WHO'S WHO 研究者紹介

新理事は、三代目!

天上天下唯我独尊

じいさんが 20歳ではじめた材木屋 世の中に あれば便利を誰より先に 歩みつづけて ふと気が付けば ヤマシン100年 世は令和 母校から 渡してみせます架け橋を 地元につながる 明日への道を

副学長・理事(社会連携)

山本 進三 YAMAMOTO Shinzo

組織は、人がすべてやから。

ヤマシンの来た道を。

家業を継ぐことになるのかな、と勘付いたのは幼少の頃でした。祖父は1922(大正11)年に木材業を興し、日中戦争で木材の仕入れが難しくなっても県外やソ連から独自の買付を開拓した人。父の時代は高度成長期に入り、丸太置き場だった不動産の有効利用に乗り出す多角経営が始まります。

バブル崩壊後に入社した私は、阪神大震災で木材プレカット加工が復興事業として役に立ち始めた96年、27歳で社長を引き継ぎました。

ヤマシン

葛藤と修行、自信と夢。

入社直後は、川に浮かんだ丸太を渡り歩いて「〇」「×」を記していく原木の仕分けが特にキツくて。新卒の若造では社内で相手にされないと気付き、武者修行に飛び出しました。

預かって鍛えてくれる会社を頼り、愛知県の蒲郡へ。何にもない田舎での泥臭い営業仕事。1年で目方を15kg減らし(笑)、根性すわって帰和しました。
あの時の苦しさがあるから今があります。従来の仕事を続けるままでなく、新規事業で成功を重ねてようやく社内で認めてもらえたのかなと思います。

"あたり前の幸せ"がある町・和歌山で、これからも、誰もやっていないことに挑戦します。新しいことには、夢があるから。

役割は、会社でも大学でも同じ。決断して、あとは任せる。

経営者としてのモットーは、人を活かす経営=その仕組みを作ること。

人を育てないと組織は保てません。仕事ができるのは当然として、周りと協調できる真面目な努力家でないと。
上司は部下を"思考停止"に陥らせないことが肝腎です。「責任者として何がしたいか」でなく、「責任者として何をすえうのがベストか」を判断すること。

私自身の強みは、その判断が速いことかな(笑)。整理して管理すればいいのです。
大学の仕事は私にとって「何がベストか」を考えるセクションが1つ増えただけ。和歌山大学には優秀な人的資源が揃っているから、あとは、簡潔な発信ができれば社会連携も進みます。大丈夫、期待してます!

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Profile プロフィール

山本 進三

山本 進三 YAMAMOTO Shinzo

和歌山大学着任 2019年
経歴 1993年に山進商事に入社。1995年より江間忠木材に飛び込み愛知県で修行ののち、1996年、山進商事と経営統合した山本進重郎商店の代表取締役社長を父から引き継ぎ現在に至る。

1968年和歌山市生まれ。中学2年生の時にNECのPC8001を手に入れ、流行していたゲームを“無料で”プレイすべく、愛読していた「マイコンBACICマガジン」を片手にプログラムを独学。

父の憧れであった和歌山大学に進学するが、1年生でハメを外しすぎて24単位しか取れず、2年生から一念発起(2年時に67単位、3年時に44単位を取り、4年時はゼミのみ!)。

研究熱心で有名な小島ゼミに所属し、為替相場予測システムの研究に打ち込んだ。奥様曰く「運転中は態度が悪い」そうで、そっちが本性なのかもと悩んでいる。