ホームメッセージ「教養」の来た道(1) 天野雅郎

メッセージ
メッセージ

「教養」の来た道(1) 天野雅郎

 「教養」って、何?――と訊(き)かれたら、例えば君は、どのように答えるであろうか。この問いを前にして、いくら君が頭を捻(ひね)り、答えを見つけ出そうとしても、埒(らち)が明かない。何故なら、この「埒が明かない」という言い回しの意味を考えて、いくら君が頭を捻り、答えを見つけ出そうとしても、その「埒」という語の成り立ちを知らなければ、君は何時まで経っても、これが「馬場の周囲に設けた柵」(『日本国語大辞典』2006年、小学館)であり、それが広く「物の周囲に設けた柵」となり、さらに「転じて、物事の区切り。適当な範囲。また、物事に結末をつけること」を意味するようになった次第など、分かるはずがないからであり、また、そこから翻って「埒が無い」という言い回しが生まれた経緯も、分かるはずがないからである。

「教養」も、まったく同じである。なるほど、君にしても僕にしても、この「教養」という語を知っているし、そうであるからこそ、この語を使うこともできれば、この語の意味も、ある程度までなら理解している、と言えるのかも知れない。けれども、それは個人的に、この「教養」という語について、君や僕が考えたり、思い付いたり、感じ取ったりしている何か……に過ぎないのであって、それが結果的に、君と僕の間に会話を成り立たせ、いわゆる「コミュニケーション」を可能なものとするのか、どうかは保証の限りではない。ちなみに、この「コミュニケーション」という語にしても、その意味を知った上で、この語を君が使い、この語の不当な、昨今の使用法によって、君が傷ついたり、悩んだりしていないのであれば、幸いであるが。

さて、このようにして「教養」とは何か、という問いを前にして、真っ先に打(ぶ)ち当たるのは、日本語の壁である。そこで、これから僕は君と一緒になって、この「教養」という語の成り立ちを尋ね、この語によって君が壁に打ち当たり、その壁の前で立ち往生をして、途方に暮れてしまうことがないように、また、場合によっては逃げ出したりすることがないように、その「露払い」の役を引き受けよう、と思っている。もっとも、その「露払い」とは相撲の土俵入りで、太刀持ちと共に横綱の前後に付き従う、あの「露払い」のことではなく、もともと「蹴鞠(けまり)」で「まず鞠を蹴って、懸(かかり)の木の露を払い落としたこと。また、その役の人」(『日本国語大辞典』)であったことを、想い起こして貰えると有り難い。

――と、このようにして僕は、この場で二度も三度も、しつこく日本語の辞書(ディクショナリー)を引いているが、それは君が、このような行為を蔑(ないがしろ)にし、手抜きをすると、たちまち君の頭は働かなくなり、それに伴い、君の心も存分に羽ばたくことを知らないままに留まるからであるが、この点については追い追い、君に伝えることにして、そろそろ「教養」の語の詮索を始めておかないと、残りの紙幅が足りなくなってしまうから、ここでも『日本国語大辞典』を手に取って、さっそく「教養」の項を引いてみよう。すると、そこには幾つか、この語が私たちの国において、どのような形で成り立ち、今に至っているのかを解き明かす、重要な指摘が含まれているのが分かる。そして、それが大きく、以下の三点に要約されうることも。

第一点目。まず「教養」という語は元来、日本語(と言うよりも、和語)ではなく、中国語(と言うよりも、漢語)であり、その意味と用法は現在の、ほとんど「教育」と等しいものであった、という点である。ただし、そのようにして用いられていた「教養」は、結果的に「日本語として定着せず」、古代の用例(例えば『日本書紀』)を別にすれば、この語が再び姿を現すのは、驚くべきことに近代に入ってからのことであり、その初出は、中村正直訳の『西国立志編』(1870年)であったらしく、そこから「教養」という語が「明治初期に、近世中国語の影響で、英語education・educateの訳語として中国から伝わったものであろう」という推測も導き出されうる。その意味において、そもそも「教養」という語は外来語であり、翻訳語であったことになる。

第二点目。ところが、そのような「教養」の成り立ちとは別に、私たちの国では中世を通じて、この語が「死者の後世を弔(とむら)う」ことを意味し、それが「孝養」の別表記として使われ続けていた、という点も見逃されはならない。もちろん、その際の「孝養」は「コウヨウ」と音読するのではなく、そのまま「教養」と同じ音(「ケウヤウ」)を宛がい、さらに「供養」(ケウヤウ)とも通じ合いながら、そのまま祖先の供養(「クヤウ」)を営むことを指し示していたが、これが中世の後期になって、いわゆる「親孝行」に当たるのが「孝養」であり、祖先の供養に当たるのは「教養」である、という分化を遂げたようである。いずれにしても、このような「教養」の語義は現在の、私たちの「教養」の語義とは大幅に、その意味を違えるものであった。

第三点目。以上の二点から、現在の「教養」の語義は逆に、近代以降――それも「大正時代以降」になって、どうやら使用され始めたものであるらしい、という推測が成り立つ。残念ながら、その使用開始の時期については、いまだ定説を見ないが、大正時代は西暦に直せば、1912年から1926年に当たっており、ちょうど今から百年前に始まっている。と言うことは、この場で僕が「教養」のことをアレコレと考え、書き、その過去や未来や、何よりも現在を、君と共に語り合っていくことには、実は百年、要するに、一世紀に亘る時間と、その時間の中を生き、それぞれの幸福を願った、多くの人の声が谺(こだま)していることになる。そして、その谺(=木霊、木魂、木精)を、この場を通じて僕は、君に送り届けたい、と願っている。

理由は簡単である。たとい――本当は漢字で「仮令」や「縦令」と書いて、そこに「たとひ」という訓読を施したいのが、山々ではあるが、これまで君が「教養」という語を使い、この語に対して、どのような意味を宛がってきたとしても、そこには必ず、君の「幸福」への願いが込められていたことを、見過ごして欲しくはないからである。言い換えるならば、これから僕は君と一緒になって、そのような「教養」への問い掛けを始めるが、それは一方において「教養」への問い掛けでありながら、もう一方においては「幸福」への問い掛けでもあることを、ここに銘記しておきたい。そして、この出発点を忘れて、僕が心無い寄り道をしたり、情無い抜け道をしたりすることがないように、君は僕を、しっかり見守るのが務めである。

教養の森に関するお問い合わせはこちらまで 和歌山大学学生センター 学務課

| 所在地:〒640-8510 和歌山県和歌山市栄谷930 | 電話番号:073-457-7130 |

Copyright ©2012 - 2017 Wakayama University