WHO'S WHO 研究者紹介

縁の不時着

ふいに降り立った場所がどこであっても、笑顔で暮らせる人がいる。

1回きりの関係でなくて、 相互に還元しあえる関係を築けたら…… マーケティング研究者が振り返る すてきな〝ご縁〟の物語。

柳 到亨 RYU Dohyeong

▼人生は、縁が導いてくれる。  可愛い子には旅をさせよか!

阪神大震災の年、トロントの留学先で日本との縁を結ぶ

 1995年、3年間の兵役を終えてカナダへ。 "白か黒か"を迫られてきた人生が、モザイク文化の"多様性"に触れた。留学生クラスには日本人が大勢いた。教室で唯一の韓国人を小旅行に誘い、会話はすべて英語で通してくれる彼らの心遣いには感激した。ただ、猛勉強に励む脇で、のんきに犬の散歩ばかりの学生には閉口して......「その人がいま私の妻です(笑)」。ソウルでの新婚生活は、建築会社の仕事に忙殺される3年間だった。1999年、妻が神戸の実家へ一時帰国するタイミングで退職を決意し、同行する。「日本語でも勉強しよか」----英語入試のある京都大学で経済学研究生になるという妙手が運命を変えた。



新世紀到来、神戸の商店街で"マーケティング"の現場とまみえる

 チューターに薦められた2冊の本でマーケティングと出会った。自社でなく、取引先や顧客といった他者のあり方を考えるという視点が面白い! 筆者の石井淳蔵先生から学べる神戸大学大学院を目指して日本語を鍛えた。入試では山勘が的中。「現代マーケティングにおけるパラダイムの変化」を問われ、"交換"という1回きりの関係から、相互の"還元"という継続的関係への移行を論じた。カタカナを覚え始めてから2年後のことだった。

 石井先生は温厚だが研究には厳しい。博士課程では「三宮の商店街へ行ってこい」と突き放された。1週間歩くうちに疑問がわいた。老店主ばかりの街で、後継を引き受けた子供が賞賛されている。「なんで?」韓国には、家業を子に譲る文化はなかった。

東アジアの商店街を回ってみると、国ごとの商売のありようが見えた。商売が生活の場から遠い韓国や、近くの他人より遠くの親類が商売のネットワークである中国と違い、日本では商売が生活と一体化している。地域との間に育まれた"還元"関係が、換金できない価値として手渡されているのではないか。日本人はなぜ継ぐのか、「儲かるから」以外の理由に思い至った。

予想外のよろこび、和歌山大学で学生たちに学ぶ

 着任した和歌山は、人生初の地方都市。そのうち都会の大学に移ろう、と研究に没頭した。しかし3年目にゼミ生がやってきて、また人生が転換する。「なんていい子たちや!」素直な学生たちの吸収力、成長力に驚き、教育に俄然興味が沸いた。ゼミ生は数人ずつのグループで"Sカレ"という商品開発のインカレに挑む。恩師の石井先生をはじめ、縁(ゆかり)の研究者たちのゼミ生とも競い合う。社会で役に立つことを身に着けた学生よりもたぶん、見守るこちら側が得ているものの方が多い。元気で会って話せる喜びをあらためて噛みしめながら、柳ゼミ名物の切磋琢磨から今日も活力をもらう。

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Profile プロフィール

柳 到亨 RYU Dohyeong

和歌山大学着任 2009年
学歴 神戸大学大学院経営学研究科
学位 修士(経営学)、博士(商学)
所属学協会 日本商業学会、日本マーケティング行動研究学会ほか
研究キーワード 事業継承、マーケティング論、流通論、流通政策
書籍等出版物 『小売商売の事業継承:日韓比較でみる商人家族』(白桃書房、2013年)ほか

1970年ソウル生まれのシティ・ボーイが、なんでこんな田舎に!? とショックを受けたのも今は昔。いつ頃からか、東京の学会から戻って和歌山駅に降り立った途端、しみじみホッとする自分がいる(そういえば、地元商店街とは研究のご縁が未だないのが不思議だ)。年1回の大集会が楽しみな歴代ゼミ生のことは、みんな我が子と言って憚らない。「なぜ自分の子よりも…」と嘆く夫人とは温泉巡りが共通の楽しみ。