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 最近僕は、いろいろなことによく悩む。

まだやっていないことをやろうか悩んだり、やったことをこうすればもっと良かったかなと思ったり。ちょっと前までそんなことはあまりなかったのになぜだろうと考えたときに、より自由になったからではないかと思った。

 中高生がよく、もっと自由になりたいといっているのを聞く。僕もそう思っていたが、その時思っていた自由とは気楽に自分のやりたいようにするようなものだった。でもそれは自由というものの本質が見えていないと思う。自由になればなるほど考えることは増える。

 まず、自由になるということは自分で選択することが多くなる。自分で決めたからにはその決定には責任が生じるわけで、自由≠気楽だと思う。その選択も、選択肢が与えられたうえでの自由ならばまだましだ。選択肢すらも自分で見つけていくほどの自由に解き放たれたなら僕はその自由を受け入れるのかわからない。まあ、そんな自由な状況になったことはないのだが、これから年齢が上がるにつれて僕はより自由になっていくだろう。それは、もっと選択をしていき責任を背負うことになると思う。

 でも、自由というのはその苦悩と責任の上でも何か魅力を感じる。自分で様々なことを考え、決めて、ああすればよかったかなとまた考える。すごく人間らしいと思わないだろうか。敷かれたレールの上をたまにやってくる分岐点だけ選択するより、広い平原を行ったり来たりして自分の見える世界を広げていく。行ったり来たりだから、見過ごしたのならばまた戻ればいい。そう考えると、もっと自由に自分の決定を信じていろんなことをやればいいのではないかと思えてくる。失敗したって、また戻ってやり直せばいい。そうやって豊かな人生ができてくるのではないだろうか。


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