WHO'S WHO 研究者紹介

一杯のウォーターから

飲み水の安心・安全を守りたい

自然界では、時間の尺度がとてつもなく長い 環境と向き合う研究には、ゆったりと心を開いて

江種 伸之 EGUSA Nobuyuki

▼土壌地下水汚染--新な環境問題と並走して30年 ▼悠久の自然から、人類の忘れ物を引き取るために

水に呼ばれて? 研究人生の始まりを振り返る

建設会社に勤める父の転勤に伴い、中学2年で枚方市から福岡市へ移った。サッカー部の休憩時間、蛇口から飲んだ水のおいしさにびっくりした。水工土木学科に進み"上水研"に入ったのは、案外そんな理由だったのかもしれない。卒研テーマは、夏の調査で会津若松に行けるという理由で選んだし、学部4年の時に大学院への推薦進学が決まって促されるまま博士課程まで進んだ。将来への不安を知らない、最後のバブル世代だった。

大学入学は1987年。土壌地下水汚染問題は1970年代後半にアメリカで見つかったばかりで、日本では1982年に環境庁が調査を実施。無作為に選んだ全国1500本の井戸水のうち、30%から揮発性有機化合物が検出されて一気に問題化する。地下水に注目した神野健二先生が主幹していた上水工学及び水資源学研究室="上水研"に入った頃は、まだ法整備も全くなかった。

環境問題は、顕在化するのも収束するのも時間がかかる

専門は、水そのものへの化学的なアプローチではなく、サンプルデータの数値解析。汚染水の浄化対策や移動予測など、現象を科学的にモデル化し、シミュレーションで評価する分野だ。卒論が手書きだった当時のスーパーコンピュータは、今のスマホよりも性能が低かったから、まずプログラムが書けることが重要だった。

地下水など環境の汚染は、顕在化した時には既に長い時間が経過していて、浄化もすぐにはできない。10数年前から関わっているのに未だに収まらない事例や、浄化完了が50年後と予測されたケースもある。コンピュータシミュレーションは、現場データの分析だけではできない連続的な解析で原因を探れる。ただし、調査中に汚染が広がるなど、自然相手の研究には不確実性がつきもの。正解がはっきりと見えず、やり方は何通りもある。研究には根気がいる。

世界でも数少ない、水道水が飲める国のこれから

1996年に和歌山へ。国立環境研究所から移ってくる平田建正先生が、土壌地下水汚染の解析ができる助手を探していた。後に豊洲市場の土壌汚染対策の専門家会議で座長を務めることになる平田先生からは、研究だけでなく、行政の委員会などでの振る舞いまで教わり、一人前の研究者として育ててもらった。2011年の紀伊半島大水害に際して、地盤工学会の依頼で専門外の災害調査団の班長を務めた際にも経験が活きた。

四半世紀の間、研究室では、全国から寄せられる地下水サンプルの他に、紀ノ川の水量・水質の分析など地元環境の調査にも取り組んできた。そろそろ社会インフラが更新を迎える時期に差し掛かり、行政の委員会にも力が入る。あと5~6年後もしたら、東日本大震災当時の子どもたちが防災や環境汚染を学ぼうと大学に入学するだろう。はっきりと正解が見えないいくつもの問いを見つめて、粘り強く貢献の道を探りたい。

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Profile プロフィール

江種 伸之 EGUSA Nobuyuki

和歌山大学着任 1996年
学歴 九州大学工学部~大学院 工学研究科 水工土木学専攻
学位 博士(工学)
研究キーワード 土壌地下水汚染、流域水環境、地盤災害
受賞 2011年日本地下水学会・功労賞、2018年地盤工学会関西支部・社会貢献賞(共同受賞)ほか

1969年生まれ。野球、サッカーに続いて大学ではサイクリング同好会へ。全国各地を周り、博多ー鹿児島タイムトライアル320kmは12時間半で走破するなど、一生分の自転車に乗った。ザ・ビートルズを聴いていればとにかく幸せ。ポール・マッカートニーの1990年初来日公演は、福岡ー東京ドームを青春18きっぷで往復。以降、大学教員になって講義と重なった時を除いて毎回参戦している。特に2017年、2列目で味わった感動は忘れられない。どれも好きだが、1曲選ぶならばファースト・アルバムA面1曲目。