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残暑の、お見舞い(第二信)――「教養」の来た道(86) 天野雅郎

前回、僕は君に「残暑の、お見舞い」と題して、いささかサボり気味であった、このブログの更新を果たしたけれども、そもそも残暑見舞いとは、君や僕にとって、どのような意味を持つ、どのような行為を指し示しているのであろう......という点が、やはり僕は気になっており、今回も引き続いて、君に残暑見舞いの挨拶を送り届けたい。ちなみに、この挨拶(アイサツ)という語も不可思議な語であって、日本人は一般に、この語を純然たる、日本語であるかのように思い込んでいるけれども、それならば、この語を成り立たせている「挨」と「拶」という漢字を日本語として読める(要するに、訓読できる)のか、どうか、ためしてみればよい。たちまち、この漢字を通常、君も僕も「アイ」と「サツ」という形で音読(すなわち、中国語読み)をするしかないことに気が付くはずである。

論より証拠――この挨拶という語は元来、その起源(ルーツ)を遡ると、そのまま「外来語」である「仏教語」に辿り着くのであって、とりわけ「禅家で、師匠が門下の僧に問答を押し迫って、その悟りの深浅を見ることを言った」と、例えば山下民城(やました・たみき)の『くらしの中の仏教語』(1978年、冬樹社)には説かれている。実際、この挨拶という語の、挨(アイ)と拶(サツ)という漢字を無理矢理、日本語で読めば、それは「押す」と「迫る」と訓読できるし、そこから結果的に、日本語では「こうした強引な意味のものだったのが次第に軟化し、消息書翰の往復とか、人と会った時にする儀礼の交換、親愛の言葉のやりとりの意となったものである。したがって、やくざなどが「いつか挨拶してやるぞ」と凄む〔、〕あの〈挨拶〉のほうが原意に近いのだから面白い」(同上)。

とは言っても、このような「軟化」を単純に、呑気(のんき=暖気)に「面白い」の一言で片づけることが出来るのか、どうか......。ことによると、よほど「やくざ」(八九三→ブタ)の方が律儀に、この「挨拶」という語の「原意に近い」使い方をしているのであれば、そもそも君や僕のような堅気(かたぎ)には、いったい「挨拶」が何のために、誰のために、必要な社交辞令として執り行なわれているのか知らん、という疑問がフツフツと、音を立てて沸き起こってくるのではあるまいか。――そのような折には、もう一冊、君には「外来語」としての、ひいては「日本語」としての、はなはだ広範な「仏教語」の用例と、その用法を知って貰(もら)う上でも、岩本裕(いわもと・ゆたか)の『日常佛教語』(1972年、中公新書)あたりを、さしあたり僕は、君に入門書として薦めたい。

ところで、君は暑中見舞いと残暑見舞いの境目(さかいめ)が、暦(こよみ=陰暦)の上では「立秋」(音読→リッシュウ、訓読→あきたつひ)に置かれていることを、知っていたであろうか? と言うことは、今年の「立秋」は陽暦(すなわち、君や僕が現在、明治時代以降に使っているカレンダー)では8月7日に訪れており、この日は陰暦では7月12日に当たっていたけれども、すでに君も僕も、もう秋の入口から二十日(はつか→どうして、この漢字が「はつか」と読めるのでしょう......?)あまりも時間の経った、その意味において、充分に秋の気配(けはい)の漂っている、秋めいた雰囲気の中に、いなくてはならないはずである。ところが、それにも拘(かかわ)らず、相変(あいかわ)らず太陽は、ギラギラとした日差(ひざし=日射)を君や僕の上に、あびせかけている始末。

このような時、君や僕には暑中見舞いではなく、残暑見舞いという形を取って、お互いの「お見舞い」をする必要が生じてくる訳である。そこで、ここで恒例の『日本国語大辞典』(2006年、小学館)で「残暑」の語を引いてみると、そこには「秋に〔、〕はいって〔、〕なお残る夏の暑さ。立秋後の暑さ」という語釈と共に、この語が元来、白居易(=白楽天)の漢詩(「曲江早秋」)に由来するものであり、私たちの国でも平安時代から、この語が使われ続けていたことが分かる。――と書いて、いつもの僕であれば即座に、この場を借りて白居易の、この漢詩を引き合いに出し、この漢詩の中の「人寿」(=人間の寿命)について、あれこれ君と感慨に耽りたい所であるが、この漢詩の長さ(五言排律→5言×14句)を考えると、そこはグッと我慢をして、次回に話を繋ぐのが得策であろう。

と言った次第で、この場は『日本国語大辞典』の「補注」の文章を、君に紹介するに留めたい。......とは言っても、この文章も結構、参考になることは請け合いであり、すでに「残暑」という語は平安時代以降、私たちの国では漢詩のみならず、和歌においても、その固有の、独自の機能を兼ね備えた語となっていて、ここから後世、文字どおりの「残る暑さ」という和語が産み出される前にも、歌題として用いられていた語であった。また、この語が歌合(うたあわせ)の歌題となるのは、平安後期の永久4年(1116年)に編まれた『永久百首』(秋)が最初であることが『日本国語大辞典』には記されている。と言うことは、この語は私たちの国でも、実に900年近い間、夏から秋への、季節の往来を指し示し、その際の消息を交し合う、肌理(きめ=木目)細やかな語であったことになる。

なお、このような歌題としての「残暑」について、さらに『日本国語大辞典』は鎌倉初期の、と言うよりも、ようやく鎌倉時代が始まったばかりの、建久4年(1193年)に催された『六百番歌合』(秋上)の、藤原俊成(ふじわら・の・としなり→シュンゼイ)の判詞(はんし)にも触れており、そこでは「秋とは名ばかりの暑さの中で、一抹の涼しさを求める心情を詠むことに本意があるという見解が示されている」由(よし)。なお、この時、俊成自身は数えの80歳(俗に言う、米寿)であったが、この「残暑」という歌題に応じ、その「心情」に形を与えるべく、当時、こちらは30歳(俗に言う、三十路)を過ぎたばかりの、息子の定家(さだいえ→テイカ)が詠んだ歌は、以下のごとき一首であった。――「秋来ても/なほ夕風を/松が根に/夏を忘れし/蔭(かげ)ぞ立ち憂(う)き」

この歌自体は、今から820年余りも昔の、立秋を越えて残り続ける、夏の暑さを表現したものであったから、君や僕が現在、感じている「残暑」とは、いろいろな点で違いがあっても、当然である。それに、この歌自体のジャンルとしては、叙景歌であって、抒情歌ではないから、多分、描かれているのも当時の、どこかの実景に即した光景であったに違いない。が、この歌が何かしら、820年後の君や僕にも、分かるような気がするのは、やはり「松が根」という掛詞(松=待つ)が入り込むことで、この歌を例えば、君や僕が過ぎ去った、今年の夏に心を馳(は=走)せ、そこに立ち去り難い思いを抱いている......秋の初めの海岸風景として、受け止めることが出来るからなのではなかろうか。そして、そのような感慨は当然、一人の人間の人生の、夏の終わりへの挽歌でもあったはずである。

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