和歌山大学システム工学部橋本研究室
LAST UPDATE 2006.04.22

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橋本の写真館 その2
ウメオ(Umeå) 冬景色
スキャンのため画質がかなり悪くなっています。ご了承ください。
なぜか夏の写真が余りたくさん手元に無く、冬の写真ばかりでした。
そのため、このページはウメオ冬景色にします。夏景色は、またそのうち。
なお、夏景色は、写真集の2000年ウメオ訪問第9回北欧錯体化学会議のページをご覧下さい。
2006年ウメオ訪問にも、多少の夏景色があります。
現地では、「夏」は日平均気温が10度以上の季節、「冬」は日平均気温が0度以下の季節を言います。
まずはちょっと長い文章から始めます。情報は一部古いかもしれません。
文章を読むのは面倒くさいという方は、こちらの写真からご覧下さい。

ウメオ(Umeå)について
ウメオ(Umeå)は、スウェーデン北部Västerbotten(西ボスニア)地方の中心都市であるとともに、北部スウェーデン全体の中心都市でもあります。人口は10万人程度ですが、北部(西ボスニア・北ボスニアNorrbotten地方)では人口が最も多い市です。 北部スウェーデン全体で人口100万人くらいです。北緯は約64度ですから、アラスカの中部、カナダ北部、シベリア中部と同じくらいです。稚内よりも20度くらい北になります。北極圏までは、200 km強あります。トナカイがその辺を歩いていたりもします。よく車と衝突し、トナカイも車ものびていることがあります。 冬は結構寒くなりますが、夏はそこそこ暑くなります。街の周囲は深い森に囲まれています。治安はことのほか良く、街中やパブ(Umeåに行かれる方、ぜひパブに行ってみてください)で荷物や上着を置きっ放しにしても無くなることはありません。日本よりも安全ですね。 北極圏に近いため、冬は結構寒くなるのと、何と言っても「暗い!」のですが、きわめて住みよい町です。ただ酒屋(Systembolaget)は3軒しかないので、飲兵衛には酒の調達が大変かもしれません。

町は1888年に大火に遭い、町の中心部を殆ど焼失しました。下に出てくるLars Färgares Gårdは、街中にありながらそのときの火災を免れた建物で、後にGammliaに移設されました。大火の後、街には多くの白樺が植えられ、今では「白樺の街(Björkarnas Stad)」とも呼ばれています。 夏休みや土日・祝日には閉まっていることで有名だった観光案内所には、白樺の樹液から作った飲み物も売られています。かつては川を使った水運が盛んでしたが、いまでは古い倉庫などだけがその面影を伝えています。氷河期の氷がなくなった後、重しの無くなったスカンジナビア半島はずっと隆起を続けているため、水深が浅くなってしまったのだそうです。

ウメオの街では、ヨーロッパ国道E4(ポルトガルからヨーロッパを縦断し、ボスニア湾をぐるりと回ってフィンランドに至る)とE12(フィンランドからスウェーデンを横断してノルウェーに至る)が交差しています。 E12は、フィンランドのヴァーサ(フィンランド名Vasa、スウェーデン語名Wasa、デンマークによる北欧全体の統治からスウェーデンを'独立'させた、現体制の最初の国王Gustaf Wasaに因む)から、Umeå郊外のホルムシュンド(Holmsund)まではボスニア湾を横切るフェリーになります。ボスニア湾は冬季にはほぼ完全に凍結するため、砕氷船も活躍します。 かつて、スウェーデンとロシアが戦争したときには、ロシア軍の兵士や騎馬隊が凍結したボスニア湾の氷の上を渡って進軍してきたそうで、それに因む石碑がやはりUmeå郊外のSävarにあります。また、最近は温暖化のため湾中部の氷が薄いので無理ですが、かつては凍結したボスニア湾を自動車で渡ってフィンランドと行き来できたそうです。 ボスニア湾は、UmeåとWasaのところでちょうど括れた形になっているので、そうしたことができたのでしょう。

Umeåは音楽事業にも大変力を入れており、クラシック系の室内音楽祭や世界的に有名なジャズフェスティバル(あいにく、どちらも聴きに行ったことはありませんが)が開催されます。もちろん、街のオーケストラやオペラ団もあります。

北部スウェーデンに特徴的な食べ物としては、何と言っても世界最強といわれる悪臭を放つ「Surströmming」があります。確かに臭いはきついですが、食べると塩味が利いて美味であり、特に現地の酒「snaps (aquavit)」に良く合います。ちなみに、イオウ系の臭いがするので、日本のくさややフナ寿司とは別系統です。 私は大好物で、しばらく食べないと禁断症状が出ます。私は何も添えずに箸でつまんでそのまま丸かじりするのが好きですが、一般には白たまねぎの刻みや以下に述べるアーモンドポテト、場合によってはサワークリームを添えて食べます。現地人はナイフとフォークで上手に(?)骨やワタを取り除くのですが、ちょっともったいなく思いました。 また、世界でこの地方だけ、それもたった一つの工場でだけ生産される、長期熟成されたヴェステルボッテンチーズ(Västerbottensost)は際立って美味で、そのまま食べても良し、料理に使っても良しです。ただしばしば品薄になり、ストックホルムでも入手しづらいだけでなく、Umeåでも手に入りにくいことがあります。 スウェーデンでは北部でのみ栽培されるアーモンドポテト(Mandelpotatis)も際立って美味で、現地でのディナーやパーティーは、このジャガイモなしでは考えられません。スウェーデンの、特に北部では、インドのナンにも近い薄く焼いたパン、特に、パリパリに焼いた薄いパンHårt tunnbrödも特徴的です。 薄焼きパンは全国で手に入りますが、パリパリに焼いたものは北部でしか手に入りません。魚卵も美味で、鱒の仲間の卵Löjromや、鱸の仲間の卵Sikromは歯ごたえといい味といい絶品です。ただもったいないことに、鮭の卵(筋子やイクラ)や、ニシンの卵(数の子)は特に食べる習慣が無いそうです。 そのほか、ジャガイモの団子に豚のラードをいれたPitepaltなどもあります。このうちいくつかは、上に示した写真集のページで見ることが出来ます。

スウェーデンの特徴的な料理には、焼いたロールキャベツに苔桃のジャムを添える「Kårdolmar med lingonsylt」、クリームを練りこんだ肉団子に苔桃のジャムを添えた「Köttbullar med lingonsylt」、黄色えんどう豆と豚のラードで作ったスープにマスタードとパンケーキを添えた「Ärtsoppa med pankaka」、 塩漬けニシン「Saltsill」、いろいろな肉を混ぜ合わせたソーセージ「Isterband」、アンチョビー・たまねぎ・ジャガイモと牛乳で作ったグラタンもどきの「Jansons frestelse」、鮭のマリネ「Gravad lax」などいろいろあります。また、北海で獲れる甘エビを海水で軽く茹でた「Räkor」や、ザリガニをディル入り塩水で茹でた「Kräfter」は日本人にとってはこの上ないご馳走です。 特に、極めて高価ですが、スウェーデン産のKräfterは美味です。パンとしては、上記の薄焼きパンの他、ライ麦を用いた粗挽きパンもあり、スナック的感覚で食べられます。ああ、禁断症状が・・・

今ではスウェーデンには多くの大学(universitet)がありますが、私のいた当時はUniversitetと名乗ることができるのは7つしかありませんでした。Umeå大学はその一つで、他にはLund、Uppsala、Stockholm、Göteborg、Linköpingがあります(Uppsalaには普通の大学Universitetと農業大学Sveriges Lantbruksuniversitetがあります)。創立は1965年と新しいですが、多くの学部が揃っており、医学部が有名です。 Umeå大学の大学病院は、北部スウェーデンの中央病院としても機能しており、患者を運ぶヘリコプターが頻繁に発着しています。ただ、北部スウェーデンと一口で言っても、日本の本州以上の面積があります。病院には、患者の家族など世話をしたり見舞ったりする人のためのホテルも併設されています(Hotell Björken、白樺ホテル)。 かつては大学とも宿泊契約をしており、大学を訪問する人たちも比較的安価で宿泊できました。2000年ウメオ訪問のときには、私も同行した学生諸氏もこのホテルに泊まりました。写真を見ると手に包帯を巻いた学生がいますが、これは実はこのホテルで怪我をしたもので、大学病院で治療を受けたのが印象に残っています。 本人は、彼一流の気遣いから私に気を遣って怪我をしたので、大変申し訳なく思っておりますが・・・

街には、Volvoの工場もありますが、市の最大の産業は「大学」です。Umeå大学には、上述の農業大学の分校も併設されています。私が滞在していた頃(1994-1997)には日本人は殆どいませんでしたが(Umeåに住んでいた日本人は数名程度)、最近では、日本の各大学との交換留学制度も発達し、日本からの留学生も多くなっているようです。 でも、せっかく行っても日本人学生が多いのでは、あまり面白くありませんね。最近、寿司屋も出来たということでただただ驚きです。ただ、私が滞在していたときには、Grönsakshuset(直訳すると「野菜屋」)といういわゆる健康食品店があり、蕎麦やうどん、ジャポニカ米(日本で言うお米、イタリア産やオーストラリア産)のみならず、八丁味噌や合わせ味噌、あらめ、ひじき、 昆布だしなどといったものまで手に入り、ストックホルムにいるよりもマニアックなものが手に入りました。豆腐もあったのですが、割り箸が折れるほどの固い豆腐でした(デンマーク産)。Umeåの人たちに和食を振舞うのには大変良かったのですが、なぜか「だしの素」(かつおだし)は手に入りませんでした。鰹節を使ったものが輸入禁止だった(?)のが不思議でした。



1995年クリスマスの日、正午頃。ウメオ中央駅。
旅客列車は、夜行が一日一往復来るだけです。貨物列車は結構来ます。
大広場より、市庁舎。こちらは後ろ側です。
向こうに川(Ume Älv)が流れていて、そちらが正面です。
ちなみに、市の名前Umeåのåは、「川」の意味です。ウメ川市ですね。
中央駅と市庁舎を結ぶ目抜き通り、Rådhusesplanaden (奥が市庁舎)。
左奥の寒暖計は-23℃を示しています(見えますか?)。
市バスのターミナル Vasaplan。
何枚かの写真で地面に雪が積もっていないのは、
地面を暖めて融雪しているためです。
市の「ショッピング街」、Kungsgatan。スーパーや食堂が並んでいます。
でも、クリスマスでみんなお休み。
手前の広場は、夏には露店でいっぱいになります。
同じくKungsgatan。お昼なのに、人っ子一人いません。
市庁舎Rådhuset前の広場から、Ume川を望む。
これで正午頃です(市庁舎の写真の時計を参照)。真冬の北欧での、
太陽の高さがわかるでしょう。正直、周囲の森にずっと隠れています。
Ume川の対岸から市の中心部を望む。明るさも判りますね。
手前の白いところが川です。全面結氷し、融けだすのは4月以降です。
氷は厚く(岸辺では1 m以上あります)、歩いて川を渡ることができます。
ウメオ大学(Umeå Universitetet)にある、オーロラ(norrsken)の
モニュメント。オーロラは、結構頻繁に見ることができます。
化学科の建物、Kemi HUFO(当時)。
無機化学科は最上階(実は六階)にありました。
オーロラ(norrsken)のモニュメント、少し明るい写真。 学内の池から、大学会館と建物群を望む。
Gammlia、市の野外博物館です。
奥に見える赤い建物(Lars Färgares Gård、色塗師Larsの館)は
展示物ですが、同時に大学のゲストハウスです。
私もここに三年間いました。
建物の後ろ側から。
私の部屋は、向かって右のウイングの二階、右から3つ目と4つ目の
窓のところです。一階の左から二つ目のドアの右側の部屋にも、
少しだけいました。
Gammliaの風景。林の中に、建物が散在しています。
小さな動物園もあります。
ちょっと暗いですが、私の部屋の窓から。上の写真をとりに行く前です。
寒暖計は、やはり-23℃ですね。
Gammlia近くの閑静な住宅地、Haga。 いい町並みです。
夏至(上)と冬至(下)の日の日出・日入の時間です。
夏至の日出は午前02時20分、日没は午後11時02分(23時02分)、
冬至の日出は午前09時33分、日没は午後01時40分(13時40分)です。
大分極端ですね。


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