WHO'S WHO 研究者紹介

君住む街角

“まちづくり”に向かうとき 思いを馳せる土地がある

世界中の中心市街地を巡る研究には、 知られざる原点があった。 活性化とは。いま、経済学が提案しなきゃいけないこととは—―。

足立 基浩 ADACHI Motohiro

▼「日本にとって、地方が答えですから」 コロナ後の時代を、データサイエンス×経済学で迎え撃つ!

入口は土地経済学――バブル期の東京で地価高騰を考えた

 半ズボンで駆け回った近所の空き地が、ある日突然、森になった。東京ディズニーランドだった(1983年)。続いてやってきたバブルの時代、大学で土地の研究を始める。農地の税金を調べて気付いた。「家が買えなくなった原因は、バブルでなく非効率な土地利用にあるのでは? 都市部の4割を占める未利用地等を住宅地に転用すれば......」人間が暮らす都市空間をどう最適にもっていけるか、新聞記者では答えにたどり着けそうになかった。1年で辞め、イギリスへ渡る。

理想の街ケンブリッジ――
イギリスの法整備と、揺るぎない個人主義・功利主義

 留学したケンブリッジの街の商店街が理想だと言う。町全体が大学みたいな学園都市は、観光客も交えて賑やかだ。郊外に大型スーパーができても中心街に人が集う背景には「中心部が栄えている場合のみ郊外への出店可」という法律があった。憲法を持たず、判例法や行政法によって時代ごとに自分たちで対処してきたイギリス人らしい知恵で、中心部の競争力を維持していた。「エリザベス一世とジョン・ロックの国ですからね(笑)」

 そんな街ですれ違いざまに道を尋ねたのが、和歌山大学からイギリスに来ていた在外研究員の先生だった。2年後、経済学部の助手として和歌山へ。生粋の都会っ子も、牧歌的な英国生活を経由したおかげかすんなり馴染んだ。そこには、釣り好き垂涎の川と海はもちろん、人と人とが認識し合える適度な距離感(ヒューマンスケール)があった。

否応なく進むIT化と、エリアマネジメントの実験

 今いちばん気になるのは、街の商売のことだ。「研究の原風景はたぶん、夏に帰省していた祖母の家。昔ながらの商店街にある呉服屋なんです」まぶたに残る滋賀県長浜市の近年の中心市街地の歩行者交通量は当時(30年前)25倍、200万人を集客する街に成長してきた。しかしこれから恐ろしいスピードでIT化が進み、商店街も少しずつデジタル化せざるを得ない。コロナ禍でできた時間でAIの勉強に打ち込んだ。今後の社会科学に必要な技術だ。県下にはデータ利活用推進センターも来てくれたし、これまでの統計学に加えてデータサイエンスを用いて社会的に意味のある数字を出していきたい。もう一つ注力しているのが、ここ数年増えつつある"エリアマネジメント"の分野。皆でお金を出し合ってエリアを活性化させるという取組で、民間が公的なことにまで進出し始めている。京都大学や国交省と一緒に調査を重ね、いよいよ和歌山で展開すべく"コロナ後"に備える。「"まちづくり"は曖昧な言葉だよね」日本で数少ない国際系の研究者として、ここ2年の進化を社会に役立てられる日が待ち遠しい。

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Profile プロフィール

足立 基浩 ADACHI Motohiro

和歌山大学着任 1996年
学歴 慶應義塾大学経済学部~ケンブリッジ大学経済学研究科
学位 博士(経済政策)
所属学協会 アジア不動産学会ほか
研究キーワード 不動産金融工学
書籍等出版物 『新型コロナとまちづくり』(晃洋書房、2021年)『住宅問題と市場・政策』(日本経済評論社、2000年)ほか

1968年東京都世田谷区生まれ。ほどなく引っ越した千葉では男子校に通い、戦争から帰還した高齢の先生方から「命は大事ですよ」と教わり育つ。その戦後処理をした首相を務めた曽祖父は、生まれた時にはすでに亡き人だったが、ドイツなどの大学でバイオ・テクノロジーを教えていた祖父の姿は好きだった。台北帝国大学から駆逐艦で引き揚げてきた人だった。修士号しか取得していなかった和歌山大学に着任したての若造を、奨学金でケンブリッジの博士号を取らせてくれた同窓会には今も感謝している。