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熊野学事始(第四話)――「教養」の来た道(99) 天野雅郎

今回も前回と同様、僕は君に、熊(くま)の話を聴いて貰(もら)いたい。が、熊と言っても、これが単純に動物の熊のことを指し示しているとは限らない。論より証拠、恒例の『日本国語大辞典』(2006年、小学館)で「熊」の語を引くと、そこには前回の第一の語釈(①クマ科に属する哺乳類の総称。体は〔、〕よく肥え......)に続いて、次のような三つの語釈が並べられていて、この語が熊の他にも、いろいろ人間に対して、これまで面白い(?)使い方をされてきた語である点が分かり、興味深い。順番に挙げておくと――「②毛深いこと、また、毛深い人をいう。③劇場で、前に鉄柵(てっさく)のある立見席にいる観客。おり〔檻〕の中の熊と似ていたところからの称。立見。大向う。④髪が〔、〕のびたのを表現するため、鬘(かつら)の月代(さかやき)の部分に〔、〕はった熊の毛」。

第四の「熊」については、例えば歌舞伎に「百日(ひゃくにち)鬘」と呼ばれる鬘があって、この鬘を被っているのは大抵、悪人と相場(ソウバ)が決まっており、さしずめ盗人(ぬすびと→ぬすっと)か罪人(訓読→つみびと、音読→ザイニン)の証(あかし)であることを、君は知らなかったであろうか? 知らなかったとしても、この鬘が大百日(おおびゃくにち)や五十日鬘という変形(ヴァリエーション)を伴い、いわゆる時代劇の中で俳優が、それこそ「逆熊」(さかぐま)姿の浪人や、あるいは「熊百日」姿の山賊の格好をして登場していたことを、君は気が付かない間に、きっと目にしたことがあったに違いない。いちばん有名なのは、おそらく『楼門五三桐』(さんもんごさんのきり)の盗賊、石川五右衛門(いしかわ・ごえもん)あたりであろうか。......「絶景かな、絶景かな」。

このようにして振り返ると、そもそも熊とは人間の目から見た時に、その「毛深い」状態を第一の特徴とする動物であり、その意味において、そのまま獣(けもの=毛物)の代表であったことが分かる。このような「熊」の使い方には、例えば熊女(くまおんな)という語があり、ふたたび『日本国語大辞典』を引くと、そこには「全身に毛の生えた女。毛深い女。俗に熊の生まれ変わりだといい、見世物にした」という物騒な語釈が掲げられた後、用例(熊女/ありのよごしを/喰いたがり)に挙げられているのは、江戸時代の中期、宝暦9年(1759年)の雑俳(『川柳評万句合』)である。と言うことは、このような形で江戸時代には、動物の熊と同様、人間の「熊女」が見世物(みせもの=店物)にされ、これを「熊公八公」(くまこう・はちこう)が見ていた、と言うことになるであろう。

が、こちらの「熊さん八(はっ)つぁん」の場合は、必ずしも「毛深い」状態を指し示しているとは限らず、むしろ古典落語に登場する「熊五郎」と「八五郎」の性格(キャラクター)の通りに、前者であれば乱暴者を、後者であれば粗忽(ソコツ)者を、それぞれ表現しており、言ってみれば、無知で呑気で、おっちょこちょいの、まさしく「脳天(=能天)熊」のごとき人物であったことになる。要するに、このようにして江戸時代には、すでに熊が人間の身近な存在になると共に、どうやら『日本国語大辞典』によると、今度は逆に人間が「けだもの」と化し、そこから「人間の〔、〕もっている信義、情け、理性などが無い生き物の意」を得て、このような「人間的な情味のない人を〔、〕ののしり、あざけって」使うためにも、この「けだもの」という語が宛がわれるようになった次第。

ところで、このようにして熊が人間の身近な存在になるに連れて、例えば元来、それ自体が動物の、熊の手を指し示す語であったはずの「熊手」(くまで)から、君や僕も知っている、あの竹製の「熊手」(=熊手箒)という道具が姿を見せたり、これが後々、今度は年の瀬の「酉(とり)の市」で売り出され、例の「商売繁盛」の縁起物として、大判・小判や宝船や、その上に「おかめ」(阿亀=阿多福→おたふく)の面まで飾り付けた、縮小模型(ミニアチュア→ミニチュア)の「熊手」へと姿を変えたりするのであるから、これは何とも、人間の奥深い性(さが=相)を露呈していて、興味は尽きない。おまけに、ここから人間は続けて、さらに「熊手性」(くまでしょう)や「熊手婆」(くまでばば)という語まで産み出すのであるから、恐入谷鬼子母神(おそれ・いりやの・きしもじん)。

もっとも、これは「熊手」が当初、一方で「熊の手を連想させる鉄の爪を棒の先につけた長柄〔ながえ〕の道具」(『日本国語大辞典』)のことであり、これが平安時代以降、結果的に武器(!)として使われてきた経緯を踏まえておかないと、ここから「熊手」が欲深い、欲太(よくぶとり)の、強欲(ごうよく)な人間――すなわち、欲張(よくばり)や欲欲(よくぼり)のことを意味するようになった経緯は、よく理解できないに違いない。それと、この武器を好んで使ったのは水軍であり、ここから君が「熊野水軍」や、あるいは弁慶(=武蔵坊)の「七つ道具」を連想してくれるのであれば、この上なく、僕は嬉しいけれども、その話は当面、別の機会に譲ることにして、僕は前回と同様、君の道案内役も兼ね、正岡子規(まさおか・しき)の以下の俳句に、ご登場を願うことにしよう。

 

白砂(しらすな)に 熊手の波や ちり松葉

熊手持つ 女案内(あない)す 菌狩(きのこがり)

畦道(あぜみち)や 月も上りて 大熊手

お酉樣(とりさま)の 熊手飾るや 招き猫

酉の市 小(ちさ)き熊手を ねぎりけり

 

なお、このような「熊」の使い方の他にも、さらに「動植物名の上に付けて、形が大きいこと、力が強いことなどを〔、〕あらわす」用法が「熊」にはあって、これまた『日本国語大辞典』には、君にも馴染みのある「熊蝉」(くまぜみ)や「熊蜂」(くまばち→くまんばち)や、あるいは「熊笹」(くまざさ)の例が挙げられている。また、このような使い方をする「熊」には、例えば啄木鳥(きつつき)の仲間で、字面の通りの「熊啄木鳥」(くまげら)がいるが、この鳥は前回、君に紹介をしておいた、アイヌの「イヨマンテ」(熊祭)とも関わりのある鳥であり、この鳥は人間に熊の居場所を教え、そこに人間を導いてくれる、人間にとっては有り難い、熊にとっては有り難くない、要するに、有難迷惑(ありがためいわく)な鳥にされてしまっている。当然、人間の思惑(おもわく)によって。

ついでに、ここでも正岡子規の俳句の中から、このような「熊」の使い方の典型的な例として、以下に「熊笹」と「熊蜂」を吟じたものを、並べておきたい。もちろん、いわゆる「熊笹」(=隈笹)は俗称であって、そこには実際、多くの種類の笹が含まれているけれども、君や僕には粽笹(ちまきざさ)と言い換えた方が、よくイメージは湧いてくるのではあるまいか。とは言っても、ひょっとすると君が粽(ちまき=茅巻)の方も、まったく「お手上げ」の状態なのであれば、それは「万事休す」(『宋史』)と言わざるをえないが、せめて僕は君の口から、あの「柱の傷は、おととしの、五月五日の背(せい)くらべ、粽たべたべ、兄さんが......♪」と、この『背くらべ』(作詞:海野厚、作曲:中山晋平)の歌が流れ出すことを祈り、信じつつ、また次回へと、今回の話題を繋ぐことにしよう。

 

魚棚(うをだな)に 熊笹青き 師走(しはす)哉(かな)

熊笹の 緑にのこる 枯の〔=枯野〕哉

梅白く 散るや熊笹 古禿倉 〔※〕

熊蜂の ふし穴のぞく 日和(ひより)哉

熊蜂の 巣を打落(うちおと)す 恐(おそれ)哉

 

〔※〕「古禿倉」は、そのまま「ふるほくら」や「ふるほこら」と読むのであろうが、あえて「ふるかぶろ」や「ふるかむろ」と読む方が、この句の雰囲気は伝わってくるのかも知れない。いずれにしても、この語が「神倉」(ほくら→ほこら)や「神」(かみ→かむ)と通じ合う語であることは、見逃されてはならない。

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