WHO'S WHO 研究者紹介

歌は世につれ 世は歌につれ

よい時も わるい時も経て いま歌われる いにしえの調べ

片男波、玉津島、不老橋……♪ 図書館3階奥の展示室で 歴史資料を並べながら口ずさむ

吉村 旭輝 YOSHIMURA Teruki

▼日本でただ一人! 近世の田楽を専門に芸能史を研究 ▼ひとり歩きの伝承者が 現代に響かせるハーモニー

和歌祭に学生200人が参加! 御船歌(おふなうた)30年ぶりの復興に貢献

毎年5月に紀州東照宮で開かれる和歌祭は、紀州徳川家の藩祭で元和8(1622)に始まった雅な祭礼行列。万葉の景勝地・和歌浦を、黄金の神輿の渡御が行く。留学生を含む200人超の和歌山大学生もさまざまな芸能に扮して練り歩く。列の終盤には、龍頭鴃首の絢爛な唐船が登場、揃いの法被で船を牽く一団から、御船歌が海に響く。鉢巻姿の芸能史研究者がひときわ高らかに歌う。2009年の着任以来、江戸時代に田楽法師が出勤していた和歌祭の研究に入り、2010年に学生ら有志とともに御船歌を、2017年には留学生とともに唐人を復興させてきた。次の5月にはまた新たな種目の復興を予定している。

芸能を通じて紐解く、祭り、祭礼、芸能のルーツ

この道に入ったのは、高校時代に理数系で落ちこぼれたから。中学の頃から音楽に明け暮れた末、唯一成績の良かった日本史で食べていくしかない! と一浪して文学部史学科へ。歴史学の中世史ゼミに所属していた3年生の時、地元泉大津市で戦前まで住んでいた田楽法師のことを知り、中世芸能の代表格である田楽を中心に芸能者とパトロンとの交渉史の研究をはじめた。当時地元で遺跡が発掘され話題だった考古学だけが歴史ではないとの思いがあった。大学では文献資料中心に研究してきたが、芸能が披露される場の多くは寺社の祭礼。現地での祭礼調査から現代民俗芸能にも興味を抱き、大学院では、歴史学を活かしながら民俗芸能研究へと突き進んだ。

芸能とはそもそも"呪能"。神のお告げを聞き、さまざまな役割を担う。閉じた共同体の"まつりごと=政治"のためのものでもあった。"祭り"はやがて都市の発生と展開の中で見物人を生み出した"祭礼"へと展開する。専業芸能者は時の権力者に呼ばれて芸能を披露するも、その命運はパトロンの栄枯盛衰と表裏一体。平安~室町時代に一世を風靡した田楽も、鎌倉時代には猿楽に隆盛を譲った。祭礼や芸能といった無形の文化財には、継承という大問題が残った。

無形の文化財伝承のこれからを考える

小学生の時にはじまった地元のだんじりに参加し、28歳からは大工方も務めたが、2018年の台風でだんじり小屋が吹っ飛んで町の祭礼団体は解散してしまった。それを題材にした研究にも着手している。だんじりは自主運営・自主警備が基本でも地元民の参加率が低いのが現状だ。人もお金も減っていく地域で、そしてコロナ後の世界で、祭りや芸能をどうしていくのか。和歌祭で身を持って知ったが、"復興"だけでなく"継承"が基本だ。

流行にとらわれないルーツ、基盤のあるものが残っていく。先人の声を聞き、基盤を大事に守ること。そして、その上に新しいものを創造していくこと。流行した時代に関係なく、良いものに触れることを目指していれば、必ず道はあるはずだと信じている。

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Profile プロフィール

吉村 旭輝 YOSHIMURA Teruki

和歌山大学着任 2009年
学歴 龍谷大学文学部、帝塚山大学大学院、千葉大学大学院
学位 修士(学術)
所属学協会 近畿民具学会、芸能史研究会、日本民俗学会、和歌山地方史研究会
研究キーワード 祭礼、博物館学、田楽、民俗芸能、地車、芸能史、東照宮祭礼
受賞 全国東照宮連合会

1978年大阪生まれ。好きなミュージシャンは、Them(ヴァン・モリソン)、Radiohead、小坂忠、布谷文夫……(続)。高校時代はレッドツェッペリンのコピーバンドでヴォーカルを担当するなど、「歌手」としての個性にこだわりすぎた。論文を書くという独りでの表現活動は向いているのかもしれない。研究は地域と乖離しがちだが、地域へ飛び込んでいく活動でしかわからないことがある。とにかく和歌山は研究素材の宝庫。