終了【6/15(水)】第83回わだい浪切サロン「戦前期和歌山における女子教育の歴史」
公開日 2016年05月19日
日時 : 2016年6月15日(水) 午後7時~8時半
話題提供 : 土田 陽子 (和歌山大学システム工学部 特任准教授)
場所 : 岸和田市立浪切ホール 1階 多目的ホール
NHKの朝ドラ「カーネーション」「ごちそうさん」「花子とアン」の主人公たちはみな、少女時代に女学校に通っていました。最近では「あさが来た」の主人公あさの娘も京都の女学校に通っていました。女学校の正式名称は高等女学校といいます。高等女学校は「良妻賢母」の育成を目的とした戦前期を代表する女子中等教育機関です。
今回は、和歌山県の高等女学校を取り上げて、女子教育の歴史についてお話します。みなさんは「良妻賢母」と聞くと、どのような女性を思い浮かべるでしょうか?明治・大正・昭和と、いったいどのような女子教育が行われていたのか、またそれが時代とともにどのように変化したのか、当時の新聞史料や学校史料を提示しながらわかりやすく説明したいと思います。
※事前申し込み不要、参加無料
開催レポート
参加者32名
(概要)
戦前期日本の代表的な女子中等教育機関であった高等女学校。そこで行われた教育を通じて、女子が教育を受けることの意味や意義とはなにか、またそれらは、時代の流れとともにどう変化したのかを追い、戦前期日本の理想の女学生とはどのようなものであったのかを、当時の新聞記事などの史料をもとに学びました。
【近世・明治初期】
江戸時代、学問は男子のものであり、女子にはある程度の読み書き能力と裁縫の技術があれば十分だという認識でした。女性の規範は「三従」(父・夫・子に従う)と呼ばれました。
明治の時代になっても女子教育に対する考えはすぐには変わりません。明治5年に「学制」が発布され、近代学校制度がスタートしましたが、初等教育以上の学校の整備は、男子が通う中等・高等教育機関の制度が優先され、女子は初等教育さえ受けられない者が多くいました。
【女学校のはじまりと制度化】
女学校のはじまりは、開港地と都市部に開かれたミッション・スクール(キリスト教主義の女学校)です。それまでの日本にない、西洋文化と教養を身につけることができる場でした。女子の中等教育は、様々なタイプの私学主導でスタートしました。
高等女学校は、明治32年(1899年)に「高等女学校令」が公布され制度化されます。誰でも通えるような学校ではなく、中流以上の社会階層の女子が通う学校でした。高等女学校に求められたもの(教育目標)は、温良貞淑な「良妻賢母」の育成、でした。
そのため、修身や音楽の時数が多く、家事、裁縫、教育、手芸などの学科目が設けられました。
【和歌山の女学校の例-和歌山高等女学校(和高女)】
●開校当初
開校当初は、入学者数が少なく、中退率も高かったようです。
社会の無理解や教育内容の未整備。女子が女学校教育を受けることの意義がまだ社会に行き渡っていない時代でした。
●大正初期~
女子に対する教育の方針が変化し始めます。
女子教育の中で、①国民的自覚の振興 ②科学的知識の必要性 ③社会への関心・理解 ④体力増進・体位向上など、これまで女子の教育には必要でないと思われていたものが、項目として表れます。しかし一方で、「温良貞淑」という日本女性の美徳は尊重・維持されました。
●大正中期~
西洋スポーツについて取り上げる記事が増えます。様々なスポーツチームができるが、女子は参加できるスポーツに制限がありました。例えば、野球・サッカー・ラグビーなどは女子にとって「女らしさをうしなう」「不妊のおそれあり」などと文部省に通告され、廃部に追い込まれました。
●大正後期、昭和初期~日中戦争まで
大正の後期には、都市部を中心に中学校・高等女学校への受験競争が社会問題化するまでになります。女子もまた男子同様に学力優秀であることが求められるように変化します。
さらに、昭和初期には西洋音楽が、高尚な趣味・情操教育に最適とされ推奨されるようになりました。
日中戦争までには、学校文化の中で求められるものは、女学校がはじまった当初求められたものとは大きく変化してきました。
●戦時体制期
盧溝橋事件以降は、銃後の乙女としての姿が記事にされました。慰問袋づくり・防空訓練、さらには、健康教育の振興、保育所の手伝いまで女学生たちに求められました。
時代とともに、当初は求められなかったような要素が次々と求められるようになってきました。その時々の社会の要請(欧米文化への追随や戦争)に応える形で展開してきており、男子に「勉強・スポーツ・労働力」と単純明快なものが求められたのに比べて、女子は求められるものが多く、複雑になってきた歴史があることがわかりました。
-アンケートより-
・現代の「女性活躍」が、過去の女子教育の流れと最後につながっていておもしろかったです。(40代女性)
・導入のわかりやすい話から入り、イメージをつかみやすいよう工夫されていたのが有難かった。(40代男性)
・戦前から女性の役割は子どもを産み、家を支えていくのが一番であることだったとよくわかりました。大変興味深い内容でした。(60代女性)
・「半辺天」(天の半分は女性が支えるといった男女平等を示唆する言葉)とはいえ、まだまだです。こんな歴史はもっと広報が必要ですね。(80代男性)
■(前回)第82回わだい浪切サロン「非正規雇用と労働法」開催レポート
■わだい浪切サロンについて・過去の開催