WHO'S WHO 研究者紹介

ものがたるデザイン

デザインはアートとは違う
課題ソリューションを担う

マーケティング → スタイリング → マネジメント このマークが あなたの思いを語れるように

北村 元成 KITAMURA Motonari

▼無指向性アンテナを張り巡らせて ▼伝えたい相手は自分じゃない ⇄ 新しいものは自分からしか出てこない

好きなことだけやってきた、欲張りなデザイナーの誕生

実家はオーダーメイドの洋服屋。紙や布が立体になっていく傍ら、型紙用の大きな紙を相手にペンとハサミで遊んで育った。中学生で健康施設のコンペに優勝し、人生初のシンボルマークが採用される。親が定期購読してくれたデザイン誌や画集を貪り読み、隣県の世界ポスター展にも通った。高校は楽しかったが、進学校ではデザインのことを相談できる先生もいない。数学と物理で点数を稼ぎながら金沢の画塾に通い、芸術系大学の実技試験に備えた。

大学には自分に似た仲間がうようよいた。専攻は基礎造形。芸術系のヘンな大人たちから、あらゆるデザインの基本となる点と線と面、そして色彩を学んだ。機械、立体、色彩、平面......好きなのはグラフィックアートだけれど、どれか一つに絞りたくはない。ひとまず、動く立体物(キネティックアート)を作りまくった。その頃、デザイン界には革新の波が。バブルが終わりかけた大学2年の時、演習室にマッキントッシュが来た。学生の間で"車買うかマック買うか"が合言葉になった。

側頭葉に溜めたことを、前頭葉で引っ張り出す

技術を磨く一方で、造形の材料探しも欠かさなかった。渋谷の東急ハンズ、秋葉原のパーツ店、近所にできたジョイフル本田1号店。見たことのない素材を求めて触れて歩いた。今、学生たちに繰り返し言うことがある。検索をかけるためには自分の中にインデックスを作ることが必要で、そのためのインプットには時間をかけなければダメだ。手に入る情報がどんどん自分に寄ってきて、自分以外が見えない今の時代には特に。

当時の国立大学ではまだ珍しかった民間との共同研究として、雪印乳業のブランディングに関わったのが刺激に。イメージ統一のためには、視覚だけでなく総合的に考えることがデザインだと知った。デザインをして伝える相手は自分ではない。必要なのはマーケティング、つまり統計という理系の思考だ。自分のインデックスから、創造の材料を引っ張り出す。新しいものを作るには、関係ない知識がとても大事だ。

伝えたい人と、受け取る人を媒介する専門家として

システム工学部立ち上げのタイミングで赴任してきた和歌山大学で最初の上司になったのが、日産自動車の元チーフデザイナーからマーケティング会社の初代社長となった佐渡山安彦教授だった。わずか数年の間に、地域の様々な現場に入った気さくな佐渡山先生の下、マーケティングとマネジメントによるデザインのイロハを実践的に身に着けた。

和歌山に来て23年。観光学部に移った今に至るまで、漆器、家庭用品、建具、木材、布、お土産品など数々のデザインを通じて新しい発見は尽きない。素晴らしい場所・モノ・コトはまだまだある。デザインによって、それらの魅力を具体的・視覚的に「かたち」にし、どんどん伝えていきたいと願っている。

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Profile プロフィール

北村 元成 KITAMURA Motonari

和歌山大学着任 1998年
学歴 筑波大学芸術専門学群~同大学芸術研究科デザイン学
学位 修士(デザイン学)
経歴 【Works】丹生都比売神社PRポスター、橋本市「かける橋・本」シンボルマーク、泉南市「花笑み・せんなん」シンボルマーク ほか
研究キーワード グラフィックデザイン、ブランドデザイン、サイン

1972年石川県出身。照明デザイナーになった姉とともに、地元では“コンクール荒らしの北村姉弟”として鳴らした。和歌山大学では、システム工学部で採用された数年後にいきなり学長直属の本部付けに。国立大学法人化に向けた大学のブランドデザインを任され、学内外に広くアンケートを募って現在のオレンジ色のシンボルマーク作製も手掛けた。続いて経済学部で観光学科の立ち上げにも参加したため、学内でまだ出席したことのない教授会は教育学部だけ。趣味は家族で、アルコールは一滴も受け付けない。1年の大半着用しているタートルネックがトレードマーク。