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残暑の、お見舞い(第三信)――「教養」の来た道(87) 天野雅郎

九月に、なりました。でも、この「九月」という語(日本語?)を、どうして私たちは「クガツ」と読んで、これを「キュウガツ」と読むことを、しないのであろう。――と問い掛けられても、きっと君は困ってしまうに違いないが、そもそも漢字の「九」を「キュウ」と読むのは漢音であり、それに対して、これを「ク」と読むのは呉音である。また、さらに漢字の「月」は本来、漢音では「ゲツ」と読み、呉音では「ゴチ」と読む。......とすれば、もともと「九月」は呉音では「クゴチ」と読まれていたはずであり、これに、やがて漢音の「キュウゲツ」が取って代わり、それが、いつしか日本語の慣用音の「ガツ」と混ぜ合わされ、結果的に今、君や僕が使っている「クガツ」という読み方に変化をしたのではなかろうか、と僕は思うけれども、このような事態に、君は興味があるかな?

もちろん、僕は興味がある。なにしろ、このようにして君や僕の口から飛び出しているのは、かつて漢字という外国文字(要するに、中国文字)が日本に輸入され、その折々に使われた、その時代、その時代の読み方に他ならないからであって、それらの読み方が今でも、幽(かす=微)かに君や僕の口には谺(こだま=木霊)をしていることになるからである。その意味において、君や僕は決して自分たちの好き勝手に、自分たちの口から言葉を発しているのではなく、それどころか、むしろ君や僕の口は言葉に合わせて、言葉に即した形でしか、動くことが出来ないのであり、それ以外の動き方では、言葉を発することすら叶わないのである。言い換えれば、このような不自由な、いっこうに好き勝手の許されない、君や僕の口の動かし方の中にこそ、実は言葉の、奥深い秘密が宿っている。

例えば、僕が前々回から君に、話を聴いて貰(もら)っている「残暑」(呉音→ザンショ、漢音→サンショ)という語の、一つを取っても、そこには中国から、この語が私たちの国に伝えられて以来の、さまざまな歴史の襞(ひだ)が折り畳まれているのであり、それらの襞の一つ一つを、ゆっくり解(と)き解(ほぐ)さないと、この「残暑」という語の歴史――すなわち、その過去と現在と未来の連鎖は、本当は理解できないはずである。と言うことは、おそらく私たちは何時まで経っても、ある一つの、何らかの単語に限っても、その単語を充分に理解するには至りえないであろうし、ましてや、その単語を使い熟(こな=粉)すことなど、とうてい不可能であろう、と認めざるをえない。が、それが本来、ごく当たり前に私たちが言葉と付き合っている、その実態なのではなかろうか。

と言った次第で、今回も前回に続いて、もう一度、改めて「残暑見舞」の語を『日本国語大辞典』(2006年、小学館)で引いてみると、そこには何と、これまでの「残暑」の用例とは打って変わって、河東碧梧桐(かわひがし・へきごとう)選『続春夏秋冬』の中の一句(「長角豆/残暑見舞を/わがねけり」前川素泉)が用例に挙げられている。と言うことは、この用例が「残暑見舞」の、仮に最初期の用例の一つであったとすれば、どうやら「残暑見舞」という語自体は20世紀になってから、生まれた語であったことになるのではなかろうか。と言う訳で、いささか僕は不安になったので、今度は『日本国語大辞典』で「暑中見舞」の語を調べてみると......ヤレヤレ、こちらの方は江戸時代の雑俳(ざっぱい)の『柳筥』(やないばこ)が、その用例に挙げられており、これで僕は一安心。

――と思いきや、その用例(暑中御見廻と柏筵〔ハクエン〕はあるき)に宛がわれている「暑中見舞」には、ご覧の通りの「暑中見廻」という字が使われているのであって、この語が実は、もともと「見廻」から転じて「見舞」となったものであることが分かる。そこで、さらに「見舞」の語を『日本国語大辞典』で引いてみると、そこには一番目に「①見回ること。見回り。巡察。巡視」という語釈が置かれ、この語が安土桃山時代(文禄2年→1593年)に私たちの国に伝わった、いわゆる『イソップ物語』の日本語訳(『伊曾保物語』)の中に登場する語であった点を始めとして、僕にとっては驚愕(◎o◎)の事実が記されているでは、ないか。しかも、そこから『日本国語大辞典』は二番目に、ようやく「②訪問すること。とぶらうこと。挨拶に行くこと」という語釈を掲げている次第。

もっとも、この第二の語釈の用例には、第一の語釈よりも古い、室町時代(1490年頃)の『古文真宝彦龍抄』(※)が挙げられており、この語が日本の中世には、すでに使用済みの語であったことも確認できるのである。おまけに、ここから『日本国語大辞典』は三番目に、さらに「③医者が病人の様子を見て回ること。往診」という語釈を掲げ、その用例には江戸時代の仮名草子(『竹斎』)を挙げている。......いやはや、このようにして辿り直すと、どうやら現在、君や僕が「見舞」という形で使っている用法は、結果的に第四の、江戸時代以降の用法(「④病気、災難などにあった人を慰めるために訪れたり、書面で問い慰めたりすること。また、そのための訪問や書状、贈物など」)であったことになり、これだけの歴史を背景に、君や僕は「見舞」という語を使っていたことになる。

 

(※)そもそも『古文真宝』(コブンシンポウ)は中国の宋代(もしくは、元代)に編まれた(と、されている)詩文集であるけれども、これが日本でも、室町時代から江戸時代に掛けて広く読まれたことを、君は知っていたであろうか? そして、その際の注釈書である、いわゆる抄物(しょうもの)の一つが『彦龍抄』であり、その名の通り、これは室町時代の禅僧で、夭折(1458-91)の天才として知られる、彦龍周興(ゲンリュウ・シュウコウ)の講義録である。僕自身は、いまだ修行が足りず、このような日本の中世に育まれた、文化や思想の精髄に対して、これを一向に読み熟すには至っていないけれども、そのこと自体を情け無く、ひどく残念に思う気持ちは、あるのであって、その気持ちを君にも伝えておきたく、このようにして今回は、このブログにしては不釣り合いな、ちょっと長い目の、注釈を書き添えておく次第。

 

さて、このようにして振り返ると、君も僕も「おいそれ」(おい!→それ!)とは、いい加減な調子で言葉と付き合うことが出来なくなる。でも、それが多分、君や僕が生きている、この「現代」という時代に必要な、裏を返せば、そこに最も、欠落している態度ではあるまいか、と僕は思っている。その意味において、ちょうど今日は、たまたま幸田文(こうだ・あや)の『季節のかたみ』(1993年、講談社)を読み返していて、その表題ともなっている「季節のかたみ」の一節に目が留まったので、この一節を最後に、君に紹介しておくことにしよう。――とは言っても、この一節が書かれたのは昭和54年(1978年)の、今から数えて、36年前の夏の終わりであり、君にとっては、おそらく随分、昔の夏になるのであろうが、それが「きびしい夏」であった点では、今年の夏と同じである。

そして、その「きびしい夏」を乗り切ろうとして、同じように「喘〔あえ〕ぎの夏」と向かい合っている、庭の草木に「風呂の捨水」(このような言葉の使い方を、君は理解できるかな......^^;)を撒(ま)こうとした瞬間、著者は庭履(にわばき)を履き損ね、よろけてバケツを地面に、投げ出してしまうことになる。――と、ここから先は君自身が、幸田文の「季節のかたみ」の、その頁(ページ)を捲(めく)って欲しいけれども、一つだけ、この表題の中にある「かたみ」という語について、僕は君に注意を促しておきたい。なにしろ、この「かたみ」という語の、このような使い方が出来るのか、どうか......それは僕のパソコンが、この「かたみ」という語の「み」の部分に、馬鹿の一つ覚えのように赤い、修正の波線を引くのとは違った、人間の最後の砦(とりで)なのであるから。

 

その時、地面から音がたちました。ブチブチと、ものの〔、〕はぜるような音です。見ると、乾いた土はもう水を呑み下していて、地面にはほそく浅い不規則な〔、〕ひび割れがありました。呆然としました。〔中略〕そこで私は努力しないわけにはいかなくなり、風呂桶七分目の水を撒きましたが、終ったときはクラクラしてへたばり、然し〔、〕いささかは気の静まるものがありました。木も土も私も、旱〔ひで〕りと水とへ切実にむきあっていた、という思いです。夏はもう後姿です。来年の夏がまた旱りとはかぎりません。バケツをひっくり返したら、乾いた土がブツブツ声をたてて〔、〕ひび割れた――これはこの夏の鮮烈な〔、〕かたみでした。

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