家とは正反対の芸術家だった。彼が、莫大な愛好者をもっているのは、たまたま、ロマンティックな時代に生まれあわせ、ロマンティックな音楽の色彩と香りを〔、〕ふんだんに発散する作品を書いたからである」。

このように言われてしまうと、たちまち僕のような「素人」(しろうと)は、それこそ二進(にっち)も三進(さっち)も行かなくなって、身動きが取れなくなり、困り果てて(......^^;)しまい兼ねないのであるが、さて君は、いかがであろうか? でも、このブログ(「浪漫派音楽論」)においても何度か、繰り返してきたように、そもそも「音楽」とは、一定水準以上の知識や技能を修得することによってしか、理解したり、共感したり、できないものであろうか。それならば、いつまで経っても「音楽」は、ほんの一握りの、ごく僅かな人間の、所有物や愛玩物に留まらざるをえないであろうし、そこからは、例えばシューマンの「ピアノ協奏曲」を「専門家用の音楽だな」と呟いた詩人も、地元(花巻)で随一の、レコード・コレクターであった詩人も、除外されざるをえないことになる。

その意味において、このような「専門家用の音楽」とは、相反する一面を兼ね備えていたのが、ほかならぬ「ロマン主義音楽」であることも、君や僕は忘れてはならず、その点を、これまたシューマンとショパンの比較を通じて、吉田秀和は次のように述べている。すなわち、シューマンが「諸君、帽子を取り給え、天才だ!」(1831年12月7日『総合音楽新聞』)と、ショパンのことを称えつつ、それにも拘らず、その「ショパンの作品の完結性を、一面では賛嘆するとともに、一面では〔、〕ものたりなく思ったにちがいない」のも、やはりシューマンであり、その点で、シューマンの問い掛け自体は一貫している。――「なるほど芸術としては〔、〕すばらしい。最高級のものだ。だが、芸術は芸術であることが〔、〕すべてであるのか? ここからは、何かが閉めだされてはいないか?」

その「何か」とは、何であったろう。......多分、それが総じて「ロマン主義音楽」の、ひいては、その原型(archetype=原初の鋳型)であるシューマンの「音楽」の、文字どおりに、肝心要(かんじん・かなめ)の問題であったのではなかろうか。そして、その問題を引き受けるために、あえて天(神?)は、シューマンという音楽家に不完全な、未完成の、完璧ではない才能を与え、逆に彼を、天才(genius=守護神)として鼓舞し続けたのではあるまいか。――と言うのが、今回、僕が君に紹介をした、吉田秀和の「シューマン論」の骨子である。振り返れば、ほとんど引用だらけの紹介となってしまい、君には恐縮であるが、恐縮ついでに、もう一度、この「シューマン論」の冒頭に立ち返っておくと、まさしく、それこそが彼を「恐ろしく不器用な音楽家」に仕立て上げた理由であった。

 

シューマンは天才の作品の完成度の間のバランスという点で、完璧どころか、いくつもの欠けたところがあった。むしろ、彼は、欠点が多いにもかかわらず、異常に高い天才にめぐまれた音楽家だったというべきだろう。このくいちがいこそ、シューマンの弱点であると同時に、彼の光栄であったといってもよいだろう。彼の場合は、何かの欠点が彼の作品に〔、〕その天才に見合う完成度を与えるのに、しばしば、さまたげになったというだけでなく、むしろ逆に、その稀有な天才をもっていたこと自体が、作品の完成を妨害したのではないかという疑問を起こさせるくらいなのだ。彼の中の天才が、往々にして、答えに窮したのではなかろうか?

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