WHO'S WHO 研究者紹介

フィールド・オブ・ドリームス ZERO

幸福は あなたに形を合わせます

日本が知らなかった「幸福」の研究を モザイク文化の国から持ち帰った越境者へ はじまりの記録を オフサイドの笛に乗せて

伊藤 央二 ITO Eiji

▼1998 FIFA World Cup FranceからTOKYO 2020へ ▼「スポーツってお金になるんだ!」のサッカー少年を 社会の幸福追求に向かわせた信念の旅

第一章:[順天堂大学] スポーツビジネスから文化比較へ

大学では好きなことを学びたかったから、教養科目ばかりの1年は萎えた。しかし2年生で受講した野川春夫先生の専門科目で覚醒! 3年次は野川ゼミから千葉ロッテのインターンシップに参加する。バレンタイン監督の下で優勝した年で、負けても楽しませるアメリカ式ファンサービスの仕掛けに驚き、アメリカではスポーツ文化に対する考え方が違うと知った。大学の研究は、当時のスポーツビジネスから求められていなかった......でも情報やテータを生みだし、人間がハッピーになるための議論のきっかけにはなる。大学院ではスポーツ社会学の研究を志した。

 アメリカ仕込みの野川先生が連れて行ってくれた北米スポーツ社会学会は転機となった。英語で読んできた論文の筆者たちがフレンドリーに社交を楽しんでいる! 学会文化の違いに衝撃を受けた。翌年はテーマを変え、文化変容について発表した。題材は、群馬県警がブラジル移民向けに開いた柔道教室。日本の子供らと交流し、礼儀をはじめとする日本文化を学んでいく姿を報告した。「理論が古いね」――参考にした野川先生の研究は、80年代アメリカのバスケットボールを通じた移民の社会同化。多民族が溶け合い新たな文化を生み出したメルティングポットの時代から、世界は変容していた。

第二章:[アルバータ大学] 自分なりの幸せとは

2008年、多文化主義の国カナダへ。地元のサッカーチームに入り、今度は自分が移民としてスポーツでの社会参加を体感する。現地で出会ったカナダ人の妻の家族を通して、レジャーに対する文化の違いも肌で学んだ。1年間の語学学習を経て、大学院の入試を突破。指導を引き受けてくれたProf. Gordon J. Walkerは余暇・レジャーの社会心理や文化比較の専門家で、多忙な研究と余暇の楽しみとを両立させる超人。スポーツツーリズムのProf. Tom Hinchともども学ぶところが多かった。研究論文はできるだけ多くの人に読んで欲しい、英語で書くと読者は格段に増える――余暇ではなく、論文を書くという本業が自分にとってのレジャーになった。

第三章:[和歌山大学] 研究×教育という天職を得て

余暇・レジャー分野の大学教員は日本でゼロ人材と考え帰国を決意。しかし、教員経験がない研究者に門戸は狭く、まずは母校でポスドクとして研究を継続した。1年後、縁あって和歌山大学へ。観光学は新しい切り口だったが、日常に根差す"余暇"の中に属している"非日常の体験"と捉えた。スポーツは、する人よりも見る人の方が圧倒的に多い。彼らの幸福を追求すべく、様々なスポーツイベントの研究に取り組んだ。地元の「ねんりんピック紀の国わかやま2019」や「ワールドマスターズゲームズ2021関西」、国内外のマスターズゲームの比較......学生たちと一緒にアンケート調査を実施し、施策を提案した。ゼミ生たちは次々に受賞した。

思いがけないことに、教育がすごく面白い。和歌山大学の学生たちは素直で熱心で吸収力が凄い。若者たちとの時間が何よりの財産となった。今後は、スポーツをはじめ余暇と幸福の関係を、心理学的な実験によって科学的に明らかにしたい。そのための新天地で、研究者としての第四章が始まる。

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Profile プロフィール

伊藤 央二 ITO Eiji

和歌山大学着任 2015-2021年
学歴 順天堂大学 スポーツ健康科学部(スポーツマネジメント学科)~同大大学院 スポーツ健康学研究科(スポーツ社会学領域)、アルバータ大学 体育・レクリエーション学部
学位 PhD/修士(スポーツ健康科学)
所属学協会 観光学術学会/日本体育学会/日本生涯スポーツ学会

1983年東京都出身。"若者が住みたい街“吉祥寺で3歳から過ごす。順天堂大学は1年目が全寮制で、医学部4人を含む16人で2人部屋生活を送った。その年に50単位を履修するも面白いと思えず、体育教員を視野に仮面浪人。学芸大学の面接でサッカー部の顧問に扮するよう言われ、チームの勝利に際して負けた相手を思いやらない態度をなじられ不合格に。ブラジル移民を研究した柔道教室では黒帯を取得。小学校から始めたサッカーでは攻撃手。贔屓は浦和レッズ。