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熊野学事始(第三話)――「教養」の来た道(98) 天野雅郎

熊野(くまの)という名を聞いて、まっさきに君が思い浮かべるのは、その名の通りの熊(クマ)であろうが、そもそも君は熊という獣(けもの=毛物)を、目の当たりにしたことがあるであろうか。......と、このように訊ねている僕自身が、実は振り返ると、おそらく子供の時分、何処かの動物園あたりで目にしたであろう、あまり獣(けもの→けだもの)らしくない、熊の姿しか想い起こせないのが実情であって、きっと昨今の、君や僕の目には、このようにして熊が大人(おとな=音無)しい――という表現自体、何とも奇妙な言い回しであるが、ともかく、このようにして熊が動物園の檻(おり)の中で蹲(うずくま)り、ある時はゴロゴロと、ある時はウロウロと、あまり動物(=動く物)然とした態度を取っていない熊しか、お目に掛かっていないのが正直な所であったに違いない。

が、そのような熊が一面、凶暴で、獰猛な性格を有していることも、例えば時折、新聞やTVのニュースが教えてくれるし、いつもの『日本国語大辞典』(2006年、小学館)を引くと、そこには次のように書かれている。「クマ科に属する哺乳類の総称。体は〔、〕よく肥え、がんじょうで、毛はあらく、毛色は褐色、黒色、白色など種類によって異なる。体長は最大種ホッキョクグマで約三メートル。四肢は太くて短く、強大な〔、〕かぎ爪を備える。尾は短い。嗅覚が優れ、雑食性で魚、小獣、木の実、草などを食べる。冬は穴の中で絶食して過ごすことが多い。肉は食用、毛皮は敷物、胆嚢は「くまのい」といって薬にする。北極地方から熱帯林まで分布し、七種がいる。日本には本州以南に、黒色で〔、〕のどの下に三日月形の白斑のあるツキノワグマが、北海道には大形のヒグマがすむ」。

もっとも、このようにして熊を凶暴で、獰猛な動物である、と評しているのは人間の、あくまで都合の好い、身勝手な、我儘(わがまま)な判断であり、熊の側から見た時、それは動物(animal=生命体)としては当然の、食べ物を獲ったり、食べたり、我が身を守ったり、している、生命(anima=気息)の維持と防御の活動を、くりかえしているに過ぎないのであって、それを凶暴や獰猛という語で一括りにされるのは、熊にとっては迷惑千万(めいわく・せんばん)な、濡衣(ぬれぎぬ)にも等しい、無実の罪であったに違いない。まあ、その点においては人間も、ことさら変わる所はない......と言えば、言えるけれども、要は人間が、人間中心主義(ヒューマニズム)の旗印を立てられるのに対し、熊は熊中心主義(ベアリズム?)の旗印を立てることが叶わないのが、大きな違いである。

ちなみに、さっきの引用の後に、括弧(《 》)書きで『日本国語大辞典』は、熊という語が実は、俳句の季語でもあって、この語が冬の季節感を表現する語であることを、付け加えているが、これなどは特に、人間の「ヒューマニズム」の立場を露呈していて、おもしろい。なにしろ、そのような冬に熊の方は、まさしく冬眠の最中であり、それこそ穴熊(あなぐま)状態で、春の夢を貪(むさぼ)っているに違いないから。――と書いておいて、にわかに僕は正岡子規(まさおか・しき)の、熊を吟じた俳句の幾つかを想い起こしたので、君にも紹介しておくことにしよう。このような俳句を読むと、いまだ正岡子規の生きていた時分の日本には、熊が冬の風物詩であったことが分かり、僕は何だか、うれしいような、かなしいような、いささかシンミリとした気分に浸らざるをえない次第。

 

乾鮭(からざけ)も 熊もつるして 師走(しはす)哉(かな)

稲妻(いなづま)や 生血(いきち)したゝる つるし熊

しくるゝや 熊の手のひら 煮(にえ)る音

五六人 熊擔(にな)ひ来る 雪の森

熊に似て 熊の皮着る 穴の冬

 

さて、このようにして振り返ると、昨今の君や僕が理解しているような、熊と人間との付き合いは、とても新しい、きわめて薄片(うすぺら→うすっぺら)なものであったことが分かる。第一、君は例えば正岡子規のように、熊の肉を食べたり、その皮を身に纏(まと)ったり、その胆嚢(タンノウ)を文字どおりに、熊胆(くまのい)と称して胃腸薬にしたり、したことがあったであろうか。あるいは、熊の膏(あぶら)が膏薬(コウヤク)になり、言ってみれば、かつては「家中、みんなで」(?)塗り捲(まく)った「オロナイン(D→H)軟膏」(と言っても、君には分からないかも知れないけれども......^^;)のような役目を果していたり、熊掌(ユウショウ)と言えば、知る人ぞ知る珍味であり、美味であったりしたことを、ほとんど(それとも、まったく)君は知っていないに違いない。

僕の場合も、似たり寄ったりである。でも、例えば僕の子供の頃には、プロレスラーのブルーノ・サンマルチノ(「人間発電所」)が、その得意技(必殺技!)の「ベア・ハッグ」(Bear Hug=熊の抱き締め)を連発していたし、あるいは、バリトン歌手の伊東久雄(いとう・ひさお)が『イヨマンテの夜』という歌謡曲(作詞:菊田一夫、作曲:古関裕而)を『紅白歌合戦』(NHK)あたりで歌っていて、これを真似して、子供(要するに、僕)が「イヨマンテ、燃えろ、かがり火~♪」と、やたら大声で叫び続けていたのも、信じ難い話であるが、ごく普通の、日常の光景であった。しかも、この「イヨマンテ」がアイヌ語であって、いわゆる熊祭(くままつり)や熊送(くまおくり)の儀式のことを意味していたことは、この歌の歌詞を通じて、当時は子供でも、知っていたことになるであろう。

簡単な説明をしておくと、この儀式では北海道に棲息している、羆(ひぐま=緋熊)が主役である。羆は一般に、どうやら冬眠中に母熊が子熊を1匹から4匹、平均して2匹を出産するようであるが、羆猟が行なわれるのは、ちょうど、その時期に当たる。そこで、猟が上手く行くと、冬眠中の母熊は殺され、その時点で食べられることになるが、一方の子熊の方は殺されず、人間の子供と一緒に飼育され、1年から2年を経て後、その子熊を殺し、食べ、ふたたび熊(と言うよりも、神)の世界へと、その魂を送り返すための儀式が待ち構えている。なお、この「イヨマンテ」の祭は、僕が生まれた年――昭和30年(1955年)に「野蛮な行為」として、当時の北海道知事の通達で禁止されていたのであるが、近年(平成19年・2007年)になってから、この禁止は撤廃されるに至った由(よし)。

と言うことは、僕も少年時代に舞い戻り、もう一度、あの「アーホイヨー、アーホイヨー、イヨマンテ~♪」と声を張り上げることが叶うのか知らん。......と言うようなことを考えていると、熊と人間の間には、宗教や芸能や、政治や経済や、より現代風に言えば、生命倫理や環境倫理をも巻き込んだ、お互いが共に、生き物(creature=被造物)であることへと深く問いを発せざるをえない、暗い、繋がりと隔たりが見えてくる。その意味において、君が仮に、あの「リラックマ」(Rilakkuma)や「くまモン」(KUMAMON)や、あるいは「テディ・ベア」(Teddy Bear)や「クマのプーさん」(Winnie-the-Pooh)の愛好者であったとしても、やはり君は再度、僕が次に掲げるような、正岡子規の俳句に姿を見せている、熊への目線を、また、ひるがえれば人間への目線を、忘れてはならないのである。

 

穴熊の 耳にしぐるゝ 夕(ゆふべ)哉

檻(をり)古りぬ 熊の眼(まなこ)の すさましく

うつむいて 谷みる熊や 雪の岩

冬枯(ふゆがれ)や 熊祭る子の 蝦夷錦(えぞにしき)

雪解けて 熊来(こ)ずなりし 孤村かな

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