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GOOD-BYE(グッド・バイ) ――「教養」の来た道(15) 天野雅郎

太宰治の『グッド・バイ』は、すでに前回の末尾で、君に伝えておいた通り、この作家の遺稿(posthumous work)に当たっており、もともと『朝日新聞』に80回に亘って連載される予定であったものが、彼の自殺……と言うよりも、その名の通りの「心中」(double suicide)によって、絶筆となり、未完となってしまったものである。したがって、この遺稿が後日、日の目を見るに至ったのは、昭和23年(1948年)7月号の『朝日評論』誌上であり、そこには第1回の「変心(一)」を皮切りにして、第13回(!)の「コールド・ウォー(二)」に至るまで、いかにも思わせ振りな回数で途切れたまま、この作家の手を離れて、放り出されてしまった原稿の全文と、いまだ存命中であった彼が、連載の開始に当たって『朝日新聞』に書いた、以下のような「作者の言葉」が収められていた。

唐詩選の五言絶句の中に、人生即(ママ)別離の一句があり、私の或る先輩はこれを「サヨナラ」ダケガ人生ダ、と訳した。まことに、相逢つた時のよろこびは、つかのまに消えるものだけれども、別離の傷心は深く、私たちは常に惜別の情の中に生きてゐるといつても過言ではあるまい。(改行)題して「グッド・バイ」、現代の紳士淑女の、別離百態と言つては大袈裟だけれども、さまざまの別離の様相を写し得たら、さいはひ〔幸ひ〕。(『太宰治全集』第10巻)

なお、ここで太宰治が「唐詩選の五言絶句の中に、人生即別離の一句があり」と書いているのは、中国の唐の詩人、于武陵の『勧酒』のことであり、この詩人は中国の、官吏登用試験である「科挙」に合格し、いわゆる進士となった人物であるが、それにも拘らず、その栄達の道を捨て、当時の「教養」の象徴(シンボル)であった「書」と「琴」を携えて、諸国放浪の旅を繰り返した、かなり風変わりな人物でもあった。また、続けて太宰治が「私の或る先輩はこれを「サヨナラ」ダケガ人生ダ、と訳した」と書いているのは、実際に彼の先輩――むしろ、彼の文学上の師であり、恩人でもあった、井伏鱒二が随筆(「中島健蔵に」)の中で試みた、この漢詩の翻訳であり、その翻訳の見事さは、ぜひ君にも『井伏鱒二全集』(第9巻)の該当箇所を見て、じっくり味わって欲しい限りである。

勧君金屈巵  コノサカヅキヲ受ケテクレ

満酌不須辞  ドウゾナミナミツガシテオクレ

花発多風雨  ハナニアラシノタトヘモアルゾ

人生足別離  「サヨナラ」ダケガ人生ダ

ちなみに、この漢詩は私たちの国で、これまで次のような読み下し文で親しまれ、今に至っている。そこで、その普通(?)の翻訳を以下に掲げ、合わせて少々、注釈を添えておくと、まず起句(第一句)の末尾の「金屈巵」は「きんくっし」と読み、これを文字通りに金の器と受け取れば、そこには屈曲した、丸い把手(とって)の付いている、豪華な盃(さかづき=酒杯)が姿を見せる。そして、その盃に満々と酒を注ぎ、今しも詩人は友人と二人で乾杯の真最中のようである。さらに、転句(第三句)と結句(第四句)は「風雨多く」や「別離足(おお)し」と訓読する場合もあるし、人生には音読(ジンセイ)よりも「人生まれて」や「人生きては」を宛がって、そこに対句の修辞(レトリック)を利(き)かせたり、さらに「別離足(み)つ」という読み方をしたりすることもある。-

君に勧(すす)む 金屈巵

満酌(まんしゃく) 辞するを須(もち)いず

花発(ひら)いて 風雨多し

人生 別離足(た)る

さて、このような漢詩と、その翻訳(translation)に導かれつつ、太宰治は『グッド・バイ』を構想し、そこに「現代の紳士淑女の、別離百態と言つては大袈裟だけれども、さまざまの別離の様相を写し得たら、さいはひ」と、実に茶目っ気のある文章を書き記しておきながら……それとも逆に、そのような「別離百態」の一態として、彼は玉川上水に入水自殺をし、しかも、それが一見、相手の女性(山崎富栄)との「心中」なのか、はたまた「無理心中」なのか、よく判断の付かないまま、その遺体は一週間後、ちょうど彼の満39歳の誕生日(6月19日)に発見され、彼の生前の願いを叶えるべく、その墓は東京の三鷹の禅林寺に、彼の敬慕する森鷗外の墓と向かい合って建てられている――と、このような記述が太宰治の文献や資料を読んでいると、必ず君の目には留まるはずである。

僕個人は、そのような太宰治の死の経緯(いきさつ)について、ことさら今回、君に話をしておきたいことが、ある訳ではないが、そもそも太宰治が『グッド・バイ』という表題で、当時の男女の、と言うよりも、広く日本人の「別離の様相」や「別離の傷心」を表現しようとしていた点については、それ相応の興味が湧かない訳ではない。何故なら、もともと英語の「グッド・バイ」(Good-bye)が現在の、このような綴り方をするようになったのは、僕の手許の『英語語源辞典』(1997年、研究社)を引くと、どうやら16世紀の後半(厳密に言えば、1573年)以降のことであり、それが一般化をするのは、さらに百年以上の時を経た、18世紀を待たなくてはならず、それ以前にはGodbuyやGodbwyeという綴り方が、むしろ本来の語形として、ごく当たり前に用いられていたからである。

と言うことは、このような語形において共通に、揃って顔を覗かせている、これらの語の頭に冠せられているGodこそが、遡れば「グッド・バイ」という言い回しの原点であり、原理であったことになるのであって、君も手近にある英和辞典を繙(ひもと)けば、そこにはGod be with yeやGod be wy youといった、この語の古い言い回しが、きっと紹介されているに違いない。言い換えれば、このような古い言い回しを縮め、短くした上で、それぞれの頭に冠せられていたGod(神)を、この語と綴りも、発音も似ているGood(善)に置き換えたのが、そもそも「グッド・バイ」という言い回しの正体であり、それを強いて日本語に置き換えるとすれば、そこには「神が、あなた〔がた〕と共に、あらせられますように」という、神(God)への信心深い、祈りと願いが浮かび上がってくる。

この程度で、もう説明は充分であろうが、次に少し、僕の手許の『英語語源辞典』の助けを借りて、この「グッド・バイ」の成り立ちに関して、補足を加えておくと、どうやらGodがGoodに姿を変える背景には、以下の三つの理由を指摘することができるらしい。第一に、まずGodという名を口にすることへの憚(はばか)りであり、これは特に清教徒(ピューリタン)の、まさしく潔癖(ピュアー)な態度に由来しているようである。第二に、同じ別れの挨拶であるGood dayやGood nightが、この語の誕生に際して及ぼした、かなり明瞭な影響である。第三に、この語にはGod buy you――「神、汝〔ら〕を贖(あがな)い給え」という言い回しが、直接の起源として存在しており、とりわけ「グッド・バイ」の「バイ」は、このbuyから来たものと見なして、差し支えがないらしい。

ともかく、このようにしてGodがGoodに姿を変えるのは、ほぼ17世紀の中盤の出来事のようである。そして、そのようにして成り立った「グッド・バイ」を、やがて私たちは明治時代(厳密に言えば、江戸時代の最末期)になって輸入し、この語を結果的に、神とも善とも無関係に、無頓着に扱い、この語の背後に厳然として、GodやGoodが控えていることには、まったく意を注ぐには至らなかったのが実情である。とは言っても、そのこと自体に私たちの、責任(responsibility=義務履行能力)が問われている訳では、さらさら無いが、ひょっとすると太宰治には、そのような応答(response)を企て、しかも、その企て自体に躓(つまず)き、悩む、ある種の生真面目さが備わっていたのではなかろうか……と考えると、僕自身は実に、遣(や)り切れない気分に浸らざるをえない。

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