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季節の通路(かよひぢ)――「教養」の来た道(83) 天野雅郎

暑い、暑い......と言い続けていたら、不思議なことに、前回の「夏越(なごし)の話」を書いた翌日(7月27日)あたりから、にわかに明け方の気温が低くなってきていることに、君は気が付いている側であろうか、それとも、そのような事態には、お構いもなく、クーラーをガンガンと効かした部屋でグウグウと、相も変わらぬ「泰平の眠り」を貪っている側であろうか? ちなみに、今から160年余り前(1853年→嘉永6年)に「黒船」に乗り、例のペリー(Matthew Calbraith Perry, 1794-1858)が浦賀沖に姿を見せ、そのショックで、私たちの国の200年以上にも及んだ「泰平の眠り」が覚まされたのは、この時期、陽暦では7月、陰暦では6月の、おそらく暑い、暑い、夏の終わりであったに違いない。――「泰平の/眠りを覚ます/上喜撰(=蒸気船)/たつた四杯で/夜も眠れず」

なお、このショックで......と言う訳では、あるまいが、それまで病床にあった将軍(第12代)の、徳川家慶(とくがわ・いえよし、1793-1853→ペリーと、生まれは1歳違いなのです!)が死去するに至るのは、ちょうど陽暦の7月27日であり、その原因は、どうやら暑気当(しょきあたり=暑気中)であったらしい。もっとも、この当日は陰暦では、いまだ6月22日であり、いわゆる「夏越」には至っていない。ついでに、この将軍には合わせて、27人(=男14人+女13人)の子供がいたが、その多くが――と言うよりも、次の将軍職に就く家定(いえさだ)を除いて、その全員が夭逝することになる。そして、その背景とされているのが、当時、流行の白粉(音読→ハクフン、訓読→おしろい=御白)であり、そこに含まれている毒物(水銀+砒素+鉛)であったのであるから、恐ろしい。

とは言っても、いつの時代にも「流行」(fashion=「作られたもの」→風俗、習慣、行動様式、服飾......)と呼ばれるものには、このような落とし穴が付き纏(まと)っているのであって、その危険(danger? hazard? peril? risk?)を弁(わきま)えているのか、いないのか、君や僕は平生、このような「流行」との危(あやう)く、険(けわ)しい関係を、続けざるをえない状態に陥っている。一口で言えば、それが君や僕の、一般に文明(civilization=都市化状態)と称しているものであり、そのような文明の産み出した、文字どおりの「文明の利器」(convenience→便器?)の誘惑に、日々、君や僕が屈しながら、生きていることも疑いがない。しかも、そのような文明と潔く手を切って、君や僕が生きていくことなど、土台、無理な相談でもあろうから、話は実に、ややこしい。

ところで、僕は前回、君に「夏越」の語を用いつつ、いわゆる旬(しゅん)の話をしておいたけれども、その際、あえて文末に「十字路」(クロスロード)という語を宛がっておいたのは、その時、僕の耳の奥に『古今和歌集』の、次のような凡河内躬恒(おおしこうち・の・みつね)の歌――「夏と秋と/行き交ふ空の/通路(かよひぢ)は/片方(かたへ)涼しき/風や吹くらむ」(巻第三、168)が、かすかな音を立てていたからである。この歌は、君も『古今和歌集』を開いて見れば分かるように、季節(すなわち、四季)の歌の中の、夏の歌の最後に置かれている歌であり、詞書(ことばがき)にも「六月(みなづき)の晦(つごもり)の日、詠める」とあって、陰暦の6月30日......要するに、その名の通りの「夏越」の夜の、寝苦しい、微睡(まどろみ)を前にして詠まれた歌であった。

言い換えるならば、この歌を夏の歌の掉尾(チョウビ→トウビ)に配し、ここから『古今和歌集』は巻第四の、秋の歌(上)へと巻を改めるのであるが、その冒頭には藤原敏行(ふじわら・の・としゆき)の「秋立つ日、詠める」歌――「秋来(き)ぬと/目には清(さやか=明)に/見えねども/風の音にぞ/おどろかれぬる」(169)が収められている。そして、この歌の中の「おどろかれぬる」という言い回しが、そもそも風の音(おと)に驚(おどろ)き、目を覚ます状態であることを、君が知っているのであれば、秋の訪(おとず)れは、昼、はっきりと目には見えなくとも、夜、さやさやと風の乱(さやぎ→さわぎ)を伴い、聴き取られうるものとなることを、納得できるに違いない。その意味において、季節の変わり目は視覚ではなく、まず聴覚においてこそ、感取されるものである。

実際、今日は陽暦(=洋暦)の8月2日であり、目下、君や僕の用いているカレンダー(すなわち、グレゴリオ暦)では、すでに7月も終わり、8月に入ってしまったけれども、実は陰暦では、いまだ今日は7月であり、それも7月7日の、いわゆる七夕(音読→シチセキ、訓読→たなばた)の夜に当たっている。ただし、今日は残念ながら、台風(12号)の影響で、一日中、雨が降り続けているので、せっかくの「星合(ほしあひ)の空」に織姫(=織女星)と彦星(=牽牛星)の、まさしくランデヴー(rendez-vous=逢い引き)を目にすることは叶いそうにない。......そこで、今日は僕が君のために、先刻の『古今和歌集』の秋の歌の中から、ちょうど今宵、七夕の夜に詠まれた歌の幾つかを拾い上げ、もともと七夕が、君にとっても、僕にとっても、秋の行事であるべきことを振り返りたい。

 

秋風の/吹きにし日より/久方(ひさかた)の/天(あま)の河原に/立たぬ日はなし(173、読人知らず)

恋(こ)ひ恋ひて/逢(あ)ふ夜(よ)は今夜(こよひ)/天の河/霧立ち渡り/明けずもあらなむ(176、読人知らず)

契(ちぎ)りけむ/心ぞ辛(つら)き/七夕の/年(とし)に一度(ひとたび)/逢ふは逢ふかは(178、藤原興風)

年ごとに/逢ふとはすれど/織女(たなばた)の/寝(ぬ)る夜の数ぞ/少なかりける(179、凡河内躬恒)

今はとて/別(わか)るる時は/天の河/渡らぬ先に/袖(そで)ぞ漬(ひ)ちぬる(182、源宗干)

 

さて、このような七夕の歌の数々を読むと、どうして七夕が「たなばた」(=棚機)と訓読されているのかも、また、そのような七夕を通じて始まる七月が、なぜ、そもそも日本語では「ふみづき」(=文月)と訓読され、表記されてきたのかも、君は気が付いてくれているのではあるまいか。すなわち、この「ふみづき」の「ふみ」とは、さかのぼれば漢字の「文」(呉音→モン、漢音→ブン)に由来し、そこから産み出された語であったにも拘らず、それは次第に、漢字で記された文書の意から、やがて日本語で書かれた、いわゆる手紙の意へと転じ、さらには男と女の間の、文字どおりの恋文(こひぶみ)をも指し示すようになる。そして、そのようなラヴレター(love letter)の一つをも、君や僕が誰かに向けて、書かなくてはならない気を起こさせてしまうのが、まさしく七月であった次第。

と言う訳で、せっせと僕も君に対して、このような「ふみ」の類(たぐい)を書き続けているけれども、いくら毎朝、涼しくはなったと言っても、今日は台風の中、窓を閉め切った部屋でパソコンに向かい、クーラーも付けずにキーボードを叩いていると、それは相当、苦行に近い様相を呈せざるをえないことになる。が、このような些細(ささい)な、クーラーの代わりに扇風機を回す程度の努力しか、僕に残されている、わずかな文明への抵抗はないのであろうから、致し方がない。もっとも、それは僕の、あくまで個人の尊厳や、振り返れば、健康や福祉のために行なわれるべき行為ではあっても、それが決して、このような個人の行為を隠蓑(かくれみの)にした、より大きな経済行為のための犠牲となってはならないものであることも、君や僕は、肝に命じなくてはならない点である。

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